リタ・アステライトの貞操を守れ!?
クリシェの街はすっかり春を迎えている。
アステライト邸の庭も色づき、鳥の囀りや木々のせせらぎも、まるで生命の賛歌と言わんばかりに景色を彩っている。
そんなある日の午後、アステライト邸の庭には剣を振るう少年少女の姿があった。
アステライト一家が王都に行くまでにはまだ少し日がある。今日も変わらず、稽古に励むいつものメンバーであったが、リタはその中で退屈そうな表情を隠せないでいた。
クロードは変わらず多忙な毎日を送っている。既に姉妹の剣の腕はかなりの上達を見せており、最近は専ら姉妹が、二人の少年に剣を教える日々と化していた。
ラルゴ・ヤンバルディは今年十一歳を迎える。アステライトの姉妹にとって最初の友人であり、幼馴染と呼べる存在である。背も良く伸びており、同年代よりも遥かに体格がいい。以前より少しだけ髪の毛も伸びているが、横や後ろは短く刈り上げられており、変わらず活発そうな印象を与える。成長に伴い、顔つきは穏やかさを増したように思える。これは恐らく、長い間姉妹、特にリタに虐げられてきた結果なのかもしれない。
まだ子供にして、これほど苦労人という言葉の似合う存在はいない――というのが、慈善学校の男子グループの一致した見解である。しかしながら、彼の両親は息子が丸くなったと非常に喜んでいるようだ。
もう一人、遡れば五年以上前より、稽古に加わったのがミハイル・フェルトシアであった。彼と姉妹はエポスの街への旅行の際に出会い、クリシェに戻って以降、稽古に参加するようになった。彼もまた、幼馴染の一人と言えるだろう。彼は美しいプラチナブロンドの長髪を肩まで伸ばし、色白で鼻筋もすっと通ったいかにも美少年といった風貌である。また細身で背は高く、ともすれば12歳になるとは思えないほど大人びた風貌であるが、決して貧相な体つきでは無く、必死の努力の末に手に入れた強靭でしなやかな筋肉に支えられている。
クロードは、日々美少年に成長していくミハイルに娘たちが誑かされないか、気が気では無かった。
彼ら二人は、まさしくライバルであった。姉妹にはまだ遠く及ばない。だが、せめて隣の男には負けたくない。そんな気持ちで二人もまた、大きく成長していた。しかしながら、現時点ではミハイルがリードしているのは間違いない。それは姉妹からの扱いひとつとってもそうであった。
「ねぇ、ちょっと暇なんだけど、模擬戦でもしない?」
リタはいい加減、代り映えしない稽古に少し嫌気がさしていた。エリスとやるのもいいが、毎回やっていることだ。もっと刺激が、変化が欲しい。
だが、この時はこの一言が後にどんな事態をもたらすのか、まだ気付いていなかった。
リタの呼びかけにギョッとしてしまう二人の少年を責められるものはいないだろう。間違いなく毎回一方的にボコボコにされ続けているのだから。
「だってよ? どうするミハイル?」
「僕より、ラルゴの方こそどうなんだい?」
爽やかにその長髪を掻き上げながら、グレーの瞳でこちらを見据えるミハイルに、ラルゴは少しイラっとしながら答える。
「いやいや、俺に勝ち越してるじゃないですか、ミハイル
「ふーん? 剣の稽古じゃ君の方が先輩だったと記憶してるけれど? 臆したか?」
「は? そんなんじゃねーし」
エリスはいつものやり取りを始めた二人の少年を、生温かい目で見ながらさっさと剣をしまうと木陰に行って座り込んだ。
「はいはい、分かりました!」
いきなり、ぽんと手を叩いたリタが話を遮る。
「ラルゴもミハイルもさ、もっと本気になっていいんだよ? 私たちが
「あ、いや、そういう訳じゃないんだが……」
ラルゴは少したじろぐ。
「リタちゃんとエリスちゃんがとても素敵だってことは間違いないけれどね?」
そう言って爽やかにウインクしている優男を見て、ラルゴはさらにイライラが募る。こいつは何しに稽古に来てるんだと。――しかし、こいつはこう見えて結構強い。それがまた腹立つ。
「じゃあ、そうだ! 本気になれないなら、こんなのはどう? ――もし、私から一本取れたらキスしてあげる」
アステライト邸の庭を沈黙が駆け抜けた。
――――今、姉は何と言った?
