真理の魔眼と名無しの魔法詠唱者

「ノエル……」


 シンは彼女の亡骸を抱き、その体温が抜け落ちた後も、暫く泣いていた。

 いつの間に、これ程に大きな存在になったのか。

 あまり長い時間を過ごしたわけでは無いはずなのに。


 それでも、ただ無為に終わるだけの人生に意味を、価値を与えてくれた彼女にシンは感謝していた。


 だから、暫くの休息の時。

 来世への旅路が始まるまでは、安らかに眠って欲しい。

 シンはノルエルタージュの右腕を接合し、肌を治癒魔術で治した。

 例えそれが意味の無い事であったとしても、少しでも綺麗にしてあげたかったのだ。


 気持ちを整理するのはもう少し時間が必要に感じた。


 しかし、遠くからどうやら人間達がこちらに向かって来ているようだ。

 砂埃を巻き上げて何頭もの馬が疾走してくるのが見える。馬には白銀の鎧を纏った人間が騎乗している。


 ここは、どうすべきだろうと迷う。

 間違いなく、こちらは捕捉されているだろう。

 ここで逃げることも考えたが、あまりロクな事にはならないという予感がある。


 もう少しだけ、静かに彼女を悼む時間が欲しかったが……。


 正直に言えば、ノルエルタージュの亡骸を他の人間達に触らせたくは無かったし、死顔を見せたくも無い。

 いつまでも安らかに眠るその顔を眺めていたい気持ちはあったが、最後に頭を優しく撫でると立ち上がる。


 もし、彼女を案じてくれていた存在や親しい存在が居たとして、今からやって来るのであれば、ともに故人を悼むとしよう。


 もし、彼女の亡骸までも辱めるような存在が来たのなら、構うものか。皆殺しだ。


 絶対に、これ以上彼女を穢すことは許さない。

 念のため、魔法で黒曜石の棺を作成すると、彼女を横たえる。

 そして蓋を閉めると何重にも結界を施す。

 棺を背に、シンは腕組みして近づく人間達を待ち構えていた。


 暫しの時を経て、もう会話も出来る距離に近づいて来た。


 少し距離を置いて、馬が止まる。

 白銀の鎧に翠緑のマントを肩にかけた十人程の人間達だった。

 警戒しているのか、馬から降りると陣形を組むようにシンに近づいてくる。

 何処かの国か、組織を示すエンブレムが胸に輝いている。華美であるが、決して機能性を損なわない鎧の形状は部隊が恐らく実戦に秀でたものであることを示している。そうでなければ、こんな場所に派遣される事など無いだろう。


 帯剣している一際装飾の凝った鎧を纏う人物が前に出ると、後を追うよう少し後ろをもう一人付いて出てくる。恐らく部隊長クラスと補佐だろうか。


 徐に先頭を歩く隊長格の人物が、兜を脱ぎ去る。

 美しい金糸のような金髪と、マントと同じ翠緑の瞳。色白の整った顔と長く尖った耳。

 芸術品のような美しさと、芯の強さを感じる女性だった。女性で部隊長なのか。……それにしてもエルフか、流石は異世界だな。とシンは思いながら視線を逸らさない。


 目の前のエルフは、少なくとも兜を脱ぎ抜剣しようともしていない。現時点では敵意は感じない。


 しかし、補佐の方はそうでも無さそうだ。

 シンが少しでも怪しい動きをしようものなら即座に抜剣し彼の首を取るつもりだろう。

 だが、もし抜剣しようものなら、逆に一撃で葬り去る準備は出来ている。

 既に背後には隠蔽して展開済みの幾つもの魔法が待機しているからだ。


 補佐の方が前に出ようとするのを、手で制すると恐らく部隊長であろう女が口を開く。


「私は、ルミアス神聖王国、翠翼騎士団団長、オリヴィア・カーマンハイトと申す。すまないが、少し話を聞かせて貰えないだろうか」


 まず、ノエル以外とも言葉が通じる安堵をシンは感じた。

 正直、こっちの国や組織のことは全く詳しく無いが、騎士団の団長? 大物が出て来たな。だが、少なくともそこまで上から目線では無い物言いに現時点では多少の好感は持てる。


「えぇ、構いませんよ」


 シンは念のため敬語で返答した。


「単刀直入に聞こう。この辺りでは珍しい風貌だが貴殿は何者だ? ここで何をしていた?」


 オリヴィアは真っ直ぐにこちらを見ている。

 参ったな。何と答えるべきか。

 いや、彼女の眼には嘘はつけないと、右眼が教えてくれる。嘘を見抜く真理の魔眼。うん、まあまあカッコいいな。

 恐らく本気で魔法を駆使すればどうにかなりそうなものではあるが、とりあえず正直に話すか?


「私は通りすがりの魔法詠唱者です。邪神と戦っていました」


 一瞬、空気が凍った。オリヴィアは目を細める。


「貴様、カーマンハイト様の質問に真面目に答えないとはどういうことだッ! 言うに事欠いて魔法詠唱者だと。巫山戯るな!」


 補佐らしき人物は激昂した様子で、兜を投げ捨てると今にも剣に手を掛けようとしている。

 茶色のボブカットの、いかにも気が強そうな若い女だ。

 女性の部隊なんだろうか。


「ルチア、静かにしろ」


 オリヴィアが一喝すると、ルチアと呼ばれた女性は途端に静かになった。しかし、一気に空気が剣呑になったのを感じる。特にルチアは、射殺さんばかりの視線で殺気を放っている。


