とある姉妹の事情
リタはそれから暫く家族と抱き合って泣いていた。
後になって思い返せば、この時からだって思うだろう。
そう、ようやく彼女達は本当の意味で家族になったのだ。
「――――さて、そろそろ魔人の死体回収して帰るか?」
「パパ、そう言えば大げさな武装してるけど、今日何か活躍したっけ?」
「クッ……エリス……それは……」
リタを気遣ってか、明るく振る舞うエリス。エリスの家出を追いかけてたはずが、いつの間にかおかしな事態になってしまった。けれど、結果としては及第点と言えるだろう。リタの足取りは軽い。
「寒……あーあ、袖吹っ飛ばしたのは間違いだったなあ」
「リタ、その腕はそのままにしておくの?」
リィナが心配そうにリタの顔を除き込む。
「ちょっと、反省の意味も込めてこのままにしとこうかなって思ったんだけど、痛くて服着れないし、流石に寒いから治そうかな」
魔眼が微かに輝くと、瞬時に傷一つ無い両腕となった。
「あら、詠唱しなくても出来るのね?」
「あ、あはは……」
四人は並んで歩く。その足跡は、戦場には不釣り合いなほど楽し気に揺れていた。
クロードとリィナは、冒険者ギルドに、事の顛末を報告しに行っている。
寒空に冷えた身体を温めようと、姉妹は一緒にお風呂に入っていた。
リタは湯船に浸かりながら、身体を流すエリスの後姿を眺めていた。濡れる銀髪はしっとりと輝き、上気した乳白色の肌を水滴が滑る。なだらかな曲線を描く細い肢体には傷一つ無く、髪を流す時にかきあげた髪の隙間に除く白いうなじに視線が吸い寄せられる。本当に綺麗だと、リタは思う。
「ねぇ、お姉ちゃん? そんなに見つめてどうしたの?」
「うん? 相変わらずエリスは綺麗だなって思って」
「それって、双子の姉としては自画自賛?」
「いや、エリスだからだよ」
「へぇ? もしかして、これまでもずっとえっちな目で見てたのかな? お姉ちゃんは。それとも、
エリスは小悪魔じみた上目遣いで、少し腰を曲げリタを見つめている。必死で無い胸を張っているところも、恥ずかしいのか頬を染めているところもとても可愛らしい。でも大丈夫、微かな二つの膨らみには希望が詰まってるんだって、昔見たアニメのキャラも言っていたから。
(まぁ、私も無いんだけどね)
「いや、それは無い。……それから、普通にお姉ちゃんでいいよ」
自分の平坦な胸を見て即答したリタを、エリスはジト目で見ている。
「でも、前は男だったんでしょ」
「うん。でも、今は普通に女の子だよ。残念ながら」
「残念なの?」
「わかんない……」
(はぁ、これから成長したらムダ毛処理とか、女の子の日とか経験するのか、私……)
なんだかやるせない気持ちにもなるが、前世の冴えない風貌よりはきっとましだろう。だが何故だろう、自分が淑女に成長して何処かの男と添い遂げる未来は全く見えない。自分が今は女だという自覚はあるが、男に対して異性だと意識することは一度も無かった。
「ふうん?」
ちょっと不機嫌に唇を尖らせたエリスが、浴槽に入ってくる。
「何でエリスが不機嫌になるの?」
「教えない」
そう言ってエリスはリタに背中を向けると、リタの足の間に座った。ほんの少しだけ空いた隙間を埋めるように、リタは後ろからエリスを抱きしめた。エリスの両腕の下から手を回すと、エリスの微かな膨らみに触れた。小さくても、ちゃんと女の子の柔らかさを感じるんだな、とリタは思う。
お湯の温かさと、エリスのきめ細やかで滑らかな肌から伝わる体温が、リタを温めていく。エリスの濡れた髪が頬に張り付く。そのままエリスの首筋に顔を埋めるようにしながら、エリスの香りを思い切り鼻から吸い込んだ。
「ねぇ、前から思ってたんだけど――お姉ちゃん、私の匂い嗅ぎすぎじゃない? ……もしかしてだけど、臭う?」
「いや、いい匂いだよ。私、匂いフェチだから」
「フェチ……?」
「ああ、それは私の前世の言葉だから、そのうち話すよ」
そう言いながらリタは乾いた笑いを漏らした。
「言葉の意味は今度でいいけど、聞かせてくれる? お姉ちゃんの前世の話」
「そうだね、じゃあ私がこの世界に来る前の話から――」
「待って。どういうこと? まさか異界の魔法詠唱者って本当なの?」
「うん、そのまんまの意味だよ。私は元々、異世界人だから。向こうで色々やらかして死んで、ノエルにこっちに転生させてもらって、そのあと邪神倒して、自殺して、今の私に転生したんだよ」
「はぁ、相変わらず訳わかんない。しかも、前世からそうだったなんてね……」
「じゃ、長くなるけど聞いてね――――――――」
暫くして、帰宅した両親はぐったりした姉妹の様子を見て苦笑いを隠せなかった。
「で、のぼせたと」
「うん、そうみたい」
リィナの問いにエリスも苦笑いで答える。リタは先に子供部屋のベッドに寝かされている。エリスも少しフラフラだった。
