王都への長い道のり 1

 とある朝、クリシェの街のアステライト邸では早い時間から庭で身体を動かすクロードと、眠たそうな眼を擦りながらそれに付き合うリタの姿があった。


 早朝ではあるが空は徐々に白み、澄んだ空気を照らす。朝露に濡れる緑は力強く、太陽の光を浴びて煌めいている。

 リタは大きく息を吸い込む。

 やっぱり、生命溢れるこの季節が一番好きかもしれない。遠い目で、いつか生きていた汚れた惑星を思い出し、今の幸福を噛み締める。


 グランヴィル王国は、初夏を迎えようとしていた。



 クロード・アステライトは今年で三十二歳を迎える。死地を幾度となく潜り抜けてきた貫禄はあるが、その肉体は若々しく、自身もまだ成長の余地があると感じていた。冒険者時代よりも、今の方が強い自信がある。そしてそれは、最愛の娘たちのおかげだと彼は知っていた。彼女たちに戦いの術を教えながら、自身もまた学んでいくのだ。


「よし、そろそろ準備するか」


 しっかりと汗を流したクロードは、寝ぼけながら謎の踊りを踊っているリタに声を掛ける。


「ふぁーい」


 欠伸を噛み殺しながら答える娘に、苦笑いを零しつつ二人は玄関を潜っていった。



 リビングからは、食欲をそそる香りが漂っている。キッチンには家族四人の朝食にしては、あまりにも膨大だと思われる量の食材が並んでおり、母と妹がせっせと支度してる。これから始まる、長い旅路に備えてだ。


 そう、一家は王都に向けて出発の朝を迎えていた。


 簡単な朝食は既にダイニングテーブルに用意されていた。どうやらエリスとリィナは既に済ませたようだ。クロードは汗ばむ身体を水で流すようだが、汗一つ掻いていないリタは、さっさと着席すると木製の皿に盛られたパンにかじりつく。少し冷めているが、仄かに甘く小麦の香りがするパンを口一杯に頬張る。詰め込みすぎて、喉に詰まりそうになるのを野菜のスープで流し込み、次々に嚥下していく。


「リタ? お行儀が悪いわよ?」


 相変わらず食欲が先行し、次々に朝食を咀嚼していく娘を見て心配なったリィナが声を掛ける。


「ふぁふぁった」


「分かってないでしょ? 絶対にシャルロスヴェイン公爵のお屋敷ではちゃんとするのよ……?」


「ふぁーい」


「……お姉ちゃんには無理だと思う」


 母と妹の視線をものともせずに、リタは食事を楽しむ。塩気の強いチーズと、オリーブのような実をパンに挟むと、大きく口を開けてかぶりつく。少し硬めのパンを噛みちぎると、チーズの塩気が広がっていく。咀嚼すればオリーブのような酸味と瑞々しさが香り立ち、最後にもう一度小麦の香ばしさが鼻を抜ける。相変わらず、この世界のご飯は抜群に美味い。これは何年生きても飽きることは無いかもしれない――太らないようにしなくちゃ……。そんなことを考えながらも、リタの手は止まることを知らずにいた。


 満足いくまで食事を楽しんだリタは、仕上げとばかりに山羊のミルクを一気に飲み干す。


「ふぅ……」


「まるでおっさんだな」


 風呂上がりのクロードが笑いながら声を掛ける。


(前世のことを思い返せば、笑うに笑えないんですけど……)


「デリカシーの無い男は嫌われるんだよ? パパ」


「でりかしー?」


「ううん、こっちの話」


「それはいいが、ちゃんと準備は出来たのか?」


「うん、まあどうにでもなるからね」


 そう言ってリタは笑った。最悪、いつでも転移で戻れるのだ。魔法とは斯くも偉大なりしや。だが、行ったことのあるところや、自分がはっきりと認識出来る場所にしか行けないのが問題ではあった。まさか、王都まで快速の馬車で二週間もかかるとは予想もしていなかった。リタは途中の暇つぶしの手段を考えないといけないなと思っていた。


 父が食事を摂る間も、エリスとリィナは次々に保存食などを用意し、容器に詰めていく。リタは早々に手伝うことを諦め、部屋に戻ると武装の点検を行う。今回は、以前エポスに旅行に行った時よりも更に成長したことであるし、ミスリルの長剣を帯剣して行く予定である。使う機会が無ければいいと思う気持ちと、やっぱりイベントが無いとつまらないという気持ちの両方がせめぎ合う。そんなことを口に出せば、きっとエリスに睨まれるだろうが。


 机の上に大切に置いてある、キリカからの手紙をそっと撫でた。もうすぐ、会える。――あれから六年弱の歳月が流れた。きっと彼女も、美しく、そして強く成長していることであろう。


 あの日、君と見た朝焼けを、私は今でも思い出す。

 君の瞳越しに見た、あの光の眩しさを。


 本当は、少しだけ怖い。

 変わることが、変わったことが。

 だから、私は君に会いに行く。


 あの時、私が感じたことが、世界の真実だと証明するために。



「さぁ、行こうか」


 自分に言い聞かせるようにリタは呟くと、家族の待つ階下へと向かった。



 二週間分の荷物ともなれば、大荷物になる。転移で運んでもいいが、流石に周囲の目が怖い。しかし、チャーターした快速馬車は家の前まで迎えに来てくれたようで、御者とクロードが次々に荷物を搭載していく。


 これは、馬? 以前の馬車とはまるで違う、黒い毛並みで筋肉質。そして何より目を引くのが、八本の足。そんな謎の馬っぽい生物が四頭つながれている。

 その様子を観察するようにリタは周囲を興味深そうに歩く。


(前世のゲームだと、スレイプニルとか呼ばれてそう)


 客車も以前乗ったものとは異なり、黒く塗られ重厚な仕上がりである。完全な箱馬車になっているようでまるで客室だなとリタは思う。

 魔人騒動の報奨が出たと聞いていたが、随分と奮発したようだ。少なくとも、以前エポスに行った際に乗ったような馬車で二週間はあまりに苦痛なので、喜ばしいことであることは違いない。


 日はもう高く上がっている。今日はどこまで進むんだろうか。


 リタは期待に胸を膨らませ、馬車に乗り込む。室内も清潔で、思いのほか広く感じた。ソファのような客席が向かい合うように設置されており、背もたれ部分を取り外して敷くことで座面をフラットにも出来るようだ。床にもふかふかの絨毯が敷かれている。内装も、黒く塗られた木製の収納に、グレーの客席、ところどころにあしらわれた朱色の飾りと、落ち着いた色合いで高級感を醸し出している。


 リタは早速、エリスと隣り合って客席に腰掛ける。沈み込むような柔らかさ。これは中々に快適な旅が出来そうだ。早速、荷物から焼き菓子を取り出すと、まだ出発しても無いのに頬張るリタ。


「お姉ちゃん、早すぎ。――太るよ?」


「……大丈夫、多分」


 リィナも笑っている。やがて、御者と何かを話していたクロードも乗り込むと、馬車の扉を閉じた。

 街中ということもあってか、ゆっくりと穏やかに馬車は動き始めた。室内は静かで、今のところ大きな振動は感じない。



 ――旅が、始まる。

 ああ、このワクワク感、たまんないな。それから、この焼き菓子も。


 初めての王都への旅路は、穏やかに始まった。

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