忙しない旅路 1

「……お尻痛すぎワロタ」


 ――いつの時代かの死語でリタは呟く。

 馬車は街を出て二時間程度のところを進んでいる。日も大分上がって来たところだ。速度は悪くないだろう。とっくにクリシェの街は小さくなり、開けた草原の街道を突き進んでいる。サスペンションなどは勿論無いため、車輪が受けた衝撃はダイレクトに座面より身体に伝わる。


「――だから言ったのに。お姉ちゃんでしょ? その痛みも旅の醍醐味だ〜とか言ってたの。……はい、クッション」


 相変わらずどっちが姉か分からないなと思いながらリタはそのクッションを受け取り座面に敷いた。先ほどから、馬車は特に代り映えのしない景色の中を進んでいる。どこまでも広がるかのような草原に、見たことも無い花が所々に咲いている。自分の目で見て、肌で風を感じ、匂いを嗅ぐ。本当に世界はとても美しい。前世を除けば、初めての街の外にリタは興奮していた。


 そうして暫く、飽きもせずに景色を眺めていたリタであったが遥か前方に蠢く小さな影を発見した。


「あ、ゴブリン! 可愛……じゃなかった。――パパ? ゴブリンいる!」


 今可愛いって言いかけなかったか? うちの娘は大丈夫か? そんなことを考えながら、クロードはリタの指が指す方向に目を凝らす。

 確かに進行方向からほんの少し逸れたところに、ゴブリンの集団らしきものが見えた。娘の視力に驚きつつ、今更か、と乾いた笑みを漏らす。


「リィナ、一応準備を」


「とっくに出来てるわ」


 リタの発言に驚いていた乗客であったが、元冒険者二人の落ち着いた様子を見て安心する。余談ではあるが、小さな街である。もちろんクロードとリィナのことは有名であり、馬車が出発した後にそれぞれ挨拶を交わしたが、皆は彼らが同乗していることに安堵を覚えたのであった。


「パパ、ねぇリタは? リタも戦っていい?」


 リタが目を輝かせてクロードに問いかける。リィナにねだっても確実に駄目と言われるのが分かり切っていたため、幼女パワーで父親を落としにかかった。


「お留守番だ」


 そう言ってクロードはだらしない笑顔でリタの頭をなでる。あの程度の相手なら、もし戦闘になったとしても固まっていればリィナの魔術一発で終わるであろう。


「え~、ケチ! もうパパ知らないもん!」


 そう言いながらリタは頬を膨らませて、横を向いた。クロードは白化している。そんな父娘のやり取りを見ながら、乗客はどこか微笑ましい気分になった。四歳の女の子が、危険もわからず到底敵いっこないゴブリンと戦いたいと言っている、と。それを諌める父親も大変だと。六歳の少年は頬を赤くしてボケっとしていたが。


「お姉ちゃん、あんまり無理言ったらダメだよ?」


「……エリスまで! もう、パパとママでも抑えきれないくらい沢山ゴブリンが湧けばいいのに!」


「あ、お姉ちゃん、そんなこと言ったらダメ……」


 エリスは頭を抱えた。猛烈に嫌な予感がしてきた。

 それから数分後、ゴブリン達の方へ馬車は徐々に近づいていく。



「――うん? なんかゴブリン多くないか?」


 ほらね? エリスはクロードの発言を聞いて姉を睨みつける。リタはとっても嬉しそうだ。

 距離が近づいて分かったのだが、ゴブリンを発見した場所が少し小高い坂になっていたため、低地からは全貌が見えなかったのだ。また、坂の向こうからうっすら煙が上がっているように見える。


「あれは、ホブゴブリン!?」


 リィナも少し驚いた表情でゴブリン達を観察している。ホブゴブリンは所謂ゴブリンの上位種と言われる。肌は黒く、体も一回り大きい。ゴブリンよりも力も強く素早い。


「集落を形成しつつあるのか、もしくは狩りか? 森から離れたところで珍しいが……。リィナ、初撃で殲滅できそうか?」


「もう少し、近づかないと分からない。それに見て、あの煙。広範囲の魔術を放って万が一あの坂の向こうに襲われている馬車でもあったら大変よ」


「確かに……」


 クロードは苦虫を噛み潰したような表情で頷く。リィナとクロードの二人であれば何の問題も無いのだ。上位種とは言え、ゴブリンごときには到底遅れを取るつもりはない。しかし今回は、幼い娘たちや乗客も守らなければならない。出来れば、遠距離から安全に始末したかった。ゴブリンは集落を形成すると、ゴブリンアーチャーやゴブリンメイジなど、弓や魔法で遠距離攻撃をしてくる存在も増えてくる。


「分かった。俺が出る。リィナ、皆を頼む」


「ええ、気を付けてね? もう現役じゃないんだから」


「流石にゴブリンごときに遅れを取るつもりは無いさ」


 そう言って笑顔でクロードは飛び降りると、ゴブリン達に向かってとてつもない速度で駆けていく。乗客たちはその身体能力に驚きつつ、祈るような気持でいた。もし万が一彼が倒れれば、奴らに蹂躙されるのは私たちだ。と。


 御者がリィナに声を掛ける。


「止めますか?」


「いえ、坂の頂上まではお願い。向こう側が見えないと、対処が難しいから左から距離を取るように回り込んで。万が一坂の向こうに人がいた場合は、状況に応じて収容しつつ離脱するわ。少しスピードを上げて」


