城塞都市と黄金の少女 3
キリカ=ルナリア・シャルロスヴェインという少女にとって、この王国は閉塞感の象徴であった。
何故ならば、生まれた瞬間にはどう生きてどう死ぬべきかという道筋を他人の手で決められていたからだ。
こんな家に生まれたばかりに、と何度恨めしく思ったことだろうか。自らが皆から望まれて生まれてきた存在だという自覚はあるし、裕福というよりも高貴なと形容すべき家柄に関しても恵まれているということは嫌と言うほど理解していた。
周囲から向けられるの期待と羨望、そして嫉妬の眼差し。
両親は愛してくれていたが、彼女の持つ感情には気付いてくれなかった。
だから彼女は、少しだけ内気だった自らを殺し、幼いながらにずっと他者が望む自分を演じてきた。シャルロスヴェイン家の娘として恥ずかしくない教養と、貴族としての所作、心構えを誰よりも勉強し、実践してきた。
ひとつだけ幸福なことがあったとすれば、シャルロスヴェイン家が武門に秀でた家系であったことだろう。王都の防衛、それがシャルロスヴェイン公爵に課せられた最大の責務であったのだから。それは、彼女の目的のひとつとも合致していたため、キリカは物心ついた時から剣と共に生きてきた。その才覚は留まるところを知らず、周囲の子供はおろか、大人たちを負かすほどの才能を小さいころから見せていた。
そして彼女には、僅かではあるが前世の記憶があった。自分が何者かを気付かせるように、何度も繰り返し見る夢があった。いつしか生きていた十七歳の少女の記憶が。
その記憶は彼女に、立ち止まることを許さなかった。
だから、鎖につながれた人生など許容出来るはずがなかった。
だが、自らが真実だと訴えた言葉を父親はおろか、周囲からも否定され続ける毎日に、彼女は少しずつ心を病んでいった。そして、最愛の母の死をきっかけに、四歳を前にして彼女は完全に周囲を拒絶するようになる。そんな彼女を心配した父親は毎日沈んでいる娘を元気づけようと、護衛や使用人たちを連れてエポスの別荘に向かったが、些細なことをきっかけに彼女は失踪事件を起こすことになった。
リュミールの湖畔で、独り彼女は歌う。
母が好きだった歌を。
この湖が好きだと母は言っていた。
この湖には伝説が眠ると、語ってくれた。
それはよく語ってくれたおとぎ話のうちの一つ。
遥か過去に栄えたと言われる、とある国の話。
いつしか、一緒に来ようと約束していたのに。それは叶わなかった。だからせめて、その想いをここに残していこうと、彼女は歌った。
戻ったら、また、人形に戻るから。
それまでは、せめて、本当の自分でいたいと願って。
そしてキリカは、
――もう、あれから六年か。
彼女が王都に来る、と聞いたからだろうか。馬車に揺られながら、キリカは随分と懐かしい出来事を思い出していた。
予定では遅くとも明日の夜には王都に到着すると聞いている。早ければもう到着しているかもしれない。もう、この近くにいるのだろうか。彼女はまだ、私の親友でいてくれるだろうか。
リタらしくも無い、あんな丁寧な返信を貰えば困惑するというものだ。きっとご両親に無理やり書かされたに違いない――そう思いたくも、キリカには分からなかった。
馬車の中には重い沈黙が満ちていた。原因は分かっている。きっと私の表情がそうさせるのであろう。再会への期待と、不安と。自分でも驚くくらいに心を搔き乱される。不機嫌そうに、外を眺めていることしか、今の私には出来ないのだから。
車内には、そんなキリカを心配そうな表情で見守る大柄な男がいた。キリカの護衛を公爵より任されている、ブルーノである。若かりし頃には、西方戦役の際に騎士団員として従軍し、公爵自らが指揮を執る戦場にて共に駆けた。公爵子飼いの騎士団から退役しても尚、その信頼は厚くキリカが幼いころからその護衛を任されてきた。
彼はキリカが、本当は少し内気だが、よく笑う少女だったということを知っている。母を亡くしたころから失われてしまったが、未だにその本質は彼女の中にあるはずだと信じていた。
いつも彼女の周りには多くの人がいる。しかし、殆どの人間は打算があって近づく上辺だけの関係だ。幼いころから、キリカはそれを敏感に察知していたし、彼女自身も線を引いていた。
だからキリカが、親友が王都に来ると話しているのを聞いたときは本当に嬉しかった。その時にキリカが浮かべた笑顔は、本物であったからだ。
聞けば、その親友とはエポスの失踪事件の時に出会ったという。さらには、同い年でキリカより腕が立つ少女とのこと。ブルーノは信じられないといった気持であったが、彼女のことを語るキリカの表情は本当に穏やかで、母親によく似ていた。
そして、間もなく貴族街に差し掛かろうという時、窓の外を退屈そうに眺めるキリカの目が驚きに見開かれるた。こんな表情は、中々見ることが出来ないなとブルーノは思っていた。
「今すぐ止めて!」
だから、いきなりキリカが大声でそう言った時、ブルーノは咄嗟に反応することが出来ず、対応が遅れてしまった。御者代わりの別の護衛が慌てて馬車を急停車させる。キリカは、完全に馬車が停止するのも待たず、乱暴に扉を開け放つ。ブルーノは未だかつて、彼女のそんな姿を見たことが無かった。
「お嬢様!?」
ブルーノが止めようとしたときには、既にキリカは馬車から飛び降りており、駆け出していく。
