王都への長い道のり 2

「はぁ、暇……」


「お姉ちゃん、まだ五日目なんだけど」


 溜息をつくリタと、それを窘めるジト目のエリス。このやり取りも、これが初めてではない。最初の方は、お菓子を手に車窓から景色を眺めていたリタだが、流石に五日目ともなると飽きが来たようだ。


 車窓はずっと、広大な平原を映し出している。街道の周囲は、背丈の低い草花が咲き誇っており遥か遠くまで見渡せる。次の街はまだ遠いのであろう。何もない大自然がただただ広がっている。


 快速馬車そのものは、非常に快適であった。毎晩宿場町に立ち寄り、補給しつつも快調に進んでいる。昨日からは既に大きな街道を走っており、道行く行商人や他の馬車とすれ違うことも多くなってきた。この辺りは、人通りも多く非常に安全な街道となる。とはいえ、ゴブリン程度の小さな魔物であれば、この馬車は轢き殺しながら進むであろうが。


「だって風景全然変わらないじゃん!」


 リタは唇を尖らせる。エリスは手元の本から目を離さずに答える。


「前に慈善学校で習ったでしょ? ここからは、ずっと王都まで平原が続くの――」


「はいはい、知ってますよ。確か――ミグル平野だったっけ?」


「そう。それから今走ってるのが、かの英雄が走り抜けたことで有名なミグリア街道ね」


「名前も逸話も正直どうでもいいんだよう……お姉ちゃんは暇なの」


「本でも読んだら? 何冊か持って来てるよ?」


「やだ。だって難しい本ばっかりじゃん。……あー、どっかで盗ぞ――」


「ストップ!」


「――く、うん?」


「そこから先は言ってはいけない」


 エリスは有無を言わさぬ目でリタを見ている。


「……はい」


 そして、無気力な目で妹に屈するリタであった。




 クロードはまだ昼間だが、軽く酒を飲み眠っている。相変わらずエリスは本の虫と化しているし、リィナは裁縫をしているようだ。本格的に手持無沙汰になった。転移で街に戻ろうかとも思ったが、何かあった際に怪しまれるのは確実だろう。


 リタは進行方向側にある小窓を開け、御者の男に声を掛ける。


「馬車の屋根って登っても大丈夫ですか?」


「ええ、大丈夫ですよ。停めましょうか?」


「大丈夫です。ありがとうございます」


 リタはそう微笑んで答えると小窓を閉じた。そして走る馬車の扉を開け放つ。風がとても心地いい。リタは扉から身を乗り出し、屋根に手を掛けるとそのまま屋根に飛び乗った。


「エリス、閉めといてー」


「はいはい」


 馬車の屋根は平らになっていた。御者が振り返り苦笑いしている。今日はスカートじゃなくて良かった。そう思いながらリタは胡坐を組んで座る。

 吹き抜けていく風が長い髪を後方に流していく。遥か遠く、地平線まで続く草原に感動を覚えつつも、まだ先は長いと溜息が漏れたのは仕方が無いことだと言えるだろう。


「あー、でもこの季節はやっぱり最高」


 リタは屋根に仰向けに寝転がる。空は高く、雲が流れていく。


「ふあ……」


 欠伸を漏らしたリタは、いつの間にか心地よい微睡に落ちていった。



 リタが目を覚ますと、正面にはエリスの寝顔があった。いつの間にか登ってきていたのだろう。日も少し落ちて地平はやがて橙色に染まりつつあるようだ。エリスの銀髪もまた、まるで彼女の瞳のように琥珀色に染まっている。


 リタが体を起こし風景を眺めていると、やがてエリスも目を覚ましたようで隣に座った。

 馬に乗った騎士の集団とすれ違う。一人の騎士が、じっとこちらを見つめている。そして、そのまますれ違いざま、こちらを見ながら落馬しそうになっているのを苦笑して見送った。


「エリスに見とれてたんじゃない?」


「多分、二人だよ」


「そうかもね」


 リタが振り返ると、その騎士はまだこちらを見ていた。仲間からからかわれているようだ。リタは小さく手を振った。それくらいの優しさがあってもいいだろう。


「ねえ、お姉ちゃん?」


 エリスはまだ眠いのか、いつもより少し小さな声で問いかけた。


「何?」


「お姉ちゃんってさ、将来どうするの?」


「どうって?」


「ノエルさんを探すのも分かるんだけどね、きっとその人にも人生があって、お姉ちゃんにも自分の人生があるじゃない?」


「うーん。私は、ただノエルさえ幸せなら――」


「ダメだよ。自分の人生を生きることを諦めたら」


「……でもね、前も話したけど。正直、私は異物だから、さ。どう生きていいかなんて、分かんないよ」


「いいんだよ」


「ん?」


「多分だけど、最初から分かる人なんていないから」


「……そうかもね。じゃ、エリスは?」


「教えない」


「えー」


 笑い合うと、姉妹は肩を寄せ合い静かに寄り添った。




 その日も、その次の日も、特に何もなく過ぎていった。宿場町のご飯は十分に満足できるものであったし、野営の日のご飯もまた楽しめた。


 それから数日。旅が後半戦を迎えた頃には、既にリタは食事にしか興味を示さない人形と化し、まるで馬車備え付けの飾りのように車内で無の境地に至っていた。エリスは持ってきた本は読み終えていたが、姉は無反応で会話に応じない。クロードは相変わらずだらだらと酒を飲み、リィナは眠っている。


(なんか、憧れてた旅と違う……)


「王都まで走ろ」


「え?」


 いきなり、意味不明なことを言い出したリタは無表情で立ち上がり扉を開け放つと、そのまま常軌を逸した速度で、砂埃を巻き上げながら走り去って行った。


「え? えぇ~……」


 どうせ走るのに飽きてすぐに戻ってくるだろう。エリスはこの時はまだ、呑気にそう考えていた。姉が稀代のトラブルメーカーだと知っていたはずなのに。




 暫くすると、顔を真っ青にしたリタが転移で戻ってきた。ちゃんと人に見られないように転移を使ったのか心配になる。御者は腰を抜かすかもしれない。だが、リタは汗を掻き、息も荒く尋常じゃない様子である。


「エリス! ヤバい! 今回は本当に!」


「どうかしたの? 誰か轢いた?」


「王子」


「は?」


「王子轢いちゃったみたい。テヘッ」


「……どうゆうこと?」


「なんか高そうな服着てる男の子がさ、馬車の影から急に飛び出してきてね、私もぼーっとしてたから撥ね飛ばしちゃったんだ。そしたらさ、周りの人が血相変えて王子! とか騒ぎ出しちゃって。というかね、あんだけ爆走してる少女いたら普通避けない?」


「そんな傍迷惑な少女は普通走ってないよ。……で?」


「全力で逃げてきた」


「ごめん、聞かなかったことにしておくから、すぐに出て行ってくれる?」


「それは許して~」


 とはいえ、何処まで顔を見られたのか分からないが、姉が逃げても自分が疑われることは明白である。二人で転移して逃げてもいいが、手配などされた日には大変だ。


 エリスはまた頭を抱えることになった。

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