いざ、避暑地へ

 リタとエリスが誕生して四度目の夏。


 強い日差しは街の通りに陽炎を生み、建物の影をより色濃くしている。庭の雑草処理も大変になりつつあるこの頃、双子は四歳になっていた。


「――――あちゅい。溶ける……」


 今年の夏は特に暑い気がする。特に午後の日差しは駄目だ。そうリタは思いながら、廊下の床に突っ伏していた。少なくとも、まだ床の方が涼しいからである。身体に力が入らない。本当に溶けてるんじゃなかろうかと思うほど、頬も垂れ下がり床と一体化している。


「ねぇ、ママ? またお姉ちゃんが床に落ちてる」


 エリスはため息を吐きながら、荷物を持ってリタの横を素通りしていく。


「リター? またそんな所で寝てるの? 起きてちょっとは準備手伝いなさい!」


 家族にとっては、まるで軟体動物のように、床と接する表面積を最大化する彼女の姿は、ここ最近の見慣れた光景であった。しかし、それでも彼女はこの暑さ、この季節を楽しんでいたといえよう。時々本当に嫌になって隠れて魔術で冷やしたりもしていたが、それは間違いなく地球にいた頃には体験の出来なかった贅沢な時間であった。


「本当暑い……無理……」


 長い時間をかけてようやく起き上がったリタは、母と妹の待つリビングへ向かう。

 家族は、明日から旅行に出発する予定だ。双子が生まれてから、初めてまとまった休みが取れたクロードの提案で、姉妹は生まれて初めてクリシェの街を、アステライト男爵領を出ることになったのだ。リタもまだ見ぬ景色に想像を膨らませ、胸が高鳴っていた。


 行先はリュミール湖の畔、エポスの街だ。リュミール湖は直径十キロメートル程度の大きな湖で、クリシェの街の南西に位置し、馬車で一日程度の距離にある。その水面には所々に遥か昔の城跡が残り、湖を覆うように多くの花が咲き乱れる風光明媚な観光地として有名である。また、高地にあるため避暑地としても人気が高く、王国中から貴族を中心に人が集まる場所であった。

 勿論、エポスの街はそういった人々の別荘や、裕福な観光客を対象とした高級宿が立ち並んでいるため、恐らく生半可な金額では済まないことが予想されるが、普段あまり贅沢をせずに倹約してきたリィナと懸命に働いたクロードのおかげで、初の旅行に漕ぎつけたのである。


 とはいえ、この世界に電話などは無い。わざわざ足を運んで、宿の予約を事前に入れているわけでもない。基本的には行き当たりばったりの旅となるが、冒険者時代が長かった両親にとっては慣れたものだ。


「ねぇ、ママ? リタの剣持っていってもいい?」


 リタの言う剣とは、以前クロードに模擬戦で勝ってせしめたミスリルの長剣である。白銀の美しい剣身と、細やかな装飾の鍔。丸太相手に試し斬りしたが、恐ろしいほどの切れ味であるにも関わらず意外なほどに軽かった。何より非常に丈夫で魔力との相性がいいと聞いている。リタも非常に気に入っている。シンプルながら上品で洗練された意匠の鞘に納め、壁に掛けて大切に飾ってある――流石に真剣を稽古で使う許可は貰えていない――。因みにクロードはこの剣をリタに渡すときには、尋常じゃない汗を掻き顔は引き攣り手が震えていた。金額は決して教えてくれなかったが、恐らくリィナにも本当の金額は教えていないのだろう。


「……どうして旅行に行くのに剣が必要なの?」


「だって、ママとパパは武装するでしょ? 盗賊団とか魔獣とか出たらどうするの?」


「お姉ちゃんがそういうこと言うと、大体本当になるからやめて……」


 エリスが嫌そうな顔で呟く。姉の勘の鋭さというか、トラブルを引き寄せる能力は非常に高い。


「あのね、リタ。確かに街の外は決して安全とは言い切れないわ。だからママとパパは武装するけれど、私たちは元々それなりの冒険者として国中を回っていたの。リタとエリスのこともちゃんと守るから心配しないで? そこらの盗賊なら、百人まとめてかかってきても返り討ちよ。もちろん、魔獣もね」


「え~。私の聖剣ミストルティン(仮)の錆にしたいよ~」


「何処でそんな言葉を覚えてきたのよ、全く。とにかく、子供がそんなことを心配してどうするの? 命のやり取りをするのには十年早いのよ。もちろん、そんなことしないで済むのが一番なんだからね。……あと、ミスリルは錆びないわ」


 口を尖らせるリタと、苦笑いのリィナ。そんな二人の会話を聞きながら、溜息をつき大人ぶるエリスであったが、彼女もまた初めての旅行をとても楽しみにしていた。椅子から伸びるエリスの両足は落ち着きなく揺れている。


「早く明日にならないかな……」


 エリスは天井を見上げ、小さく呟いた――。



 ――――翌日、早朝のアステライト邸。


「お姉ちゃん、いい加減起きないと置いていくからね?」


「……エリス、起こして……」


 リタは非常に朝が弱い。


「おい、馬車に遅れるぞ?」


 そう言って部屋に入ってきたクロードに急かされ、リタは何とか着替えを済ませる。顔には涎の跡が残り、髪も寝ぐせでひどい状態であった。それをリィナに無理やり綺麗にされながら、ようやく家の門を出た。夏にもなれば日は長くなっているが、外はまだ暗い。恐らく四時くらいだろうか。エポスに今日中に到着するためには、この時間の出発となってしまうのだ。


 アステライト邸から、徒歩十分程度のところに普段クロードが執務を行っているこの街の行政庁舎がある。乗合馬車はこの庁舎の前から乗り込むようだ。クロードは、事前に馬車だけは予約していたため、目的の馬車を見つけると早速乗り込んで手招きをしている。

 帆があるタイプの馬車を見て、やっぱり異世界はこれですな……と小さく呟くリタであった。また、案の定、木製の車輪に衝撃の吸収など微塵も期待できそうにない車体。きっと鉄板で乗り心地が悪そうだと、これまた期待に胸を膨らませてリタも乗り込んだ。


 車内にはすでに四人の人間が乗車していた。申し訳程度の座席には身なりの綺麗な老夫婦と、二十代後半くらいの上品な服を着た夫人とその息子らしき六歳くらいの少年が座っている。行先的にも、どうしても比較的裕福な人間が多いのは頷ける。リタとエリスもいつもより小綺麗な白のワンピースを着ている。リィナは仕立てがよく高級感のあるローブを身に纏い、クロードも余所行きの服に金属製の胸当てと籠手を装備し、帯剣しているが意外と様になっている。どうやら、この日の乗車はアステライト家で最後だったようだ。ちょうど空いていた四人掛けのベンチシートにアステライト家の面々は腰を落ち着ける。


 全員の着席を確認し、御者の男が口を開く。


「皆さん、それではそろそろ出発します。道中は比較的安全な街道となりますが、何かあった際は相互協力でお願いしますね。では」


 その言葉を合図に、ゆっくりと馬車が動き出す。

 アステライト家の波乱に満ちた旅が、いよいよ始まった――。

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