エリスの家出騒動 4

 エリスは改めて両手に持った長剣を眺める。

 どちらもあまりに神聖で、あまりにも悍ましい気配を放っている。人の身で扱うことを全く考慮されていないことは明白だ。ただ抜剣しただけで、凄まじい量の魔力を吸われた感覚がある。


 一切の飾り気も無く、重さは全く感じない。何故なら、それは実体のある剣ではなく、魔法で剣の形を成した概念であったのだから。


 右手に持つ剣は、全てが純白。

 左手に持つ剣は、全てが漆黒。


 エリスは右足を下げ、前傾姿勢を取ると左手の剣を前に構え、右手の剣を頭の前で切先を前に向けて構えた。エリスが構えた途端に、役目を終えたとばかりにエリスを守っていた防護障壁は消失する。


 もう迷いなど無い。

 ただ目前の敵を斬るのみ。


「ねえ、そういえばさっき、私とお姉ちゃんを嬲り殺すって言ってたよね? 勿論、自分がそうなる覚悟は出来てるんだよね?」


 エリスは笑顔でジゼルに問いかける。


「おいおい、何だよそれ? ハッタリが効きすぎてるんじゃねえかァ!?」


 馬鹿な。あり得ない。人間が、これほどまでの力を持つことなど――ジゼルは混乱する。目の前の存在が恐ろしい。そしてその両手の剣が放つ気配は、これまでに彼が見た何よりも恐ろしい。だからこそ、アレは見た目だけの代物で、ハッタリだと自分に言い聞かせていた。


 汗ばむ手で槍を強く握り直し、ジゼルはエリスの一挙手一投足を見逃すまいと目を見開く。


 やがて緊張が高まり、ジゼルが一歩踏み出そうとしたとき、闖入者がその空気を乱した。


「おいジゼル、こんな所で何遊んでるんだ?」


 そこにいたのは、巨体の魔人であった。まるで分厚い巨大な門の様な威圧感を発している。身長は2mを優に超えると思われる。エリスの鋭敏化された五感は、何者かの接近を教えてくれていたが、近くで見ると更に異様な大きさを感じる。ジゼルよりも、さらに強大な存在感を放っており、その顔には緊張の一欠片も見えない。背には大きな斧らしき武器を担ぎ、鋭い視線をジゼルとエリスに向けていた。


 ジゼルは少しだけ安堵するとともに、心の中で舌打ちする。目の前の男は、自分よりも遥かに強い。その魔法で強化された強靭な肉体はどんな攻撃も弾き、その一撃は大地を割ると言われる。組織でも上位の戦闘力を誇り、あの御方の覚えもめでたい。

 だからこそ、こんな小娘相手に苦戦している様を見られたくなかった。この男の前でこれ以上小娘相手に無様を晒すようなことがあれば、自分の組織での地位が危ぶまれる。


 その大男は、エリスを見据え低い声で発した。


「おい、そこの劣等種族。その剣は何だ? 答え――」


「邪魔」


 鈴のような声が響いた。


 その声の主は、目の前の大男の後ろにいた。


 ジゼルは、大男の、銀髪のオッドアイの少女の顔を見た。魔法で強化された斧ごと、男の強靭な胸板を、左手一本で穿ちぬいた少女は、拳に付着した血液を振り払っている。


 少女は飛び上がると、大男の首を右足で蹴り折る。顎骨は砕け、眼球が飛び出る。まるで出来の悪い首振り人形のようにぶらりと醜悪な死に顔を揺らすと、どちゃりとその巨体は大地に沈んだ。


 そう、ジゼルはもう組織での自分の立場など心配する必要は無いのだ。目の前の男同様、蹂躙される側なのだから。


 リタは汚れた左腕を眺める。

 人型であっても言葉を発する存在であっても、殺すことに躊躇は覚えなかった。本当に大切なものを守るためならば一切躊躇しないと決めていたからでもある。


 だから殺した。


 剣で斬れば簡単に終わる。返り血も浴びずに終わらせることもできた。

 勿論、魔法であってもそうだ。


 だから、拳で、脚で殺した。

 自らに、人を殺す意味を刻もうと。


 けれど、何も感じない。

 もう遅かった。

 ――きっとノルエルタージュを刺し殺したあの時から、とっくに私は壊れてたんだなと他人事のように思った。


「お姉ちゃん……」


 こんな私のために、来てくれるんだね。そう嬉しくなる気持ちもあったが、魔人を殺し、返り血を浴びて表情ひとつ変えない姉を見て、エリスは胸が痛くなった。


「エリス――話は後でしよう? 全部、ちゃんと話すから」


 リタは淡々と話す。エリスはその顔を見て、続く言葉が出てこなかった。


「貴様は――」


「黙れ。お前がエリスを襲った魔人ゴミだな? 楽に死ねると思うな」


 リタはジゼルを一瞥する。不気味に光る右眼は血煙を噴き上げるように燃えている。そして何の感情も見いだせない青い左眼。道端の雑草を見るような視線であった。


「ヒッ……」


 ジゼルは思わず後退りをしてしまう。


(目の前に居るのは何だ? これが、こんな悍ましいものが人間だと? そんな事認められるものか!)


