姉妹のお喋り

 クリシェの街の屋根が、白雪に染まる夜。

 アステライト邸の子供部屋からは、今夜も双子の姉妹の会話が聞こえてくる。2人はお揃いのモコモコとした白いパジャマを着て、ベッドで寛いでいた。


「うぅ……寒いよ、エリス~」


 リタはそんな事を言いながら、ベッドの縁に腰掛けて本を読む妹を後ろから抱きしめる。柔らかな髪が頬を撫でる。艶やかで美しく、仄かな石鹸の香り。エリスを抱きしめると、どうしても匂いを嗅いでしまう。


「もう。そんなにくっついたら本読めないんだけど? もうちょっと離れてよ」


 そう言いながらも、あまり嫌そうな素振りは見せないエリス。相変わらず可愛い。


「やだやだ。……それは新しい魔術の本?」


「うん、神聖文字で書かれてる本。やっとママが探してきてくれたんだ。最近は使われてない文字だからいろいろ推測しながら読もうかなって思って」


 エリスが分厚い表紙を見せてくれる。装飾は古いがかなり立派で美しい本に見える。きっと前オーナーは大切に保管していたのだろう。もしくは本自体に、何らかの魔術処置がかかっていたのかもしれない。


「へえ~、流石。エリスは天才だからね」


「お姉ちゃんがやる気ないだけでしょ……」


 エリスは少し胸に痛みを感じながら、返す。


「それより、何て書いてあるの?」


「まだ読み始めたばっかりだから分からない」


「ちょっと貸してみて! ……ふむふむ、ルミアス神聖王国? どっかで聞いたことあるような…」


 リタは既に風化した記憶を呼び起こそうとするも、エリスの相槌の方が早かった。


「有名な統一教会の発祥の地。それから巨大な魔術国家だよ、お姉ちゃん? あの邪神のおとぎ話も、この国の出来事だって伝わってる。数百年前に内乱で滅んだらしいけど……」


「へぇ、物知りだね?」


「ちなみに、この神聖文字は当時のルミアス神聖王国の魔術師だけに伝わっていた文字なんだって。今では殆ど読める人は居ないし、居たとしても秘匿してると思うけどね。当時のルミアスは今よりも魔術が進んでいたって言われてるから、やっぱり自分だけが知っている魔術で、誰しも優位に立ちたいよね。それが魔術を衰退させる原因でもさ」


 そう言いながら、少し唇を尖らせるエリスであった。言外に含まれた意図を察してか、リタは苦笑いで返すしか無い。


「ふうん……あれ、ここの記述って」


 リタは何処かで見たことのある術式を見つける。それはとある本棚で見たことのあるような少し癖のある構成。


「どうかしたのお姉ちゃん? 何か気になる」


 エリスの声は耳に入らない。この既視感は、まさか。エリスから奪い取るように横からページを捲る。


「ちょっと見せて! ……この魔術式の…記述…癖が…そうなると…著……いや共……やっぱり」


 リタはぶつぶつと何かを呟きながら一心不乱にページを行ったり来たりという様子だ。何故神聖文字が普通に読めるのかという疑問がエリスに過ぎるも、きっと尋ねても教えてくれないだろうと諦める。家ではあまりそんな素振りは見せないが、陰で勉強しているのかもしれない。


「何がやっぱり?」


「いや、何でもない。ねぇエリス? その本、ずっと大事にしてね?」


 リタは何処か焦ったような、それでいて懇願するような顔で、本を両手でエリスに手渡した。エリスはそれを受け取る。


「うん、言われなくてもそのつもりだけど……」


 実際、この本の価値はとてつもないだろうと、エリスは考えていた。神聖文字で書かれた魔導書は貴重で、何より解析出来たときの期待が大きいものだ。恐らくこの家よりは高価だろうと。


