リュミールの湖畔にて 2
――――中々速い。
リタは驚いていた。魔術抜きの剣だったら、エリスと同じか、超えるのでは無いだろうか。まだ暗い中、一切の迷いのない足運び。まずは小手調べとばかりに彼女は何度か軽めに剣を振るう。それを数手受け流す。恐らく、リタがどれくらい動けるのか、そして魔術で作った剣の強度を計っているのだろう。……怪我をさせないように。
(優しいね、君は。でも、舐めないでよね)
だからこそ、リタはわざと強めに弾き一気に肉薄する。彼女が目を見開き、口元を綻ばせる。――そう、遠慮は要らない。私に勝てるのなら、私が増長してるというのなら、私に敗北を示してみろ。そう思いながら、リタは斬り下ろし、そのまま横に切り返す。彼女は軽々と受け流し、突きを放つ。切先が少し髪の毛を掠めた。数本の髪の毛が月明りを反射しながらひらひらと舞う。
「驚いた。貴方、子供にしては中々やるじゃない」
「それはこっちの台詞。君、私の妹と同じくらい強いかも」
「……私より年下で、そんな化け物みたいな子供がいるの?」
「双子だから同じくらいじゃない?」
彼女の剣はとても美しく合理的だ。きっと由緒正しい剣術の教えを受けているのであろう。最近はリタも、ようやく自分とエリスは少し普通じゃないと感じ始めていたところだったが、目の前の彼女はどうだ。やはり、世界は広い。というかこの世界の幼女凄い。地球だとあり得ないよね、この年齢で真剣で斬り合ってるなんて。私も、まだまだ強くならなくては。とリタは改めて思う。
次に動いたのはリタであった。相手は型のある正統派の剣術のように感じる。少し搦め手を混ぜていくか。得意のステップで左右の歩幅をずらしながら、回るように走る。彼女の呼吸は手に取るように分かる。流石に、呼吸を偽るまでの技術は無いと信じたい。彼女は正確にリタの進行方向に斬撃を放つ。横薙ぎの剣を飛び越えつつ、足裏でその剣を蹴って飛び上がる。そのまま斜めに回転しつつ、斬りつける。彼女も驚いているようだ。急に回避しようとしたようだが、リタの剣がその動きに膨らんだボールガウンのスカートを切り裂いた。
「あ、ごめん」
「いいのよ、こんなもの」
そう言って彼女は自ら、広がるスカートの裾を切り取って短く結んだ。中々に豪胆だ。少しずつ彼女の素が出てきている。そんな気がしてきた。だが、あの服幾らするんだろう……と心配になるリタであった。
「ぼさっとしてていいの?」
彼女は一気に踏み込むとリタの首筋目掛け、高速の突きを放つ。足運びが上手い。剣先が一気に伸びたような錯覚のする一撃だ。リタは右手の剣で軌道を逸らす。
「殺す気?」
「勿論。だって貴方は防げるもの」
「その歳で、そんなに躊躇がないなんて、君大丈夫? ――でも、そうこなくっちゃ」
リタは笑うとクイっと指を曲げ、挑発する。金髪の女の子は頷くと全力で斬りかかってきた。一撃が非常に重い。そして非常に鮮やかだ。剣で受けなければ、簡単に腕など斬り落とされるであろう迷いのない剣筋だ。だが、これくらいは簡単に捌けなくては、天才と呼ばれるエリスの姉を名乗れないというものだ。すべての剣戟を受け流し、いなしていく。彼女の狙いは分かっていた。恐らくこの後リズムをずらし、緩急を付けた一撃のあとリタの左脇を抉るだろう。これがあえて隙を見せているブラフとも知らずに。まだまだ、視線が正直すぎる。だから、リタはあえていなさずに剣を弾くように女の子を後退させると、少し角度を変えて上段から斬りかかる。彼女は不審げな目をしている。正直すぎる一撃だからだ。
(でも、君は受けざるを得ない。そして、その角度は丁度後ろの月の光を、君の目に反射するんだ。自分の剣で。)
一瞬、彼女の視界は光に埋まるような錯覚を得る。暗いところで明るい光を見てしまうと、暗がりが見えにくくなる。姿勢を低く、夜闇を味方にしたリタは彼女が怯んだ隙に剣を弾き飛ばし、女の子の首元に黒い剣を突き付ける。
「私の勝ち」
「ちょっと卑怯じゃない?」
「周りが見えてない君が悪いよ」
「ぐっ……それは、そうだけど」
「じゃ、もう一回やる?」
「お願いするわ」
――――それから暫く。間も無く夜明けを迎える湖畔には金属音と足音が響いていた。
「まさか、一回も勝てないなんて……」
がっくりと項垂れる金髪の女の子。既に着ていたドレスは原型を留めていない。本当に大丈夫かとリタは冷や汗が止まらない。請求されたりしない、よね?
