王都への長い道のり 3

「あのさ、お姉ちゃん?」


 暫くの沈黙の後、エリスは呆れ交じりの表情でこう切り出した。


「うん?」


「とりあえず、ダメもとで謝りに行って来たら?」


「えぇ~、いきなり首取られたりしない?」


「しない」


「そうかなぁ?」


「うん、多分ね。――それにさ、いざとなれば……分かるでしょ?」


「ああ、消し炭にしろってことね?」


「冗談だよね?」


「勿論」


「本当に?」


「……はい」


「私も一緒に行ってあげようか?」


 エリスは非常に心配そうな表情でリタを見ている。妹からの信頼感の無さが悲しくなる。だが、エリスの言うことも分かる。前世のアニメも轢き逃げはダメだって言ってたから。私が生きてた時代には、自動車なんて無かったけど。


(でも、流石に妹と一緒に行くのは恥ずかしい)


「いや、大丈夫。ちょっと行ってくるよ――先延ばしにはしたくないし」



 姉はそう残して転移で消えていった。本当に大丈夫だろうか……エリスは溜息を吐く。


「なぁ、おい」


 顔を真っ赤に染めているクロードが話しかけてきた。さっきまでは、寝息を立てていた気がするが、聞いていたのだろうか。息が酒臭い。


「何?」


「なんか、リタが王子様とか、言ってた、よな」


「うん、そうみたい」


「お前たちの年頃なら、白馬の王子様に憧れる気持ちも分かる。けどな、ちょっかい出してくる奴は俺がみーんな斬るぞー」


「大丈夫。王子様を撥ね飛ばしたのはお姉ちゃんだから」


「そうかそうか。アッハッハッハ。流石は俺の娘だー」


 エリスは酔いどれ親父の相手をするのも面倒になってきたので、さっさと本を開いて読むふりをした。クロードは一人で何かを呟きながら、また酒を飲んでいる。

 魔人騒動以降、働きづめだったし疲れがたまっているのは分かる。この移動も休暇みたいなものだし、少しくらいは大目に見てあげよう。


(本物の王子なのかは知らないけど、お姉ちゃんのことだし、きっと本物だろうな……)


 それを知った両親がどんな顔をするのか、容易に想像がついてしまったエリスは外の景色を見て忘れることにした。

 今日も、何処までも続く青空と草原が絵画のように窓枠に飾られていた。




 リタはとりあえず事故現場付近まで転移で移動すると、歩いて接近することにした。街道の脇に停車中の巨大な馬車にはグランヴィル王国の国旗と、紋章が描かれている。金と赤に彩られた美しい車体に、白い毛並みの美しい馬が8頭つながれている。その、如何にもといった雰囲気に辟易してしまう。


 数人の、屈強な男たちが周囲を警戒しているようだ。皆、揃いの鈍色の軽鎧を身に纏い、帯剣している。その中でも、良く日焼けをした一番背の高い男が、リタを見るなり声を掛けてきた。


「お嬢ちゃん、こんなところで一人かい? この付近に街はないはずだが、どうやってここに?」


「えっと、あの、非常に申し上げにくいのですが……」


 リタは思わず視線が泳いでしまう。目の前の男はどこか不審げな視線を向けている。


「さっき、この辺りを走っていたら、ですね? えっと、その、誰か、撥ねちゃったみたいでですね。……大丈夫だったかな~って」


 目の前の男が大きく目を見開いたのが分かる。剣に手を掛けたなら、すぐに気絶させる。リタは慎重に観察するが、その男が見せたのは想定外の反応であった。


「そうかそうか、さっき銀色の物体が猛スピードで突っ込んできたとか言っていたが、まさかこんな可憐なお嬢ちゃんだったとはな。――わざわざすまないな、あの鹿王子のために」


 そう言って、歯をむき出しにして笑う男の顔は、とても親しみやすいものであった。


「馬鹿……王子? あ、いや、すいません! 失言です、申し訳ございません」


「いや、構わないよ。けどな、俺が言ってたってのは内緒にしといてくれな?」


 周囲には聞こえないような声で言って、下手なウインクを見せる男。話が分かる人だな、とリタは思った。


「俺はエドガーだ。一応第四王子の親衛隊長をやってる」


 エドガーの突き出した、剣ダコにまみれた右手を握り返してリタは笑顔で答えた。


「申し遅れました。わたくしはリタ・アステライトと申します」


(思ってた展開と違うけど、結構いいんじゃない?)


