エリスの家出騒動 3

 エリスが、首飾りに魔力を注ぎ、起動呪文を唱えた瞬間――周囲には分厚い障壁が出現した。エリスの身体の傷は消え、体内の魔力が活性化する。可視化出来るほどに唸りを上げて周囲から吹き上がる魔素マナが周囲にいくつもの不可思議な模様を形作る。エリスは全身に力が漲り、感覚がどこまでも鋭敏化されていくのを感じていた。


(これが、お姉ちゃんが見ている景色?)


 ジゼルは目を見開く。目の前の少女が訳の分からない詠唱をした瞬間に、まるで存在が膨れ上がったかのような錯覚を受けた。悪い予感がする。このまま傍観していては手遅れになると、彼の直感が告げていた。嬲り殺してやりたいが、計画に支障が出ても困る。


 とりあえず殺そう、いたぶるのは姉で十分だ。そう思いながらジゼルは両手に槍を握りこむと、槍に魔力を注ぐ。この槍は魔力を注ぐことで一撃の突きの威力が爆発的に増大する。槍そのものを魔力で強化し、後方からは極限まで圧縮した空気を噴射して加速するのだ。そこに魔人の膂力が更に加わる――この一撃は、強固な城壁をも簡単に砕く。


「オラァァァァア!」


 そうして渾身の一撃を少女に叩き込む。エリスは諦めたのか、何の動きも見せない。槍は分厚い障壁を容易く砕くと、瞠目する少女が構えた腕を抉り、その胸に大きな風穴を空ける――――はずだった。


「チッ……どうなっていやがんだァ!?」


 障壁はジゼルの槍を簡単に弾き返し、一切の攻撃を通さない。エリスは冷めた目でジゼルを見ている。


「ねぇ、もしかしてご自慢の一撃だったの? ――ご愁傷様」


「き、貴様ァァァァア!」


 滅茶苦茶に槍を振り回し、ジゼルは防壁を打ち砕かんとする。しなる槍の一撃一撃は、大きな岩を軽く爆砕する程だ。しかし、微塵も砕ける気配の無い障壁。そして自分を馬鹿にしたような視線の少女。


(それにしても、この障壁って私を守るのはもちろんだけど、多分詠唱時間を稼ぐためにあるんだろうな……殆ど魔力減らなかったけど、どれくらい保つんだろ?)


 エリスは思わず苦笑いしそうになるも、死地を脱した訳では無い。気を引き締めると、攻めに転じるための呪文スペルを紡ぐ。


(ちゃんと覚えておいて良かった。無駄に長いんだけど。)


「何時しか汝、破滅への祈りを抱いて眠りし。斯くて我は、永劫の圧壊をもたらさんと矛を握る。汝が道に慈悲は無く、我が道に救済は無し。我らの前に善悪は無く、我らの後に正義は無し――」


 エリスは両手を広げ、姉から教わった言葉を詠唱する。その両手の先には白と黒の魔法陣が出現する。


(見たことのない魔術式? いやこれは魔術とは根本的に違う? でも分かる――何故?)