「言ったでしょ? 私はクリシェの街じゃ負け無しなの」
「そんな田舎と一緒にしないでよ……」
「ふん、その田舎者に十連敗してるくせに!」
クリシェを馬鹿にされてムッとしたリタ。
「クッ……でも……いや、それは」
「使ってもよかったんだよ?
「……どうしてそう思うの?」
スッと冷めた声で睨みつけるように彼女は答える。
(それは白状してるのと同じだよ?腹芸はあまり得意じゃなさそう。)
奥の手は隠しておきたかったのかもしれない。
「私も、
リタの右眼に魔法陣を浮かべて返す。それを見た女の子は溜息を吐いた。
「嫌よ、そこまでやったら本当に殺し合いになる」
そんな話をしているうちに空は少しずつ白んできた。二人は湖を眺めながら隣り合って座る。少しの間、心地の良い沈黙が二人の間を流れた。やがて、湖の向こうの山から朝陽が昇る。水面にも反射する光は、神々しく女の子の金髪を照らす。そして、その両眼に映る朝日もまた、燃える意志のようでとても美しい。
「本当に綺麗」
リタはその横顔に視線を奪われながら、そう呟く。
「ええ、そうね。美しい光景だわ」
リタが自分のことを見ながら呟いたことには気づかなかったようだ。
「ねぇ、貴方はどうして此処に?」
「……自分でも不思議なんだけど、誰かに、呼ばれた気がしたんだ」
「本当に?」
「うん、でも間違いじゃなかった。私は君に出逢うために此処に来たんだ」
「貴方、よく恥ずかしげも無くそんなことが言えるわね?」
「だって、私がそう信じることが私の世界の真実だからね。君は?」
「……私は、少し家族とか周りの人と居るのが嫌になっちゃって。誰も、私の言う事を信じてくれないし……それで、別荘を抜け出してきちゃった」
そう言って寂しげに微笑んだ。
「そっか……聞いてもいいこと?」
隣の銀髪の女の子は首を傾げつつ心配そうな顔で自分を見ている。長い睫毛の間で揺れる美しいオッドアイ。王都では子供は勿論、大人にも殆ど負けたことのない自分よりも強い、初めて出会うタイプの不思議な子だ。だから、という訳では無いが彼女には何だか話してみたくなったのだ。
「えっと、笑わないで聞いてくれる?私、ずっと前から同じ夢を見るの。でも、なんだかそれは夢だと思えなくて……えっと、その、前世の記憶…なんじゃないかって思ってる……」
何処か、自嘲気味に笑う彼女。
「うん、それで?」
「笑わないの? 前世の記憶なんて」
輪廻転生のある世界だ。そういうこともあって然りであろうとリタは考えている。確かに目の前の彼女はとても幼女とは思えない落ち着きがある。それに実際リタは風化こそあれ、その記憶を確かに持っていたからだ。そもそも、目の前の彼女の表情を見て笑おうなどと思うやつがいたら、きっとリタはぶん殴っているだろう。
「どうして?」
リタはキョトンとした顔で問い返す。それが、彼女にとっての最後の堤防を崩すことに繋がった。
「いえ、ありがとう。それでね、今はすごく漠然としてるんだけど、私は前世で出来なかったことをしたい。前世で守れなかった人を守りたい。前世で、私を救ってくれた人に恩返しをしたい。でもね、みんな信じてくれないから、それはお前の我儘だって言うんだ。都合のいい嘘だって決めつけて貴族の責務を投げだすなって、言うの……でも、本当なの。夢なんかじゃ無い! でなければおかしいのよ……あれは、間違い無く本当にあった出来事で、もう死んだ私が託した記憶なの。生まれ変わっても、絶対に――絶対に、忘れることは許さないって、きっとそんな呪いで、祝福で……だから、だから、私は――――!」
「私は信じるよ。……そして君が必ず、その夢を叶えられるってことも信じる」
今にも嗚咽に変わりそうな声を遮り、確信を持った顔で頷くリタを見て、彼女は驚いたような、はにかんだような笑顔で言った。
「ありが、とう……」
彼女の真紅の目には大粒の雫が煌めいている。朝陽を反射しながら、それが頬を伝う。
