エリスの家出騒動 2

「魔人――?」


 何の予備動作も見せず、まるで呼吸をするように突き出された槍先を避けつつ、エリスは立ち上がる。


「ほう――お嬢ちゃん、中々面白いな?」


(こいつはまずい)


 脳内で警鐘がけたたましく鳴り響く。以前相対した魔人の比ではない。その雰囲気、魔力、存在の全てが桁違いと言っていいだろう。

 リィナから聞いていたが、まさかここで相対することになろうとは。


 魔人は恐らく今のでエリスを敵と見定めたはずだ。発せられる殺気に簡単に意識を手放しそうになるも、ぐっと握りこんだ両手に力を入れ目を見開く。ひりつくような緊張が肌を刺す。エリスは魔人の真っ黒な眼下に浮かぶ光を、真っすぐに睨みつけた。


「気が変わった。少しだけ、遊んでやろうか。俺はジゼルだ。短い付き合いになるが、よろしくなァ!!」


 狂気的な笑顔を顔に浮かべる魔人ジゼル。その身体が、ほんの少し前傾になったかと認識した瞬間、既にその槍の切先はエリスの目前にあった。魔力で強化しているわけでもないのに、速すぎる。身体強化の魔術で対応しようとするも、追い付かない。エリスは、必死で魔術障壁を展開するも、外套の袖にはいくつかの切れ目が入り、突き破る刃が肌を裂く。魔人が魔術を使用しないのは不可思議だが、どちらにせよせめて武器が無ければ槍相手の打ち合いは話にならない。


 魔術戦を挑むのであれば、必要なのは距離。最初のひとあてに必要なのは速度――


雷撃ライトニング


 エリスの後方より、電位差により迸る雷撃がまさに神速を以ってジゼルを襲うが、その身体に触れた途端、弾けるように霧散した。


「な……」


 流石にここまでの力量差とは予想外であった。


「ほう、魔術の心得もあるか。その歳にしては面白いな。……お嬢ちゃん、名は?」


 エリスは少しでも時間稼ぎになればとその問いに答える。


「……エリス・アステライト」


「そうか、じゃ死ねやァ!」


 そう言うのが早いか突き出される槍先。その速度に、まるで槍が分裂したようにも思える。急所だけを多重展開した魔術障壁で守りながら、距離を飛ぶように飛びのいた。それでも増える傷と出血を冷めた目で眺めながら、ジゼルを誘導する。


雷撃ライトニング領域フィールド


 エリスは事前に魔術領域を展開していた。そこにジゼルが入った瞬間に複層術式を起動する。ジゼルの立っている位置を起点として半径2メートルほどの半球状のドームが彼を包む。ドームの内部では同時展開された無数の紫電が、全方位からジゼルを焼き尽くそうと迸る――しかし、光が止んだ時には変わらないジゼルの姿があった。ジゼルは身体から煙を上げながらも目立った傷などは見受けられない。これにはエリスも思わず苦虫を噛み潰したような顔になる。


 ジゼルは余裕の表情で、さあ撃ってこいと言わんばかりだ。

 ここは、間髪入れずに叩き込むしか選択肢は無い。初めて使うが、私なら行ける。そう思いながら次の手を打つ。


永久凍土ニブルヘイム


 瞬時に、冷たい波がエリスを中心として円を描くように広がる。そして、それは直ぐに氷結の海へと姿を変えていく。地面からまるで死が立ち登るように全てが凍りついていく。周囲にいたであろう野生動物も瞬間冷凍されその生命を終えていく。何処までも、静かに広がるのは停止した世界。しかし、ジゼルは微かに動きを止めたのみ。手足に若干の氷が張っているようだが、完全停止には至らない。


 だが、それは想定内だ。


氷結牢獄アイシクルジェイル


 さらに中空に出現した氷の結晶はジゼルを包むように成長していき、幾つもの氷柱がそれを突き刺す。

 続けてエリスは、炎熱系統の上級魔術を選択する。


獄焔ヘルフレイム


 渦を巻く業火がジゼルのいる巨大な氷の牢獄の中心で吹き上がる。その炎は一気に氷を、雪を蒸発させ水蒸気爆発を引き起こし氷の監獄を破砕する。それでも尚衰えぬ炎は、周囲を悉く焼き尽くしていく。