「そんなことよりさ、そういえば、あれって何年前だっけ?」


「あれって? お姉ちゃんが狩りに付いていって、調子に乗って素手で獲物を爆散させた話?」


「いや、それじゃなくて。あの湖……たしかリュミール湖に旅行に行ったの」


「お姉ちゃんが失踪事件起こした、あの?」


「それは、忘れてても良かったことだけど、そう」


「四歳の時だったし、もう五年くらい前じゃない?」


「そっか、もうそんなに経つんだね」


「行きは魔物と戦ってたら魔人にも襲われるし、帰りは盗賊に襲われるし、お姉ちゃんは四回迷子になったし、大変だったよね……」


 エリスはジト目でリタを見ている。


「そんな事もあったね……そういえば」


「逆によく忘れてたよね? でも――また、行けたらいいね?」


「うん、冬は勘弁だけどね」


 リタはおどけて笑った。リタにとって夏以上に辛いのが冬であった。


「最近、教会のお手伝いはどう?」


 エリスが問いかけたのは、少し前から回復魔術の勉強と称して、教会の治療やボランティアに参加するようになったリタのことだ。


「楽しいよ。回復魔術も結構使えるようになったし、そろそろ聖女って呼ばれるかも」


「不敬だって言われるよ? というか、回復魔術は前から使えたよね?」


「いや、そんな……はい」


「はぁ、何で出来ないふりを続けてるの?」


「それは誤解だよ。私はエリスほど上手く出来ないからね。勉強や魔術は」


「……嘘つき」


 エリスは、少し悲しそうにそう返した。

 リタは、この時に気付いておくべきだったのかもしれない。妹の持つ鬱屈した感情に。


「そ、そんなことより、新しい魔術の家庭教師はどう?」


「元宮廷魔術師の人でね、結構知識は深くていい先生だと思うよ? ……少し表現が大袈裟だけどね。――でもお姉ちゃんは一緒に習わないんでしょ?」


「うん、私には難しそうだし?」


「もう、そればっかり……」


 妹の呆れた視線に慌てて話題を変える。


「というかさ、全然関係ないんだけど。最近ミハイルとラルゴ、ちょっとピリピリしてない? 稽古の時とか」


「あれ、もしかしてお姉ちゃん気付いて、ない? ……え、そんなことある?」


「え、何々? どういうこと……」


「……ごめん、私には分からない」


「嘘でしょ? ねぇ教えてよ、エリスのいけず~」


「やだよ! 仕返しだもーん」



 ――他愛もない会話が暫く続き、やがて部屋はリタの寝息と、紙が擦れる音に満たされる。

 部屋の照明は落とされ、読書灯のランプだけがエリスの手元を照らす。細い指がページをめくる影が、壁を揺らめく。


「うーん、この文字の形がそうで、あの文字はこれだから……そうなるとここは……”共著:ノルエルタージュ・シルクヴァネア・ディ・ルミアス”?」


 エリスは先程、姉がしきりに気にしていた部分を優先して解読を進めていた。元々神聖文字には興味があり、断片的には触れたことがあったため、思いの外スムーズに進む。


(この人がノエル?)


 きっと間違いない。そんな確信がある。


 それは、姉がいつしか庭で呟いていた名前。

 忘れる事など無い。

 あの時の姉の声は、寂しげで、悲しげで、それでいて希望を持っていた。


 そして時折うなされている時にも、その名を呟いている事を私は知っている。

 息を荒げて目を覚ましては、決まって自分の右手を見て苦しそうな顔をしている。

 右手は間違いなく姉の剣の握りの形。震える手を何度も閉じて開いて、胸に抱いて咽び泣く。


 まるで、今しがた誰かを剣で刺し殺してきたような、そんな後悔と悲しみに染まる顔だ。


 なんと労しい。でも、私が声をかけても、大丈夫としか言わない。


 いつも一緒の私が、知らない人がいる。

 それはきっと、姉が私に頑なに見せようとしない一面と関係があるのかもしれない。


 エリスは一人唸るも、その答えを得ることは出来ない。そもそもこの本は千年以上前に書かれているものと聞いている。確かに長命種もこの世界にはいるが、これほど立派な本の著者が生きていれば、名前くらい知っているはずだ。


「考えても仕方ない、か……」


 そう呟いてみても、エリスの心が晴れる事はない。


 ただ、一つだけ言えることは、誰であろうと姉を苦しめ、悲しませる人は絶対に許さないということ。


 このノルエルタージュという人物が姉にとって、どんな存在なのかは分からない。

 けれど、いつしか目の前に現れて、姉を傷つけるようなことがあるのならば――


「その時は……たとえ生まれ変わっていようと――――必ず、私が殺す」

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