「ほう、魔人殺しの?」


「それは両親ですが」


「何言ってやがる、お嬢ちゃんもそうなんだろ? 動きを見りゃ分かるさ。そりゃ、あの王子を走って撥ね飛ばしたのも現実的なほどには、な」


「恥ずかしながら……これは一本取られましたね。えぇ、そうですよ。一応、ですけど」


「お? やっぱりか。その話聞きてぇな。リタ嬢、立ち話もあれだ。時間あるなら茶でも飲んでいくか?」


 そう言ってエドガーは茶を煽るジェスチャーをした。本当に気さくな男だ。親衛隊長ってこんな感じなんだろうか。


「その前に、殿下に謝罪をさせていただくことは出来ますでしょうか?」


 だが、気は進まないが先に目的を果たさなければならない。


「おう、律儀な嬢ちゃんだな。聞いてくるから待ってな」


 そう言ってエドガーは馬車の方に駆け出していく。それにしても、王子ってこんな雑な扱いされる存在? 何だか不憫だな。


(とはいえ、何とかなりそうな気がしてきた。後はさっさと王子に謝って帰ろ)


 エドガーが、馬車の中から扉を開けて手招きしている。来い、ということだろうか。


(王子以外にも王族が居たら本当に嫌なんですけど……エリスに礼儀作法を習っとけばよかった)


 リタは、緊張で高鳴る鼓動を意識しないようにしながら、ゆっくりと馬車に近づく。


「あの、あれだ。気楽でいいぞ。どうせ王子しかいないからな。それに、陛下も気さくな方だ。多少殿下に失礼働いたところで大丈夫だ」


 そう言ってエドガーはサムズアップしている。この人が特別なのか分からないけど、本当に王子は不憫だな……撥ね飛ばしといてアレだけど、罪悪感が今更ながらにエグい。リタは、小さく溜息を吐きつつ、備え付けられた三段ほどのステップを上がり、車内に足を踏み入れた。


 其処はまさに豪華絢爛といえる部屋であった。家具や置物一つ一つを取っても、一体幾らするんだろうと思わず考えてしまうような物ばかりが並んでいる。だが、はっきり言うと趣味が悪い。どれもこれも金ぴかで、ずっとここに居たら気が狂いそうだ。


 中央には重厚な机が置かれており、その奥には一際豪奢な赤い革張りの椅子に腰かける、同い年くらいの少年の姿があった。赤を基調とした、派手で高そうな服を着ている。少しカールした金髪に、少しくすんだ青い目をしている。顔は悪くはないが、目つきはあまり良くない。不遜な目でこちらを見ている。


 少年は一人のようだ。身の回りの世話をする人はいないのか? 入口のところでエドガーは立っているようだが……私が暗殺者だったらとっくに殺してる。平和ボケか? ――いや、少年の顔には安心感と自信がある。私に吹き飛ばされても尚、あの余裕。何かしらの策は流石にあるんだろう。


(えっと、確か目下の私から話しかけないといけないんだっけ? そもそも直接話さないんじゃなかった? でも誰もいないし……)


 リタは片膝を床につくと、頭を下げる。


「お初にお目にかかります、殿下。私はリタ・アステライトと申します」


「面を上げよ。構わぬ、楽にせい」


 勿体ぶったしゃべり方をする少年だ。はっきり言って似合っていない。小物臭がプンプンしている。しかし、間違いなく悪いのは自分だ。しっかりと心を込めて謝罪をしなければならない。


「先ほどは、ぶつかってしまい大変申し訳ございません。お怪我はございませんでしょうか」


(やばい、敬語がわかんない……とりあえず丁寧に話しとけば大丈夫、かな?)


「ある。見るがいい」


(ですよね~)


 目の前の少年は腕をまくって見せた。……かすり傷じゃん、とは正直思うものの王族に怪余をさせたのは事実。


「大変申し訳ございません!」


 リタは一応、深く頭を下げた。


「良い、その謝罪を以って許して進ぜよう。確かに余も余所見をしておったし、良く周囲を見らずに馬車の陰から飛び出したのは事実。それに関しては、事故として認めよう。しかし、だな。余も王族の嗜みとしてそれなりに身体を鍛えておったのだが、貴様はアレか? 暴走する牛か? あんなに綺麗に錐揉み回転しながら地面に落下したのは初めてだったぞ?」


「深くお詫び申し上げます」


「よし、本当に人間か確かめてやろう。脱げ」


「はい?」


「だから、脱げと言っている!」


(えぇ~! 王族ってそんな感じ!?)