エリスはすぐさま剣を握ると、音もなく姉の横に立った。
少年二人は完全にフリーズしてるようだ。姉は、調子よく続けている。
「君たちも男の子だし、どう? 私って多分それなりに美少女だと思うんだけど――燃えない?」
姉はそう言って首を傾げている。今日も可愛い。
「べべべべべべべ別に、そそそそそそそんな事で、ほ、本気になるほど、お、俺は――」
ラルゴは瞬時に沸騰したかのような真っ赤な顔で、視線を彷徨わせながら答える。
(はい、馬鹿が一匹釣れました)
エリスは汚物を見るような目でラルゴを見る。相変わらず分かり易い少年だ。その想いに気付いていない姉もどうかと思うが、教えてやる義理は無い。
「い、いや、そんな……うん。――や、やる。やろう、是非」
明らかに狼狽えているが、取り繕って答えるミハイル。
(おい、さっきまでの余裕そうな表情はどうした)
エリスは思わず頭を抱える。
「い、いや、俺も、はははは初めての、き、き、き、キスが、リタって言うのは、ちょっと……うん、あれなんだが――」
「だったらラルゴは下がっているといい。僕は初めてがリタちゃんだったら嬉しいからね」
少年二人の覚悟は決まったようだ。そうだろう、そこに百分の一でも勝機があれば賭けざるを得ないのだ。そうしなければ、生涯届かないかもしれないのだから。
そう、だから――姉の貞操は私が守る。
いや、違う。
エリスの両目には闘志の炎が燃え上がる。
「あ、あのさ……誰も、口にとは――――」
「お姉ちゃんの初めては、
「え、エリスさん?」
エリスは有無を言わさず続ける。
「お姉ちゃん、ルールは?」
――――どうしてこうなった?
リタは目の前の三人から、尋常じゃない気配を感じていた。だが男子二人、お前たちは普段からそれくらいの闘志を見せろ。よく分からないが、敗北すればとんでもない結末を迎えそうな気がする。
きっと捕食者に狙われる獲物はこんな気分なんだろう。背筋を一滴の汗が流れていった。――だが、面白い。今日はいつもより楽しめそうだ。
それにしても、どうしてエリスはにやけながら舌なめずりをしているんだろうか……普通に怖い。
「分かった、三人同時でいいよ。君たちの勝利条件は私から一本取ること。ただし、ご褒美をあげるのは……一本取った人だけね、一応。それから、私の勝利条件は、全員をぶちのめすこと。質問は?」
「得物は?」
ラルゴが無駄に精悍な顔つきで聞いてきた。普通に気色悪い。
「勿論、真剣に決まってるじゃん。一応、殺さないように手加減するけれど、指の一本や二本は覚悟してね? それから、そっちは――――殺す気で来い」
そう言いながらリタは、訓練用の鉄剣を抜き放った。リタの発する異様な気配に、少年二人は少し後ずさる。しかし、エリスは反対に口元を吊り上げている。
「ラル君、ミハ
エリスは少年達に声を掛ける。仲間であり、敵である二人に。二人も剣を手に取って構えた。その瞳にあるのは強い意志。必ず、他の二人を出し抜き自分が一本取って見せるという覚悟。
「分かった。けれど、一本は譲らないよ、エリスちゃん?」
笑みを浮かべて答えるミハイルと、静かに頷き目を閉じるラルゴ。
「じゃあ、月並みだけどこの鞘が地面に落ちたら始めようか」
リタはそう言うと、何の気負いもなく左手に持っていた剣の鞘を上に放り投げた。鞘は回転し、日の光を反射しながら宙を舞う。
そしてそれは、誰もが長く感じた時間の後、地面に落ちた。
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