「今日は疲れたでしょ? また明日にでもゆっくりお話ししましょう?」
そう促され、エリスも一杯の水を飲むと子供部屋に戻っていった。
リタは自分のベッドでぼーっと天井を眺めていた。これまで、何年も見てきた天井。それでも、今日は少し違って見えるのは、微かでも前に進んだという自覚があったからだろうか。
扉が開き、人影が近づいてくる。
「エリス……」
リタはもぞもぞと左半身に感じる温もりに、そう声をかけた。普段は姉妹は別々のベッドで寝ているが、今日は色々あったため、エリスにも思うところがあったのだろう。まだ幼い女の子なんだ、その手が既に汚れてしまったという事実に恐怖を感じていても仕方がないのかもしれない。
エリスは、横からリタに抱き着いてきた。リタはそれがとても心地よく感じた。エリスの左足がリタの両足の間に割り込んでくる。この季節に薄手のパジャマを着る妹の足先は少し冷たかった。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「うん、ちょっとのぼせただけだから」
「何かして欲しいことはある? 何でも言って?」
「うーん、何か……いや……さすがに、それは……」
「遠慮せず言って?」
「……やっぱりいいや」
「言いなさい」
「はい。……あの、さ……さっき、お風呂で言ってたことなんだけど……」
「うん」
「言いにくいんだけど、さ……一回だけ、お兄ちゃんって呼んでくれる?」
リタは恥ずかしそうに顔を逸らした。耳が真っ赤になっている。エリスは思わず笑みを零す。それをとても嬉しく感じながらも、少しだけ仕返ししたくなった。
「ふーん。……やっぱり、そうだったのかな?」
エリスはわざと勿体ぶって話す。
「ごめん、やっぱりいいや」
「嘘だよ。……ね、どんな風に言って欲しい?」
流石に意地悪だったかなと思いつつも、姉がどんな風に返すのかが気になりエリスの鼓動は高鳴る。
「よくぞ聞いてくれました!」
リタはがばっとエリスの方を向くと、両手でエリスの両肩を掴んだ。
「へ?」
リタの輝く瞳に、思わず目を白黒させるエリス。
「それは、ある日の昼下がりのこと。両親は仕事で不在。普段はクールでカッコいい、近所でも評判のいいお兄ちゃんなんだけど休みの日はだらけて中々起きてこない。そんな兄を、いつも仕方がないと言いながらも本当は大好きな妹が渋々と起こしに来て、わざとらしくツンとして起こすんだけど、目を覚ますと朝ごはんの匂いが――――」
「長い」
「すいません」
そう言って力が抜けたリタは、仰向けに戻る。
もう一度、エリスは横向きに抱き着くと、リタの両足の間に左足を潜らせて足先をこする。
左手でリタの太ももを撫でると、優しくその手を上半身に這わせていく。
「エリ、ス……?」
姉はくすぐったそうに身をよじる。少しだけ、その瞳は潤んでいるように見えた。窓から射す月明りがリタの少し乱れた髪を照らした。
(お姉ちゃん、可愛い)
そうして、エリスの左手は、リタの首筋をなぞり右の頬に添えられた。
エリスはリタの左耳にそっと囁く。
「大好き、お兄ちゃん」
そして、リタの柔らかな頬にそっと口づけた。
「我が人生に一片の悔いなし!!!」
「いや、あるでしょ」
「……」
リタは気を失ったようだ。
「はぁ」
白目を剝いているのも気味が悪いので、エリスはそっとリタの瞼を下した。
ずっと、胸が高鳴っている。
自分の唇に思わず手を当てる。姉は安らかな顔をしている。エリスはリタの頭を撫で、髪の毛をそっと整えた。白磁の芸術品のような美しさから目が離せない。
「……エリス」
小さく動いた唇が名を呼んだ。私の名前を――。
薄く形のいい、柔らかそうで瑞々しい薄桃色。
「……ん」
気付けば、エリスは自らの唇を押し当てていた。柔らかな感触に優しい姉の匂い。そしてほんのり甘い味がした。ゆっくりと顔を放す。混じり合った唾液が糸を引き、宙に光るアーチを形作る。それを左手の甲で拭う。
「何やってんだろ……」
顔がとてつもなく熱い。多分のぼせてしまったからだろう。息も苦しい。心臓が破裂しそうだ。思わず隣の自分のベッドに飛び込むと、枕に顔を埋め両足をバタつかせる。
「――――ッ」
(でも、普通の姉妹はキスくらいするよね。うん、間違いなく。絶対にそう。)
だから、今日くらいはいいよね? エリスはもぞもぞと姉のベッドに戻り、赤い顔でリタに覆いかぶさると、思いきり抱き締めた。その首筋に顔を埋め思い切り匂いを嗅ぐ。
(いい匂い。そして落ち着く。――癖になるのも、ちょっとだけ分かるかも)
エリスは、少し笑うと、もう一度だけ姉の唇に優しくキスをして眠りについた。
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