 正直に話してこれとは、先が思いやられる。


「今、邪神と戦っていたと言ったな。どうして貴殿は生きている? 邪神は、邪神はどうなったのだ?」


 何処か焦るようにオリヴィアは問いかける。


「私が殺しました」


「本、当に……?」


 淡々と答えたシンに、それが嘘では無いと気付いているのだろう。瞠目し、どこか足元が覚束ないようにも見える。


「貴様、いい加減な事を言うなッ! お前みたいな胡散臭い奴が邪神を倒したなど嘘を吐くな!」


 またルチアが喚いている。こいつカルシウム足りてないな。この世界にカルシウムがあるのかは知らんけど。シンはため息をつく。


「ルチアッ!」


 オリヴィアの怒りのこもった声に、ルチアも背筋を正すと、弁明を始める。


「お話の邪魔をして、申し訳ありません! しかし――」


「ルチア、下がっていろ。少し彼と二人で話をしたい。他の者にも距離を取るよう伝えろ」


「カーマンハイト様、ですが……」


「聞こえなかったか? 下がれ!」


 有無を言わせない口調でオリヴィアが言い切ると、ルチアはシンを睨みつけながら渋々と下がっていく。


「すまない。部下が失礼した」


「いえ。気にしておりませんので」


 本当はノエルの側で騒ぐなと言いたかったが、グッと堪える。


「貴殿の名を伺ってもいいだろうか」


「申し訳ありませんが、私に名乗る名はありません」


「名乗れない事情がある……か。では、魔法詠唱者殿。先程、この辺りを中心に光が立ち昇ったように見えたが、貴殿も見ていたか」


 オリヴィアは上に立つ立場だけあり、多少は話が分かるようだ。


「はい、私の魔法ですので」


 オリヴィアはふむと頷く。恐らく真理の魔眼と自身の感覚との整合性を測っているのであろう。


「ほう、貴殿が……。それならば確かに、邪神を打ち倒したというのも頷けるというものだ」


 そしてオリヴィアは深々と頭を下げた。


「貴殿の類まれなる魔法に敬意と、その行動に感謝を。……我々には出来なかった事だ。礼を言う」


 シンの中で、目の前の彼女の好感度は上昇を続けていた。自分で言うのもアレだがこんな怪しい男に素直に頭を下げることのできる潔さには、素直に感嘆を禁じ得ない。


「頭を上げてください。それが、彼女との約束でしたから。ただ、それを果たしたまでです」


「彼女とは? まさか、シルクヴァネア様か?」


「えぇ、ノエル――じゃなかったシルクヴァネア様です、はい」


 ふっと、彼女は笑う。とても自然で柔らかな笑顔だった。この顔が彼女の素かもしれないなとシンは思った。


「取り繕う必要はない。そうか、やはり貴殿だったのか。試すような真似をしてすまない。案ずるな、私はシルクヴァネア様の端末より話を伺っている。良くやってくれた」


「あぁ、そうでしたか」


「それより、後ろの立派な棺。先程から気になっていたのだが……」


 ソワソワした様子で、オリヴィアがシンの背後の黒曜石の棺を指す。


「えぇ、ノエルが。良ければ顔を見てあげてくれませんか?」


「こちらからも是非頼みたい」


 もういいだろう。彼女になら見せてもいいと思った。

 封印を解き、棺の蓋を開ける。


 オリヴィアはゆっくりと近づくと、横たわるノルエルタージュを見て崩れ落ちた。

 シンが邪神を殺したと言った時から、あれほど分かりやすく動揺していたのだ。

 きっとオリヴィアは、ずっと彼女のことを案じていたに違いない。


「あぁ、シルクヴァネア、様……! あの時、お救いすると――必ず、救うと、誓った、のに……申し訳、ありま、せん……私には、私たちは、何も、何も出来、なかった……!」


 遠くから、他の騎士団の面々が心配そうにこちらを見ている。

 だが、言いつけ通りに動く気は無いようだ。

 恐らく大凡の事情は察しているだろう。


 オリヴィアは暫くの間、静かに泣いていた。

 そして唐突にシンに礼を述べた。


「改めて君に礼を言いたい。騎士団長のカーマンハイトでは無く、ただのオリヴィアとして。シルクヴァネア様があんなに安らかなお顔をされているのも、きっと君のおかげだろう。ありがとう」


「いえ、私も救えた訳ではありませんから」


「それでもだ。それに、私たちを殺さないでくれたしな」


 少し悪戯っぽく彼女は笑う。

 その顔はとても魅力的だと思った。ノエルほどじゃ無いが。

 どうやらシンが隠蔽して展開していた魔法は見抜かれていたようだ。


「オリヴィアさん、良ければノエルの話を聞かせて貰えませんか?」


 シンは魔法でテーブルと二脚の椅子を作り出すと、オリヴィアに片方を勧めた。


「あぁ、そうだな。君にも聞きたいことが沢山ある。勿論、聞かせられる範囲で構わないとも。そうだな、私とシルクヴァネア様の出会いから話そう――――」


 それから二人はノルエルタージュの話で盛り上がった。こうして故人を偲ぶのも悪くない。


「君は、何故泣いている?」


「いや、ノエルは……孤独じゃ、無かったんだなって。想ってくれる誰かが、近くに居てくれたんだなって、それが……嬉しくて」


「そうか、君はシルクヴァネア様の端末も言っていたが、変わっているな。――だけど、その優しさは素敵だと思う」


 少し照れ臭くなったのもあるが、ある程度心の整理も着いたのを感じた。

 シンは静かに立ち上がる。


「そろそろ行くのか?」


「えぇ、彼女を、ノエルを迎えに行かないといけませんから」

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