 その答えは、魔法陣と響き合う自身の奥底に眠る魔力が教えてくれた。

 ――ああ、そうか。最初から私はだったんだ。


 活性化する魔力の奥底、魔法的に強化された視界に映る自らの深層領域に見えたのは、欠けた魂とその隙間を埋め、一体化した姉の魔力。


 私はきっと、本来は産まれるはずじゃなかった。

 けれど、どんな奇跡か、若しくは姉の気まぐれか分からないが、この世に生を受けた。

 そのことが自然に理解できた。


 嬉しい。

 こんな奇跡があるだろうか。

 あの人は私の中にも居るんだ。

 あの人の波動が、私の魂に刻まれている。


 ジゼルは相変わらず攻撃を続けているようだが、障壁の前に何ら意味を成していない。最早、その音はエリスの耳には入っていなかった。


「白きを以って天を裂き、黒きを以って理を滅す。万事悉く、嘆きの海に溺れよ――――」


 エリスは両手を交差させた。すると、両方の魔法陣から、剣の鍔と握りのようなものが出現した。


 右手に真っ白な剣、左手に真っ黒な剣。それぞれに手をかけると、まるで長年を寄り添った相棒のようにも感じた。途轍も無い波動が両手を伝わり、身体の奥底を震わせる。


 間違いない、これは世界で姉と私だけが扱える剣。

 そして、この先は人を超えた領域。


 どんな困難をも討ち滅ぼし、永劫の孤独へ堕ちる覚悟が出来たのなら、これを引き抜け――。

 自身の奥底で、魔力が、魂が叫んでいる。


 覚悟なんて、きっと産まれる前から出来ていた。

 だって私の、この命すら、あの人に貰ったものなのだから。


「今更、躊躇などしてたまるかッ! ――――共鳴せよ、シグマドライブ!」


 叫びながら、両手に力を籠め思い切り引き抜く。

 刹那、空気が震えた。

 世界が身震いをしたように。


 それは正しく魂との共鳴。

 エリスの願いを叶える為のつるぎ

 立ちはだかる壁を、理を、世界を、悉く斬り裂かんという誓い。


 そして、エリスは起死回生の魔法をその手に宿した。




 ――――エリスが、切り札を切った。


 緊急警報がリタの脳内に響く。仕込みはちゃんと発動したようだが、初めてでアレを抜くとは余程の事態かもしれない。


 オメガ・アルス・マグナはいくつもの複合魔法を展開することの出来る魔導兵器である。普段から魔素や魔力を少しずつ内部に蓄積し、起動時には自動で障壁魔法が起動する。同時に、回復と身体強化も行うようになっていた。そして、本来の機能である固有魔法が使用されたときには、リタに緊急警報として位置情報と選択された魔法の情報が届く。


 オメガ・アルス・マグナから送られてくる周辺情報を解析する。――これは魔人と、大量の魔物……?


 未だに言い争いをしている両親にリタは叫ぶ。


「パパ! ママ! エリスが危ない!!」


「どうした、リタ――」


 いきなり大声を上げたリタを見て、クロードは言葉を失う。リタの右眼は真っ赤に燃えていた。其処には二重に重なった円形の魔法陣が青白く輝いており、上下左右に十字を描くように見たことのない模様が明滅している。リタの表情も、その眼が発する異様な雰囲気も尋常な事態では無いことを示していた。


「ねぇ、リタ? その眼は――」


 リィナが心配そうに声を掛けたが、リタはそれを遮り叫んだ。


「説明は後でする! だから、二人ともを!」


「敵は?」


「魔人と、沢山の魔物」


「分かった。そいつらが相手なら、俺も出ていいよな? ――リィナ、消耗品も一切躊躇うな。すぐに全力戦闘の用意だ」


 リィナはクロードを見ると、クロードは頷いている。クロードはあの眼のことを元より知っていたのであろう。二人は慌ただしく装備を探し、準備を進める。


「冒険者組合は?」


 リィナは着替えながらクロードに問う。


「無駄だ。今この街にいる戦力じゃ足手纏いだ。リタ、数は分かるか?」


「正確には分からない。多分、魔人も複数。その中に隠蔽魔法が使える奴がいるみたい。ここからじゃ覗けない」


 リィナは一瞬、リタの姿がブレたような錯覚を覚える。そして次の瞬間には、彼女の右手には抜き身のミスリルの長剣が握られていた。彼女がいつも聖剣ミストルティン(仮)と呼んでいる剣だ。それが、どんな魔術なのかリィナには分からなかった。


 ミスリルの長剣はリタの魔力で白く輝いている。あれほどの輝きを放つ剣を、これまでに見た事はない。

 そして知ったのだ。

 娘はとっくに私達の領域を軽く超えていたのだと。


 だが、娘は私達を必要としてくれている。私達にも、出来る事がある。ならば、それに応えなければならない。


「場所は東の森。魔物はさらに東の平原。多分、例の冒険者殺しの魔人だよ――私は先に行く。だから、準備が出来たら二人でそこのに飛び乗って」


 リタがそう言うと、右眼が輝き床に一メートルほどの魔法陣が描かれる。


「転移……魔法陣……? ――止めても聞かないんでしょう? 後でちゃんと説明するのよ?」


 リタの表情を見て、止めることを諦めたリィナは苦笑いで答えた。恐らく術式であろう円形の輝く模様を一瞥する。全く見たことが無いし、今理解する事は難しいだろうと結論付けた。娘を信頼し、準備を進めるだけだ。


 クロードは、何かを紙に書き殴っている。恐らく遺書だろう。何かあればその時は、家族は誰一人この家に戻らないだろうから。


「リタ、俺が行くまで早まるな。すぐに行くから――絶対に死ぬな」


 クロードも、ようやく娘を死地に送り出す覚悟を決めたようだ。


「勿論!」


 リタはそう笑うと、何の躊躇いも無く転移魔法で姿を消した。

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