忙しない旅路 3
双子の参戦により、戦況は一変した。
残ったゴブリンの掃討と、怪我人の救助。これだけでこの一件には片が付くはずだった。
しかし――――
「キャァアアア!」
聞いたことも無いようなエリスの悲鳴を聞いたリタが見たもの。
それは、見たことも無い肌の色の男が突き出す黒い剣に、右腕を抑え血を流すエリスが貫かれようとするまさにその瞬間だった。
(何故、気づかなかったッ!? あんなに接近されるまで……いや、今はいい!)
「あ゛あ゛あ゛あ゛あぁぁぁぁ!!」
引き延ばされていく時間の中で、声にならない叫びを上げ、リタの右眼に魔法陣が煌めく。魔法の発動と解析を並行する。
エリスはどうやら、急所を守ろうと心臓の前に障壁を展開しているようだ。しかし、どう転んでもおかしくない状況。奴はあのエリスを傷つけた。そして今にも殺そうとしている。
少なくとも、まごうことなき私の敵だ。怒りに視界が赤く染まる。転移魔法の発動までの時間がとても長く感じた。
「――エリィィィス!」
クロードは声の限り叫ぶ。そして全身が千切れそうになりながら全力で駆け出す。彼岸の距離は絶望的に遠い。
間に合わない――また、救えないのか。そう思いながら。
リィナもまた、声にならない叫びを上げながら、あらゆる手段を検討するも自分の魔術の発動では到底間に合いそうにないことを知った。だが同時に彼女は気づいていた。リタの周囲の圧倒的な魔素の煌めきと、彼女の魔力活性を。これまでの違和感が導く結論は、リタなら出来るかもしれない、ということ。ただ娘に賭け、祈ることしか出来ない自分を呪う。そうしてリィナは目を閉じた。
――――エリスが違和感に気づいたときには遅かった。
謎の男の剣戟に右腕を切り裂かれ、持っていた鉄剣を弾き飛ばされた。あまりの激痛に思わず悲鳴を上げる。一体何故、何処から。そんな疑問を上げる時間は残されていないようだ。既に敵はエリスの心臓目掛けて黒い剣の切先を突き出そうとしているのだ。頭の中で何重にも状況をシミュレートするが、完全にあの一撃を防ぎつつ、攻撃魔術での敵の撃破は不可。まずはあの一撃で死なないことが重要だ。心臓前にピンポイントで何重にも魔術障壁を展開する。相手の技量は未知数だが、少なくともエリスよりは上。ならば必要な面積は最小限、出し惜しみなしの全力展開だ。あの一撃さえ凌げば、あとはきっと家族がどうにかしてくれるはず。
そうエリスが覚悟を決めた瞬間だった。目の前に白銀の影が現れたのは――。
そこには、男の突き出した黒い剣を素手で砕く姉の姿があった。
「何者だ、貴様」
紫がかった肌に黒い眼球。顔のいたるところに血管が浮き出ている。全身に黒い外套を纏い、気配を発しない男。いや、正確にはリタの知らない気配を持つ男。そんな奇妙な男は若干の驚きと苛立ちが混じる声を発した。
「ゴミに名乗る名など無い!」
リタは啖呵を切ると瞬時に準備していた魔法を展開する。エリスを守る結界だ。同時に鉄剣を投げ捨てると至近距離で相対する男に向かい殴りかかった。こいつは楽に殺してやるつもりは無い。まずは殴る。男も折れた剣を投げ捨てると、左手を伸ばしリタの拳を受け止めようとしているようだ。
(無駄だ。怒れる幼女の鉄拳は、大地をも砕くと知れッ!)
