エポスの夜風

「着いた!!」


 一行がエポスの街に到着したのは、夜更けのことであった。


 高度も高くなり、普段と違うひんやりとした夜風が肌を撫でる。エポスの風情溢れる街並みに、リタのテンションは鰻登りであった。街の中央に流れる清流と、その脇に立ち並ぶ宿と別荘。多くの建物は白い漆喰のような壁もしくは、木造建築となっており大人の宿といった雰囲気である。自然と見事に調和した美しい街並みであり、今から明日の朝が楽しみであった。やはり、高級宿も多いようで夜は暗い所の多いクリシェとは異なり魔道具の暖色の柔らかな光が上品に通りを照らしている。


 そんな中をゆっくりと静かに馬車が進んでいく。時間が少し遅いせいか、人通りは疎らである。

 リタは馬車から伸びる長い影を眺めながら、心地よい風を感じ果実水を嗜む。商人のパウロから数少ない無事な積み荷の中から貰ったものだが、瑞々しいライチのような香りと甘味のあるもので、とても美味しい。


(旅って初めてだけど、なんだか凄い幸せ)


 隣で静かに果実水を飲んでいるエリスも同じ気持ちだろうか。そんなことを思いながら、贅沢な時間を楽しむ。ふと、漂ってくるのは硫黄のような香り。そして宿から時折立ち登る湯気。


 これが、温泉回――――。リタはアニメでしか見たことのない温泉に期待を寄せるのであった。


 やがて一行を乗せた馬車は、少し開けた場所で止まった。既に料金は前払い済みだ。乗客たちが次々に降りていく。商人たちは迷惑料とお礼と言いながら、彼らに金貨を手渡していた。

 先ほど話した少年、ミハイルも小さく手を振っている。リタとエリスも手を振り返す。ミハイルとはまたクリシェで会うこともあるだろう。


「――しかし、それでは私たちも面目が立ちませんので……」


 パウロがクロードに何かを話している。どうやらクロードはパウロが支払うと言ったお礼の受け取りを拒否しているようだ。直接的に彼らを救ったのはアステライト一家のため、彼らとしてもどうしても受け取ってほしい場面ではある。ここで万が一にでも恩人に対して礼を渋ったなどといった評判が立てば、今後の商売にも響く可能性があるからだ。


「分かった、降参だ。それじゃ、俺の可愛い娘たちに飛びっきりの服を用意してくれないか?それだけで十分だ」


 クロードが両手を上げて苦笑いでパウロに返した。


「……承知いたしました。我がマルクティ商会の名に懸けて、最高の逸品をご用意して見せましょう。後日、クリシェのお屋敷に職人が採寸にお伺いさせていいただきますので、ご希望をおっしゃってください」



 ――そんなやり取りをはさみつつ、今日の魔物の騒動の報告などを行うため、商人たちとクロードは冒険者ギルドへ向かった。姉妹とリィナはとりあえず、近くを散策しながら過ごすことにした。


「今日は大変だったわね、二人とも実戦は怖くなかった?」


 リィナは近くのベンチに腰掛けると、姉妹も母を挟むように両側に座った。


「ちょっと怖かったかな?」


(正確には、エリスが傷つけられたことが、だけど)


「あの、変な人がいきなり来たときは怖かったな。ねぇ、ママ。あの人は何? 知ってるんでしょ?」


 相変わらずエリスは鋭い。そう思いながらリィナは返す。


「あれは、魔人と呼ばれている存在。だけど、私たちにも詳しくは分からないの。あれが人間なのか、全く別の種族なのか……でも、はっきりと言えるのは少なくとも王国の人間にとっての敵であるってことね」


 その時のリィナの顔に浮かんでいたのは、怒りであり嫌悪であり悲しみであった。


「「魔人……」」


 姉妹はその言葉の意味を少し考えこむのであった。


「それにしても、リタ? あなた、あの時よく間に合ったわね?」


「それはエリスも聞きたいな?」


「う、うん。頑張ったから……」


「それに、あの魔人の魔法。あれをどうやって無傷で凌いだのかしら?」


「えっと、まぐれ、かな……」


 リタは目をそらしながら答える。正直なところ、家族には話してもいいような気がしている。しかし本当のことを話しても信じてもらえるかどうかは別である。


「ねぇ、リタ? それからエリスも、よく聞いて。あなたたちも慈善学校に行き始めて、薄々感じているとは思うけれど、あなたたちは正直普通じゃないわ。勿論、とっても優秀って意味でね。多分、これからもそのせいで疎外感を覚えたりとか、誰かに妬まれたりすることも多いと思う。だから……もしかしたら自分の力を隠して、普通の女の子として生きたいと、そう思うこともあるかもしれない。……でも、家族は味方だから。いつまでもずっと。パパもママも、あなたたちの幸せを何より願ってるわ。それを、忘れないで」