 撤退の策を思い浮かべるも、どれも成功する未来が欠片たりとも見いだせない。


「お前――まさか、その程度の覚悟で私の妹に手を出したんじゃないだろうな? 今更泣き喚いて許しを乞うても遅いぞ。お前に許されるのは苦痛と恥辱に塗れた死に様だけだ」


 リタはそう言いながらゆっくりと一歩踏み出した。右手にはミスリルの長剣が握られ、圧倒的な魔力で光り輝いている。


「待って、お姉ちゃん!」


 エリスはたまらず叫んだ。

 これ以上、姉に背負わせてはいけない。


「エリス、今は――」


「違う! お姉ちゃん、こいつは私が殺す」


 そう言ってエリスはジゼルに向かって歩き始めた。


「エリスが手を汚す必要なんて――」


「うるさい! そういうのが嫌だって言ってるの! 私は、こいつを殺す。そしてお姉ちゃんと同じものを背負うの!」


 ――嫌われてもいい。それでも、姉のあんな顔は見ていられない。エリスは叫んだ。


 その両眼に宿る強い意志を見て、リタは思わずたじろぐ。……本当に、よく出来た妹だ。私には勿体ない。

 エリスがこんなにも感情をぶつけてくれている。

 だったら、信じてあげることも必要だろうか。――分からない。

 信頼はあるけれど心配だ。これは理屈じゃない。目の前で奪われるのは、もう御免だから。


 逡巡の末、リタは長剣を地面に突き刺した。


「……分かった、危なくなったら――」


「手出しはしないで。――こんな奴に殺されるなら、私に生きる価値は無い。だから、そこで見ていて」


 そう、私はとっくに覚悟を決めているんだよ、お姉ちゃん?

 ――だから、見せてあげる。私の選んだ道を。


「……うん……でも、死んだら許さないから」


 リタは目を逸らしてそう言った。


 エリスは頷くと、ジゼルに向けて歩みを再開する。

 両手にある剣と比べれば、目前の魔人のなんと矮小なことだろうか。


「ごめん、待たせたね? もし、奥の手があるのなら次に出した方がいいよ。でなきゃ、何も出来ずに死ぬから」


 もう一度、仕切り直しとばかりにエリスは構えを取る。


「ク、糞がァァァァア! どいつもこいつも舐めた目で見やがって!!」


 ジゼルは覚悟を決めた。姉の方には間違いなく勝てないだろう。ならばせめて、妹の方を無惨に目の前で殺してやる。ジゼルはこれまで、魔物たちの制御に割いていた魔力を戻す。計画など知ったことか。


 魔力を全身に漲らせ、身体強化の魔法を使用する。そして槍を構えると全速力で突っ込む。それと同時に、槍に仕掛けられた魔法を発動した。槍先が破裂したように射出され、柄から分離する。その槍先は空中で変形すると、爆炎を上げてエリスを襲う。それを追うように、柄を魔力で強化しつつジゼルが全速力で続く。


 刹那、黒い軌跡が瞬き、静寂が訪れた。

 エリスが左手の黒い剣を振るったのだ。それに触れた槍先は跡形も無く消失した。


「は?」


 白い軌跡が煌めき、ジゼルはバランスを崩した。

 落下しながら彼が見たものは、バラバラに切断された槍と両腕。

 落下した先で彼が見たものは、バラバラになった胴体と下半身だった。


 最早、声を出すことも出来なかった。何が起きたのか理解も出来ない。パクパクと口が動く。頭がうまく働かない。視界は白く染まっていく。そして、燃えるような激痛を感じ――――ジゼルは絶命した。



 エリスは茫然と立ち尽くしていた。

 あまりにもあっけない。


 私は自分の力ではジゼルに勝てなかった。だが、姉の力を借りた途端に、こうも簡単に終わるとは。だが、姉のいる領域はさらに上なのだ。


 あまりに絶望的な差だ。だけど、私はもう選んだ。だから進むことを止めはしない。たとえその先が悲劇であろうとも――――。


 目の前にあるのは、無残な死体。切り口からは臓器が溢れ、異臭を放っている。

 この感情の正体が分からない。敵を倒した達成感もある、人の命を奪った罪悪感もある。いろいろな感情がごちゃ混ぜになって、思考がまとまらない。


武装解除リリース


 両手から剣が消える。全身から力が抜け、エリスはそのまま地面にへたり込んだ。両手が震えているのが分かる。


「エリス!」


 リタは駆け寄って、エリスを抱きしめる。彼女の手は冷たく、小刻みに震えていた。


「お姉ちゃん、ごめんね」


「ううん、私こそごめん……」


 それから続く言葉は無く、沈黙が流れた。二人の間の空気はどこかぎこちない。


「ねえ、人を殺すってこんなに簡単で虚しいんだね」


 次に口を開いたのはエリスであった。その声はどこか寂しげだ。


「うん」


「お姉ちゃんは、さっきの魔人の前にも人を殺したことがあるんだよね」


「……そうだよ」


っていう人?」


「――知ってたんだ」


「うん。その人は、お姉ちゃんにとっての何?」


「何だろう……多分――――」



「おい、リタ! エリス! 大丈夫か!?」


 リタの呟きは、転移してきたクロードの大声に搔き消された。相変わらずタイミングの悪い父親だと、姉妹は揃って不機嫌な視線を向けたのであった。

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