筆舌に尽くしがたい音を響かせながら、男の左腕はひしゃげた。外套を突き破り破損した骨と組織が飛び出す。同時に溢れ出る黒い血液。
リタはとりあえず安堵した。この程度なら、エリスにかけた結界を破られることなど無いだろう。
「何ッ……!? チィ……!」
男もまさか幼女から左腕を簡単に潰されるとは予想もしていなかった。ここまで完全に破壊されては、簡単に再生するのも難しい。目くらましも兼ね、周囲を炎熱
「計画は途中だが……、仕方がない。ここは退くか」
「――――させるとでも?」
目の前の幼女は無傷だ。そして後ろの姉妹だろう存在も。あり得るのか、こんなことが。
そして彼に、とても凄惨な微笑みを返した。
背筋が凍るとはこのことだろうか。彼は生まれて初めて人間相手に恐怖を覚えた。気づいたのだ、既に全方位には魔法が展開されており、全ての照準が自分を捉えていると。彼女は隠蔽していただけで、とっくに自分を殺す準備は整っていた。そして今、わざと見せつけている。お前ごときに使う必要が無かっただけだと、言わしめるように。彼の頭には、何故人間が魔術では無く魔法を行使しているのかといった疑問などは無い。気づく余裕も無かったと言う方が正しいかもしれない。正しく、自身の生命が風前の灯火だったからだ。
「私の妹に手を出したんだ。苦しんで死ぬ覚悟は出来てるんだろう?」
だが、男も魔人たる者。人間の幼女相手にしてやられる筋合いは無い。魔法で次の一手を打とうとするも、彼の魔法が発動することは無かった。そして、男は自分の身体が動かないことに気付いた。強化魔法も意味を成さない。目の前の幼女の何らかの力の前に、男に出来ることは残っていなかった。
「そんな稚拙な魔法は、私の前では意味を成さない」
幼女は左手を顔にあてている。血のように赤く燃える右眼からは青白い魔法陣が煌々と輝きを漏らす。
「我が名はリタ。貴様を殺す者だ」
あれ、こいつ名乗ってるな……。それが魔人だった男の最後の思考だった。
ようやく接近したクロードが背後より魔人の首を斬り落としたためだ。リタに拘束されており、そもそも動くことなど出来なかったのだが、その時のクロードの一閃はリタがこれまでに見た中で一番鮮烈な一撃であった。
魔人の首は落ち、体も崩れ落ちる。完全に生命活動が停止しているのを魔眼で確認して、リタはふぅと息を吐いた。
「リタ、お前が手を汚す必要は無い……よくやった」
「……ありがとう、パパ」
リタは微笑む。既に先ほどまでのプレッシャーは無く、右眼も普段通りのようだ。
「なぁ、リタ? その……」
右眼を見て何かを言いにくそうにするクロード。リタは人差し指を口に当てて、こう言った。
「うん、イデアの魔眼。みんなには秘密だよ?」
そう言ってリタは笑った。確かに背後のエリスや、遠くにいたリィナには見えていなかったかもしれない。クロードは仕方ないと頷く。思うところは勿論あるが、彼女に助けられたのも事実。いつか、話してくれるまで待とう。そう思えた。
リタがお待たせと言いながら結界を解くと、エリスが飛びついてきた。
「お姉ちゃん!」
「よかった! エリス、よく頑張ったね!」
その温もりを抱きしめながら、リタは反省した。初めて見る気配だったからか気づかなかった。今回は何とか守りきれたが、いつかエリスが一人の時に何かあっては自分が許せない。何か考えないと……だが、今はそれより――。
リタはエリスの右腕の傷を撫でる。そうすると、エリスの傷は瞬時に塞がり綺麗になった。痛みも消えている。エリスは目を見開く。
「女の子の肌に傷が残ったらダメだからね」
自分だけに聞こえる声で姉が囁く。エリスはこくりと笑顔で頷いた。
――――いつか、必ず。もう何度目か分からない決意を決める。
どうして私は、いつも姉に助けられるだけの存在なのか。
どうして私は、いつも姉の足枷なのか。
あぁ、それでも、そんな出来損ないだとしても。
きっとこの家族は、私のことを愛してくれる。
私は家族だから、妹だから、私を抱きしめてくれるこの人と一緒にいられる。
それのなんと幸せなことだろうと思う。
「ありがとう、お姉ちゃん。……大好きだよ」
エリスの頬を赤く染めた笑顔に、リタは盛大に鼻血を噴き出して気絶した。
(こういうところが無ければもっといいんだけど……)
「おい、リタ? リタァァァァァァァ!!!」
クロードの絶叫とエリスの溜息だけが周囲に響いた。
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