 真剣で慈愛に満ちた母の言葉に、姉妹は静かに頷いた。リタは心配させてしまって申し訳ないという気持ちが先に立つも、やはりどう説明すればいいのか分からない。とりあえずは、未来の自分に託すとしよう。


 それから少しの間、静かで温かい時間が流れた。


「それにしても大分遅くなっちゃったわね。お腹空いてない?」


「うん、凄くお腹空いた!」


「エリスも」


 今日は忙しく、朝は簡単に済ませており昼もサンドイッチ程度だったため、姉妹はかなりの空腹感を覚えていた。

 しかし、魔人のこともありクロードがギルドから解放されるのはかなり先の事になるのであった。


 クロードはようやく合流するも女性陣からの冷たい視線に狼狽えつつ、家族は宿へ向かう。

 冒険者時代のパーティーメンバーからおすすめされた老舗宿である。それは広場からは少し離れた場所にあった。奥まった細い路地を進んだ先に、その宿はあった。壁には蔦のような植物が生え、何処かもの寂しげに佇んでいる。数匹の虫が集まる弱々しい街灯の魔道具がほんのりと入り口へ続く小径を照らす。


「ほう、これは……」


 目的地の前で、クロードはふむふむと頷いている。


「ボロいね……」


「リタ! またそんな言葉遣いして! 趣がある、と言うのよ?」


 女性陣からの刺すような視線に耐えつつ、クロードは宿に入って行くのであった。


 しかし、中に一歩入れば清掃の行き届いた清潔で美しいロビーが出迎えた。決して新しくはない宿であるが、正しく趣があると言えるだろう。暗色の木の柱や梁が主張し、優しい光の魔道具が照らす室内には、大きなソファに品のいい観葉植物が並ぶ。余白を大切にしながら拵えられた、いくつかの家具は品もよく落ち着きをもたらしてくれる。木製のカウンターには人の良さそうな少し恰幅のいい女性がにこやかに立っていた。


 クロードが受付の女性と話している。どうやら三泊で金貨三枚のようだ。四人部屋だったら妥当なんだろうか。とリタは思う。大体金貨一枚で日本帝国円で十万円くらいだ。インフレとデフレを繰り返し、慎太郎が生きていた当時は大体二一世紀初頭と同じくらいの価値であった。しかし、この世界は物価が安い。それを鑑みるとそれなりの格の宿ということだ。外観からは想像がつきづらいが隠れ家的に人気だったりするのかもしれない。


 隣で可愛くお腹のなる音が聞こえた。横を見ると顔を赤くしたエリスがリタを睨んでいる。リタは苦笑いしながら、リィナに小声で話しかける。


「ねぇ、ご飯あるかな?」


「どうかしらね? 少し遅くなってしまったから……」


 そんな話をしていると、恐らく女将であろうカウンターの女性が、ロビーから繋がる食堂に案内してくれる。通常の営業は終わっているが、簡単なものを作ってくれるらしい。


 待つこと暫し、恐らく近くの清流から獲れたであろう魚を塩焼きにしたものと、白米のご飯と汁物が運ばれてくる。王国はどちらかと言えばパン文化だが、米が無いわけでは無い。そしてリタはご飯大好きっ娘であった。家族は女将に礼を言い、食前の祈りを捧げると皆無言で食事にありついた。

 艶やかに湯気の上がるご飯に、ほぐした魚の身をのせ、一気に頬張る。口の中で広がる香ばしい香りにほんのり甘い魚の脂。岩塩だろうか甘味のある塩も絶妙な加減である。ああ、ここに住みたい。リタはそんなことを思いながら、幸せそうな顔で食べていく。

 リタの幸せそうな食事姿に、思わず笑顔になる面々なのであった。


 食事を終えた家族は、部屋に案内された。こちらも清掃が行き届いており、木の香りが心地の良い部屋だ。四人で使うには十分に広く、窓からは薄っすらとライトアップされた中庭が覗けるようだ。こちらも落ち着きのある色調の木製の家具に統一され、大きくふかふかのベッドにテンションの上がるリタ。温泉は残念ながらこの時間は清掃中とのことで翌日にお預けとなったが、お湯とタオルで体を清めて、初めて見る形状の備え付けの寝間着に着替えて床に就いた。そうして忙しない旅行の一日目は終わりを告げ、一家は眠りにつくのであった。

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