新しい朝とそれからの色々
参ったね――――起きられないじゃん。
リタは隣で左腕を抱いて眠るエリスの顔を眺めていた。いつもは朝が早いエリスだが、昨日は流石に疲れたのだろう。今日はまだぐっすり眠っている。エリスの目には微かな涙の跡。リタはエリスに向き合うように寝返りをうつと、右手の親指でそっとそれを拭った。
左腕は痺れているが、エリスの幸せそうな寝顔を見ていると動かすことは憚られた。
リタはその顔に満足げな微笑みを浮かべて、優しく妹の頭を撫でる。指の間を流れるエリスの髪の毛の、どんな上質な繊維よりも滑らかな感触を楽しみながら、リタはゆっくりと手を動かす。
昨夜は、少し恥ずかしいことを口走った記憶もあるが、まあ今更であろう。
(もう少しくらい、このままでいようか)
規則正しいエリスの寝息が、リタの首筋をくすぐった。思わず身をよじってしまう。
「……んみゅ……お姉、ちゃん……?」
エリスの両瞼が薄っすらと開き、その琥珀色の瞳に徐々に意志の光が灯る。そしてエリスは、目をこすりながら、上体を起こした。
窓から射す朝陽がエリスの銀髪を照らし、外の雪景色に呼応するようにリタの視界を白銀で埋め尽くす。リタも上体を起こすと、左腕の痺れを取るように軽く動かした。
珍しく、眠そうな顔のエリス。薄手のパジャマの胸元は少しはだけており、鎖骨が覗いている。
「ごめん、起こしちゃったかな?」
「いいよ……?」
そう言ってエリスは、力なく両腕を広げてリタにしなだれかかる。こんなエリスは珍しいなと思いつつ、リタはそっと抱き締めた。最近、距離が空いていた反動かもしれない。それとも、手を汚した後悔だろうか。
リタはエリスの柔らかな髪に埋もれるように側頭部に頬を擦りつける。エリスの温かな吐息がパジャマの隙間から胸元を少し湿らせた。
「そろそろ起きよっか?」
十分にエリスの匂いを堪能したリタの問いに、同じく姉の香りに溺れていたエリスは上気した頬を隠すように下を向いたまま答える。
「――もうちょっと……」
「分かった」
リタは微笑みを浮かべ、そう答える。
それは、よく晴れた冬の朝。
穏やかで幸せな、新しい朝であった。
リタは、その日、両親に自分の前世のことを話した。
ノルエルタージュを守り、救い、幸せにする。絶望の淵に立って尚、誰かの為に気高く生きた彼女。自分に二回目の人生と、生きる意味を与えてくれた彼女に恩返しをするために転生したこと。
彼女を探し、大人になり彼女が了承してくれるのであれば、共に世界を旅するつもりであると。
そのために、どんな困難をも打ち砕く力が、知識が必要だと。
両親は真剣に聞いてくれた。リィナからはノルエルタージュとの関係性について、かなりしつこく訊かれることになった。その時のリィナの顔は完全に乙女モードだったし、仕方がないことであろう。とはいえ、前世が男だった記憶がある自分を娘として気味悪がらずに受け入れてくれたことは、リタにとっては嬉しかった。クロードは少しだけ、複雑そうな顔をしていたが今は女の子としての自認があって、女の子として生きていくと言うリタの言葉には強く頷いてくれた。
両親からは、男爵に封ぜられる切っ掛けとなった事件のことを聞いた。
王都周辺で、集団失踪事件が起きていた際、両親の所属していた冒険者パーティーが調査を依頼されたこと。調べると、紫の肌の謎の人物に行き当たり、自らを魔人と名乗り戦闘になったこと。
リィナの実兄であり、当時パーティーのリーダーだったリィンハルトが、クロードをかばって魔人に殺されたこと。激戦の末に、クロードが魔人を討ち取ったこと。
その人がいなかったら、私はこの家族に生まれていなかったんだろう。
(ありがとう、リィンハルト伯父さん。今度、墓参りに行くよ。)
少しずつ、人生でやるべきことが増えていく。以前の自分であれば、そんなものは必要ないと割り切っていたかもしれない。今でも、優先順位はある。けれど、悪くないな、とリタは思った。
――――それから数週間は瞬く間に過ぎていった。
クロードは魔人騒動の後始末に追われている。流石に姉妹が魔人を殺したというのは信じてもらえなかったらしく、家族全員で三人の魔人を討伐したという結末で国には報告されるようだ。とはいえ、誰が聞いても殺したのは両親だと思うに違いない。
魔人の件で調査団が王都から派遣されると聞いたリタは慌てて、魔法で吹き飛ばした一帯にできた巨大なクレーターを隠蔽するためにひたすら魔法で整地することになった。魔物数万のことは、確実に誰も信じないためそもそも報告していないようだ。