 御者もこういった状況には慣れているのか、割と落ち着いている様子である。リィナは殆ど普段通りだ。そして、落ち着かない乗客たちの中、とても落ち着いている双子を見て、リィナはこの子たちは相変わらず大物ね、と思う。馬車は加速して坂の頂上に向かっていく。

 そんなやり取りをしているうちにクロードはゴブリン達と接敵したようだ。ゴブリンはクロードの姿を認識すると有無を言わさず襲い掛かっていくが、瞬く間に切り刻まれ命を散らしていった。ホブゴブリンとてそれは同じだ。ゴブリンより素早く、武器を振るうもクロードの前では正しく弱者であった。鮮血と四肢が飛び散るその光景に、乗客の貴婦人は息子の目を塞ぐようにしている。

 クロードは舞うように他のゴブリン達を蹴散らしながら、坂の頂上に達するとこちらに向かってジェスチャーをしている。どうやら、坂の向こうには襲われている人がいるようだ。


 本来であれば、このあたりで馬車を止めたいと思うのが乗客の一致した見解であったが、基本的に街道で魔物に襲われている他の馬車や人と遭遇した時には可能であれば助けなければならないという不文律がある。この世界では、誰だって明日は我が身だからだ。もちろん、助けられた側は助けた人に対し金銭なりで礼をするというのもまた然りである。


「御者さん。私も出るわ。どうやら襲われている人がいるみたい。頂上付近を掃除しておくから、急いで!」


 そう言うとリィナも馬車から飛び降りて駆け出していった。リタは瞠目する。魔術師って足が遅いイメージが勝手にあったのだが、クロードに負けず劣らずの速度で走り去っていったからだ。


「お姉ちゃんがあんなこと言うから……」


 エリスはジト目でリタに話しかける。あの光景を見ても普段通り冷静だ。


「エリス? 流石にそれは関係ないと思うんだけど」


 リタも苦笑いで答える。そんないつも通りの双子の姿を見て、乗客は不思議に思っていた。両親によっぽどの信頼があるのか、危険が察知できていないのか……、と。実際には、彼女たちにあったのはあの程度の相手なら自分たちが遅れを取るはずもないという自信であったのだが。


「やっぱりミストルティン(仮)持ってきとけばよかった。なんで素振り用の剣しかないの……」


「なんでお姉ちゃんが戦う前提で話しているのか、とっても疑問なんだけど……」


 リィナもどうやら接敵したようだ。爆炎が上がるのが見える。馬車も速度を上げ頂上に迫る。近づくにつれ、肉の焦げた匂いと血や酸っぱい臓物の匂いが強くなりリタは顔を顰める。エリスも流石に眉間に皺をよせている。

 乗客の少年に至っては、目をつぶり耳を塞いで蹲っていた。――その気持ち、分からないことは無いよ。リタはきっと地球にいた頃の自分だったら同じだったかもねと、思う。……いや、反対にいきなりテロリストに襲われるようなシチュエーションを想像し真っ先に戦って無残に死んだかも。どちらかというとこっちの可能性が高そう……。そんな自分に苦笑を漏らす。


 ――馬車は坂の頂上に到着する。周囲にはゴブリンの死体の山だ。そして百メートルほど先に、横転した馬車と数十体ものゴブリンが見えた。血まみれの人間が数人横たわっており、リィナが治癒魔術をかけつつそれを守るようにクロードがゴブリン達と戦っている。二人の懸命な努力もあったが、既に手遅れとなった人間もいるようだ。



「まずいな」


 クロードは呟く。何せ敵の数が多すぎる。怪我人と乗ってきた馬車の二つを庇いながら戦うのは難しい。怪我人の収容を急がせなくては。


 そう思いながらも、ゴブリンの振るう木の棍棒や、鉄屑のような剣を避けつつ、確実にゴブリンを屠っていく。それでも次から次に湧いてくる。広範囲の殲滅はリィナの得意分野だが、今は一刻を争う怪我人の治療を優先しており手が回せそうにない。


 また、やはりと言うべきか、ゴブリンアーチャーやゴブリンメイジの遠距離攻撃が非常に鬱陶しく、思うように殲滅が進まない。


「リィナ、君は一旦怪我人を馬車に収容して離脱してくれ! やつら、まだ増えるぞ。これ以上は庇いながらだと難しい!」


「御者さん、こっちへ!」


 リィナが手招きするも、死体が山をつくる異様な光景と、飛び交う矢や魔法に馬が怯えて中々進まない。そうこうしているうちに、乗ってきた馬車に気づいたゴブリン達が、馬車に向かって行こうとしている。

 このままではジリ貧ね――。流石に治癒魔術と防御魔術を使いながら、攻撃魔術まで運用することは難しい。

 だが、彼女たち家族は貴族である。そして、力を持つ者でもある。皆を守らなければならないのだ。そのために手段を選ぶことは出来ない。自分たちが犠牲になってでも、他の人を守らなければならない。他人に犠牲を覚悟するのならば、目の前の怪我人を簡単に見捨てることが出来たならば、簡単であった。だが、そうではない。貴族としての矜持と、元一流冒険者としての誇りにかけて。


 このままでは、乗ってきた馬車の乗客も、自分たちの判断のせいで危険に晒すだけだ。

 あの時、目の前で仲間を失った。もう二度と、奪われるのはごめんだった。

 自分から言っておきながら、こんな選択肢を選ばなければならないとは。それでも、間違いなく最善の一手――。



「背に腹は代えられない、か。本当に情けないけれど、仕方がない。……大丈夫、信じましょう」


 リィナは目を閉じると、逡巡の末、奥の手を切ることを決めた。



「リタ! エリス! ――――戦闘準備を!」

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