「えっと、それは、ちょっと……」


「大丈夫だ! 余も脱いでやろう!」


(全然大丈夫じゃないよね!?)


「いえ、流石に殿下にそのようなこと……」


 そう言いながらも、打開策が思い浮かばない。リタは、時間稼ぎとばかりにゆっくりと上着に手を掛けた。ゴクリ、と王子が唾を飲み込んだ音がやけに大きく響いた。


(流石にこんな奴に裸を見られるのは嫌だな……)


 リタが、目の前に座る王子を盗み見ると、何故か頭を抱えて首を振っている。そして、いきなり立ち上がるとこう言った。


「じょ、冗談だ。……もう良い。――驚いたか? 驚いただろう? グワーッハッハッハッハ……あぁーヤバかった。主に俺が」


(コイツ――!)


 リタは怒りを何とか飲み込みながら、急いで袖を抜きかけた上着を羽織り直す。


「殿下、お戯れはおよしください。――田舎者ゆえ、慣れておらず……」


 そう言いながら、瞳に少し涙を溜めたリタが頬を赤くして下を向くのを見て、王子は両手を振りながら慌てて弁明を始める。


「あ、いや、その、そんなつもりじゃ……いや、少しは期待したけども、確かに。――そうじゃなくて……」


 そうして、咳ばらいをした王子は続ける。


「そ、そういえばお前、じゃなかった貴様、出身は?」


(露骨に話題変えやがった……)


「アステライト男爵領、クリシェの街にございます、殿下」


「何処だっけ?」


(段々素が出てるな、この王子)


「ミグリア街道をずっと東に進んだ所にございます。エルファスティア共和連合との国境たる山脈、その手前の街でございます」


「な、成程? エポスの南くらいか?」


「いえ、エポスの北東に馬車で一日程度でございます」


「いや、うん。知ってたよ? じゃなかった、存じ上げているぞ、勿論。王族であれば当然だからな、アハハ……」


 それっきり、二人の間には気まずい沈黙が流れる。リタは早く解放されたいという気持ちで一杯であった。向こうもこれ以上恥を晒す前に、会話を切り上げるのが賢明ではないだろうか。


 ところが、何を考えているのか分からないが、視線を左右にずらしながら王子は恐る恐る続けた。


「き、貴様、ちなみに余の名を知っておるか?」


「誠に恐れ入りますが、田舎者ゆえ存じ上げませぬ」


 確かに、名前くらいエドガーに聞いておけばよかったと後悔するリタであった。後ろのエドガーを盗み見ると、小刻みに震えている。あの野郎、笑いを堪えてやがる――リタの中に沸々と怒りが湧いてくる。


「な、し、知らぬだと!? ……で、では、覚えておくがよい。余の名は、アレク・ライナベル・フォン・グランヴィルである」


「長いね」


(左様でございましたか。しかとこの胸に刻みました)


 良く分からないが、目の前の少年に青筋が立っているようだ。リタは首を傾げる。


「貴様は、この第四王子たるアレク様に怪我をさせた。その大罪人である貴様の、拝謁を許し謝罪を受け入れたのだから、余の名前をその心に刻み込むとともに、余の寛大さに感謝することだな」


「話し方、いい加減うぜぇな」


(この度はご迷惑をおかけいたしましたことを重ねてお詫び申し上げます。また、寛大な御心に敬服しております)


 何故かアレクは下を向いてプルプル小刻みに震えている。顔も真っ赤なようだ。トイレでも余慢してるんだろうか。


「おい、お前! さっきから心の声が漏れまくってるんだよ! 可愛い顔して何言ってやがるんだ! 俺は王子だぞ、おい!」


(あれ? もしかして声に出してた!?)


「あ、あの、何をおっしゃってるんでしょうか……?」


「今更取り繕っても遅いんだよ!」


「幻聴では?」


「んな訳あるかぁぁぁぁぁあ!」


 完全に取り繕うことを止め、唾をまき散らしながら叫ぶアレクに、リタも少し吹っ切れた。


「お前、結構面白いな」


「だから貴様ぁぁぁぁぁぁあ!!」

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