リタがキリカを受け止めようとした時には、もう遅かった。
まさか、全く減速することも無くこれほどの勢いで突っ込んで来るなど、誰が予想できようか……胸に伝わる衝撃に身体が宙に浮く。大きく成長した親友を抱きしめながら、リタは宙を舞った。
着水するまでの時間は、やけに長く感じられた。視界には宙にたなびく絹のような金の髪が夕日を反射する光景。そして、天地が反転し頭から水に落ちた。
「ぷは――冷た!」
水中から顔を出した二人は思わず笑い合う。
とんでもない再会もあったもんだ。リタはそう思いながらも、キリカの瞳から目が離せない。
「久しぶり、リタ」
泣き笑いのような、恥ずかしがっているような、そんな器用な表情でキリカは告げた。濡れる髪が額から頬に張り付き、雫が流れる様でさえも美しい。
「うん、久しぶりだね、キリカ? ずっと会いたかった」
そう言ってリタはキリカを抱きしめた。冷たい水に濡れた髪が頬を撫でるも、柔らかな彼女の感触から、それ以上の温かさが胸に広がっていくのを感じる。
「……私も。――あと、ごめんね? 勢いあまって、つい……」
リタは、少し腕を緩めるとキリカの顔を正面から見つめる。そして、自身の額を軽く彼女の額にぶつけた。
「ふふ――まさか、キリカがこんなに私のことを想ってくれてるなんてね?」
「何よ……いいじゃない……貴方は、違うの?」
「違わないよ」
そのまま、吐息のかかる距離で笑い合う二人。
「お嬢様!? お怪我はありませんか!?」
橋の上から大柄な男がキリカに何か叫んでいる。キリカは、周囲の視線が恥ずかしくなったのか目を逸らしながらこう言った。
「とりあえず、水からあがりましょう? 風邪ひいちゃうかもしれないし」
「それ、キリカが言うかな?」
彼女の顔が赤かったのは、きっと夕日のせいだって言うだろう。どちらともなく、指を絡ませた二人は寄り添いながら川岸に上がる。
陸地で真っすぐと彼女と向き合うと、リタはキリカの視線が自分よりほんの少しだけ高いことに気付いた。
「あれ、もしかしてキリカ――私より……背が、高い……だと!?」
「あの時とは違うんだから! ……えっへん」
そう言って少しだけ恥ずかしそうな、でも誇らしげな笑顔で胸を張るキリカ。水に濡れたその胸元を凝視してリタは言う。
「ふっ……こっちはセーフ」
「リタ? 何処を見てそう思ったのか答えなさい!?」
「大丈夫、まだ成長期だから。どっちも将来的には私が勝つに決まっている」
そう自分の胸元を見ながら、自分に言い聞かせるように呟くリタにキリカは思わず笑う。
その時、風が吹いた。普段なら心地よいはずの柔らかな風も、水に濡れた肌からは容赦なく体温を奪う。
「くちゅん」
「キリカたんのくしゃみが可愛すぎる件」
「貴方? 馬鹿にしてるわよね?」
顔を真っ赤にしたキリカを見て、出逢った時の不器用さに比べれば随分といい表情をするようになったなと、リタは思う。この顔が見れただけでも、王都に来た価値はあった。きっと、離れ離れの時間にも意味があったんだろう。
「ふふ」
リタの優し気な微笑みにつられて、キリカも笑う。やがて大きくなっていく笑い声が夕空に響く。足を止めていた人々も次々と歩みを再開していく。
仲睦まじく笑い合う二人の様子に、途中まで近づくも中々話しかけるタイミングを掴めない人間が二人。エリスとブルーノだ。二人はお互い顔を見合わせて頷くと意を決して話しかけた。
「あの、お嬢様? 寒くありませんか?」
「お姉ちゃん、大丈夫?」
同時に振り返ったリタとキリカは、同時に頬を赤く染める。またもや自分たちがずっと見られていたと気づいたためだ。
それから四人は簡単に自己紹介を済ませた。そして水に濡れた二人が風邪をひかないよう、今日は解散することにした。
「リタ……また、明後日ね?」
「風邪をひいて行けなかったらごめんなさいね?」
リタは悪戯っぽく笑った。
「その時は……ええ、しょうがないわね。そう、ほんの少しだけ、寂しいけれど」
ブルーノの前だからだろうか、貴族らしいと思い込んだ言動をするリタと、少し歯切れの悪いキリカ。
「冗談ですわ。必ず、お伺いしますわ。では、ごきげんよう、キリカ様?」
「それ、似合ってないわよ! ……でも、待ってる、から」
はにかんだキリカの表情にリタは思わず胸が締め付けられたような感覚を覚えた。
(寂しがるキリカぐうかわ!)
手を振り、宿に向かって歩き出す姉妹と、走り出した馬車。どちらにも満足そうな表情の少女と、それを見守る親しい者の姿があった。
「ただいまー!」
宿の部屋に戻った全身ずぶ濡れのリタを見て、硬直する両親。
「リタ? またなの!? 次は何やらかしたの!?」
リィナがリタに詰め寄ってくる。
「私は知~らないっと」
エリスはすぐに逃亡を決めたようだ。
「さっき、そこでキリカと会ったんだ」
リタのその言葉を聞いて、リィナは震える声で訊いた。
「ま、まさか……?」
「一緒に川に落ちました」
「はい、俺死んだー」
そんな間抜けな声が聞こえた気がして、横を向いたリタが見たものは、白目を剥くクロードが床にゆっくりと倒れ伏す姿だった。
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