リタは、おっかなびっくり彼女を抱きしめた。そうしなければならないと、自分の直感が告げている。
彼女の柔らかな髪は、どこか懐かしい仄かな甘い香りがした。しかし、どうしていいかわからずそのまま固まるリタが、そのことに気付くことは遂に無かった。
「ねぇ、貴方……」
女の子が小さく呟く。リタはそっと腕を緩めると、正面からその顔を見る。少し泥で汚れてしまっているが、本当に綺麗な顔をしている。リタは自分の服で彼女の涙と泥を拭う。少し恥ずかしそうにしている彼女も、とても可愛かった。
「何?」
「私の……初めての……友達に、なって、くれる?」
どこか怯えたような表情で彼女は言う。瞳が不安げに揺れている。きっと彼女もまた孤独だったであろう。恐らく家柄も相まって、これまで同年代の友人とこうして本音で話すことなんて無かったのかもしれない。そしてそれは、リタも同様である。女の子の同年代の友達など、今までいなかった。だから―――
「友達はダメ」
リタの発言に彼女の睫毛が下がる。肩も震え、今にも泣きだしそうだ。
リタは彼女が泣きだす前に、もう一度、先ほどよりもずっと強く彼女を抱きしめる。
「友達じゃ、ただの友達じゃ嫌だ! ――だって、もうとっくに、私たちは親友だよ? そうでしょ?」
「……うん!」
そう言って彼女は太陽のような笑顔で大粒の涙を流した。
「私は、リタ。リタ・アステライト。今更だけど君は?」
「私は、キリカ=ルナ……いや、キリカ。ただのキリカだよ。貴方の前では、ただのキリカでいてもいいよね?」
「勿論」
二人は、今更自己紹介をしている自分たちが可笑しくなって笑い合う。そうして、これまでの時間を埋めるように色々なことを話した。
「やっぱり、キリカも同い年なんだね。しかも同じ火の月生まれって……」
「――――本当、貴方は面白いわね。今度は妹さんも紹介してね?」
誤算があったとすれば、とっくに日が昇っているのにもかかわらず彼女たちが時間を忘れて語り合っていたことであろう。
遠くから男の野太い声が聞こえる。
「お嬢様ー!」
キリカはハッとした顔で立ち上がる。今まで忘れていた。自分は黙って抜け出してきていたんだった。
「ごめん、迎えが来ちゃった。そろそろ帰らなくちゃ」
「……そういえば、私も宿に戻らないとママに怒られる……」
「また、会えるよね?」
「うん、必ず」
「王都に来たときは、私の屋敷に遊びに来てね。恥ずかしいけれど、多分私のことを聞いたら分かるはず……」
「遠いから行けるか分からないけど、行ったときは尋ねるよ。キリカもクリシェに来たときは領主邸に寄ってね?」
「うん。それから、きっと貴方の才能なら王立学院を目指すのよね?」
「学院?」
「知らないの? ええ、王立メルカヴァル魔導戦術学院よ。魔術師でも剣士でも研究者でも、この国で一流を目指すならここを通る。貴方のその才能を無駄にすることは私が許さない。だから必ず学院を目指しなさい? お金が問題なら、私の家が学費を出したっていい。だから、どんなに遅くともそこでまた会いましょう。私ももっと腕を磨いておくから」
「分かった! パパとママに相談してみる!」
「元気でね、リタ? ……次は負けないから!」
彼女の勝気な笑みを見て、リタも笑い返す。
「うん、キリカも元気で!」
それじゃ、とリタは手を振ると、キリカを探しに来た人物にばれないように、草陰に隠れるとそのまま転移魔術を使いながら宿への道を急いだ。
(――――こんなに、胸が高鳴るのは初めてかも)
銀髪の親友が去ったのを見計らって、キリカ=ルナリア・シャルロスヴェインは破顔する。
「友達――いや、親友かぁ……ふふ」
彼女達の未来を祝福するように、徐々に群青に染まりゆく空。眩しそうに見上げるキリカの顔には、いつかの誰かにそっくりな笑顔が浮かんでいたのかもしれない。
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