魔人殺しにしても魔物の件にしても、リタとしては、特に自分が名声を得たいとは思っていないから構わないし、むしろ現時点ではあまり目立つつもりは無かったのだが、恐らくそうもいかないだろう。
住民たちを恐怖させた謎の存在。――S級冒険者をも屠った魔人、それも複数を領主自らが討伐したのだ。魔人の存在自体は、この件を機に住民たちが知ることになったのだが、クリシェの街はお祭り騒ぎである。皆が両親を英雄視しており、戦場に同行した姉妹にも住民がよく話しかけてくるようになった。そしてその度に、断っても食材などを押し付けられるのだ。
恐らく――
そんな慌ただしい日々の中でも、両親は姉妹のことをよく気にかけてくれた。魔人を殺したことを気に病んでいないか、心配してくれているのだろう。
事実、リタとエリスはすっかりこれまで通り、とはいかなかった。
これまで以上に、べったりとくっつき、お互いに甘え、甘やかしている。
リタは変わらずエリスを気遣い続けている。そのうえで、周囲の人目が無い時にはエリスに魔法を教え、身を守るための戦いの術も、前世の知識も教えている。
エリスは姉に遠慮することがなくなった。姉の力は隠さなければならない程度のものだと実感したし、その秘密も知ったからだ。けれど、姉が侮られるのは許せない。姉が私に合わせるのなら、私が世界で最も優れた魔術師――いや、魔法師になればいいだけだ。そう考え、努力を続けている。
やがて、少しづつ気温も上がり春の訪れも近いと感じ始めた頃、王宮より一通の書面が届く。
どうやら正式に、アステライト
「はぁ、謁見だとよ……別に爵位も大して欲しくないし、気が重いな」
溜息をつきながらクロードはその書面をテーブルに広げる。
「あなた、陛下は寛大な御方だけれど、粗相はしないようにね」
リィナは笑っている。
「ねぇ、私たちも王都一緒に行くんだよね?」
リタは目を輝かせながら問う。
「そうだな、リィンハルト義兄さんの墓参りも兼ねて、一緒に行くとしよう」
そう言ってクロードはリタの頭を撫でた。
「やった! 私、ちょっと会いたい人がいるんだ!」
「何……!? 男じゃないだろうな?」
急に視線を鋭くしたクロードに、思わず苦笑いするリタ。
「違う違う。私の親友キリカが王都に住んでるんだ」
「お姉ちゃんが前に話してた子だよね? 実在したんだ……」
心底驚いた顔をしているエリスには、後ほど説教が必要であろう。
「そうそう、リュミール湖で会った子。王都に来るときは遊びに来てって言ってた!」
「ああ、そういえばお洋服を破いたって言ってたわね。ちゃんと謝らないとね……きっと貴族か裕福なお家なんでしょう。フルネームは?」
リィナは何かクリシェ周辺の特産品で高級なものから選んで土産物を持っていかなければと考えていた。幸い魔人騒動の解決に伴い、少なくない額の報奨金が出ている。
「知らない」
「え……? 知らないでどうやって会うの?」
「王都で名前出せば分かるって言ってたよ?」
リィナは顔が青くなる。クロードも真っ青な顔だ。王都はクリシェの街なんかとは規模が違う。数十万の人間が暮らす国一番の大都市だ。恐らくエポスに別荘のあるような家柄だろうから、貴族街などで絞り込める。だが、それにしても子供の名前だけで家が分かるということは、よっぽど有名な名家ということだ。
「ちなみに、その子の家に行かないという選択肢は?」
クロードは冷や汗を掻きながら聞いた。
「あるわけないじゃん! 約束したんだから!」
「お姉ちゃんの親友になるような奇特な人に私も会いたい!」
クロードとリィナは、この時はまだ、時間が無かったなどと誤魔化すことも手だと考えていた。何年も前の話だし、そもそも向こうは恐らく大貴族。その令嬢であれば、多くの人間と関わりを持っているはずだ。リタのことなど忘れているかもしれない。
それが手遅れだと知ったのは、翌日のこと。
ギルドの配達員が丸めた上質な羊皮紙を配達してきたからだった。
「うん? リタ宛に手紙……? おい、リィナこの封蝋ってどこの家だ?」
リィナは、クロードから手渡された手紙を留めている封蝋を眺め、目を見開く。
「これ……? ――――ッ! ……シャルロスヴェイン公爵家よ」
「公爵家から!? 差出人は?」
「キリカ=ルナリア・シャルロスヴェインですって……リタが言ってた娘ね」
「……俺、王都で死ぬかもしれん」
二人は揃って天を仰いだ。
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