 その爆炎が晴れた時、そこには切り傷と火傷を負いながらも未だ健在なジゼルの姿があった。


「人間にしては、面白いな。嬢ちゃん?」


 ジゼルは飄々とした様子でそう話す。

 流石に化け物だな、とエリスは思う。


「それはどうも。ところで、こんなところで何をしているの?」


 エリスはじりじりとすり足で距離を取りながら魔人に問いかける。ジゼルはふと、興味を持ったように口元を吊り上げた。


「お? 時間稼ぎか? いいぜ、付き合ってやろう。今から俺はこの周辺を蹂躙する。新しい力の実験がてら、な。もしかしたら、勢い余ってこの国ごと滅ぼしちうかもなァ!? お前たち劣等種族たる人間には、俺の実験動物としての栄誉を与えてやろうっていう話だ。感謝に咽び泣きながら死んでいくんだな!」


 なるほど、魔人は組織だって何かをしようとしているみたいだ。勿論それがブラフの可能性もあるが、それを考察するのは私の仕事じゃない。

 それにしても、この周辺、つまりクリシェを蹂躙? ――エリスは思わず笑ってしまった。


 いきなり笑い出した目の前の少女を見て、とうとう恐怖でおかしくなったのか? とジゼルは思った。続くエリスの言葉を聞くまでは。


「それは無理だよ」


 そこにあったのは、完全な自信に満ち溢れた少女の表情だったのだから。


「……何だって?」


「だから、無理だって言ったの。だって向こうの街には私のお姉ちゃんがいるから」


 そう言って視線だけを街の方角に向けくすくすと笑う少女を前に、ジゼルは全く理解が及ばない。たかが人間一人ごときに、自分が止められると言っているのだ。それがどれだけ滑稽なことか、分かっていないらしい。


「そうか。多少な利口なガキかと思ったが、おめでたい頭をしている」


「その言葉、そっくりそのまま返すよ。あなたはきっと地獄も生ぬるい業火で灼かれることになる」


 エリスの目に浮かんでいたのは、嘲笑であった。決して演技では無く、本気で自分を嘲笑しているのだとジゼルは分かってしまった。


 そしてジゼルは人間の小娘風情に、本気で腹を立てている自分に気付いた。目の前の少女も、その姉も簡単に殺してやるものか。必ず、絶望の淵で泣き叫び懇願する様を眺めながら嬲り殺してやらないと気が済まない。


「ふん、お前もその姉も、四肢を捥いで嬲り殺してやろう。せいぜいいい声で泣けよなァ!」


 ジゼルは憤怒の表情を必死に隠して槍を構えた。


 この程度で激昂するなんて、程度が知れる。

 しかし、その程度の相手にすら勝てないのが私だ。そして、正しく私はその程度の相手に恐怖している。エリスは自分を落ち着けるように溜息をつく。


 今の私の力ではジゼルに勝てない。だからって、諦めの言葉なんか言ってやらない。


 エリスは姉から貰った首飾りを握りしめる。あんな事を自分で言っておきながら姉に縋る都合がいい自分に腹が立つ。だが、こんなところで死んでたまるか。戻って謝るんだ。戻って姉とちゃんと話すんだ。姉が許さないと言うならばその場で自分の首を掻っ切ればいい。


 そう、姉は言っていたはずだ。私がもし、命の危機を感じたのならこの首飾りに魔力を込め、呪文を唱えろと。それは起死回生のだと。なんでこんな時に、口で唱えなければならないのかと思うが、あの姉は間違いなくこう言うのだろう。


 ――その方がカッコいいから!


 きっと満面の笑顔で。


(だから、今だけは力を借りるね。お姉ちゃんを孤独にはしない。必ず、私は生き残る。そして自分の力で追いついて見せるから――!)



「我が呼び声に応えよ、オメガ・アルス・マグナ! ――――汝こそが覇者たらんとその咆哮を以って示せ!」


 あぁでも、この詠唱はもうちょっとどうにかしてほしいな。


 ――――でもね、もう怖くないよ。お姉ちゃん。

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