蠢く足音

 冬も深まり、雪化粧を纏うクリシェの街。


 比較的温暖な王国であるが、今年はどうやら少し寒いようだ。普段はシーズンに一度か二度、積雪する程度であったが、最近は雪の降る日が続いている。


 日も落ちて久しいが、行政庁舎の執務室では書類の山を前に疲弊した顔のクロードが頭を抱えていた。


 事の発端は、ひと月程前だろうか。

 急に魔物の動きが活発になり、普段は比較的安全な街道でも魔物の被害が急増しているのだ。これらの異変は、東の方、つまりエルファスティア共和連合との国境付近より報告されていた。それが徐々に西、クリシェの街の方面へ移動しているようであるからタチが悪い。それに加えて、クロードの元に舞い込んだ不穏な報せは、不安を倍増される。


 それは、魔人目撃さる――そんな報せであったのだから。

 A級冒険者パーティーが護衛任務中に接敵。戦闘を試みるも、敗北し二名の死者を出し撤退したという。追ってくる素振りが無かったため、撤退できたが相手がその気なら確実に自分たちは全滅していたと語る。それほどまでの力量差であったという。


 この報せは瞬く間に王宮にも報告された。

 そして、王国は冒険者組合を通じて、王国全体でも五パーティーしか居ない、S級冒険者を派遣し調査と討伐を依頼することを決定した。


 S級冒険者とは俗に人外領域と呼ばれ、人類の最高到達点であり、正しく超越者に与えられる称号である。クロード達が過去に目指し、届かなかった頂でもあった。


 クロードはS級の派遣を聞き、安堵した。しかし、何処か胸の奥に渦巻く不安が拭えないのは事実。

 それはもしかしたら、あの事件の日に失ったものが彼に忘却を許さないと訴えていたのかもしれない。


 目の前の書類の山は相変わらず減る気配が無い。ここ最近、また大きくなった最愛の娘達の顔を思い浮かべると、自分の頬を両手で叩き、目の前の山の攻略に挑むのであった。



 結局、この夜クロードが帰宅したのは日をまたいだ後のことであった。

 妻のリィナが出迎えてくれる。娘たちの姿は無い。既に部屋で眠っていることであろう。クロードは子供部屋へ赴くと、静かに彼女たちの寝顔を眺める。最近は忙しく、中々相手をしてあげることもない。

 次の休みは、腰を据えて剣術の稽古をしようかと思う。彼女たちに負ける日も近いかもしれない。それでも、彼女たちとの模擬戦を通じて自分自身も成長を感じているのは事実。楽しみであり、寂しくも感じていた。


 一階のリビングにて、クロードは遅い夕食を撮る。リィナの手料理を食べながら、クロードは口を開く。


「最近、リタとエリスはどうだ? 中々休みが取れなくて、話す機会がなくてな……」


「本当、忙しそうね。……彼女たちは……どう言ったらいいのかしら? 一言で言うのであれば最近また常軌を逸しているわ。まずリタだけれど、どうやら巷で”聖女の再来”って呼ばれてるみたい」


「は?」


 クロードは思わず呆けた声を出してしまう。


「そう思う気持ちは分かる。でも事実よ。この前一緒に買い物に行ったときに、いきなり知らないお婆ちゃんがリタの前に跪いて手を組んで祈りを捧げだしたの。この人どうかしたんだろうって思ってたら、どうやらリタの回復魔術で治療してもらったことがあるそうよ。……その効果が非常に高かったようでね、気付けばその後何人もの人が集まってきて同じように祈り始めるんだもの。大変だったわ……」


 リィナはその時のことを思い出したのか、苦笑いで答えた。


「あのリタが? 人違いじゃなくて?」


 クロードはとても信じられないといって様子だ。普段の彼女の様子を知る者は皆、同じ感想を返すかもしれないが。


「ええ、そうよ……けれど、彼女は回復術師を目指すと言っていたのだから、その力があるといういうことは喜ぶべきかしらね?」


「それはそうなんだが……本気なのか? ――俺はてっきりあれは建前で、冒険者か騎士でも目指すものとばかり思っていたからな」


 それほどまでに、彼女の戦闘センスはずば抜けている。クロードはリタとエリスであれば、人外領域と呼ばれるS級冒険者に上り詰めることも不可能ではないと確信していた。


「私としては、できれば戦いと無縁で居てくれるなら、それが一番だと思っているわ」


「それは確かに、そうなんだが……。エリスはどうなんだ?」


 うーん、とリィナは少し逡巡する様子を見せる。何かあったのだろうかと、クロードの顔には不安な表情が浮かぶ。


「エリスは、最近ちょっと……思い詰めてるというか、少し変なの」


 そういえば、高い金を払って元宮廷魔術師を家庭教師に付けたはずだが、とクロードは思い出す。


「うん? 新しい家庭教師とうまくいってないのか?」


「いえ、そんなことは無いはずよ。先生もエリスのことは非常に高く評価しているわ。この才能が埋もれることは世界にとっての損失だ! とか言っているし。エリスは先生は大げさな人って言っているけれど……それはいいとして、エリスは最近勉強でも魔術でも鬼気迫るというか、余裕が無いというかそんな様子なのよ。ほらあの子ってどちらかと言えば冷静で、いつも落ち着いていたじゃない? だからあなたも、少し気を付けて見ていてほしいの」


 リィナのどこか不安げな表情を見て、クロードは頷く。


「分かった。気を付けておく。それから――」


 クロードは簡単に魔人の目撃情報と、魔物の活発化についてリィナに伝えた。子供たちには、町の外には絶対に出ないように念を押しておいてほしい、と加えて。


 そうしてクロードは話を切り上げると、風呂に入る。

 浴槽に浸かりながら、やはりしっかりと娘たちと顔を合わせて話す時間を作らなければ、と思う。


 もう9歳になった彼女たちは王立学院への進学を目指している。王立学院は王都にある全寮制の学校だ。まず、合格は間違いないだろうが、合格すればこの街を出ることになる。そうすれば会えるのは長期休暇の時だけになるだろう。


 卒業後のことは考えたく無いが、恐らくこの田舎街では無く、都会で働くことになるであろう。彼女達にこの街は狭すぎる。


 もう数年後に迫るその時を考えながら、クロードはもっと子供たちとの時間を大切にしようと、改めて思うのであった。

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