シンとノエル
オリヴィア・カーマンハイトは実直で誠実な人間である。そして同時に現実的であるからこそ、今の立場があった。
それには彼女に宿った、真実を看破する魔眼の力も関係していたのだろう。だからこそ、目の前の彼の語る信じがたいことが、真実だと知ることが出来たのだ。
目の前の彼は、見た目からはとてもそうは思えないが、強大な力を持っている。
それでも、ノルエルタージュは死に、魂は邪神と変わったはず。
そして彼はそれを消し去った筈なのだ。
そうでなければ、とっくに人類など滅びていただろう。先まで感じていたとてつもない怖気は、間違いなく邪神のものであった筈。
彼は多くは語らないが、これ以上は心配することは無いと先程聞いた。
だから、彼の言うノルエルタージュを迎えに行くという言葉には、心底驚かされた。
まさか、彼は彼女の魂までも救ったというのか。
それは、どんな魔法で、どれ程までに困難なことだったであろう。気が遠くなるほどの長い研鑽を経たとしても、まず常人には辿り着けない領域だ。
少なくともオリヴィアが知る限り、神を除けば目の前の人物にしか成し得ないことは確かだ。
「そうか、やはり貴殿には感謝せねばなるまいな」
騎士団長モードに戻ったオリヴィアも立ち上がる。
そうして、惜別と尊敬を込めて右手を差し出した。
これは多分、握手で合ってる、よな? そう思いながら、シンは恐る恐る右手で握り返した。
問題は無かったようで安堵する。
「ノエルの亡骸は、私が埋葬しても構いませんか?」
「本当であれば、我々が引き取りたいのは山々だが。貴殿はそれを許容出来ないだろう?」
シンはこれに苦笑いで返すしかない。
「感謝します」
話によればノルエルタージュには、オリヴィア以外には特に親しい人間は居なかったらしい。
家族からは遠ざけられていたという。
それにしても、あまり考えないようにしているが、騎士団長から様付けで呼ばれる生まれだったんだよな……。
そうして、棺の蓋を閉めると遺体を荼毘に付した。骨まで焼き尽くす炎で。
この世界に火葬があるかは分からないが、きっとノエルなら許してくれるだろうと、シンは思う。
そうして遺灰は、骨壷に姿を変えた棺に入れ地中深くに魔法で埋めた。
地上には高く伸びる真っ白な石の墓標を建てる。
千年は朽ちないように、強化魔法と守護結界をかけて。
「見たことのない文字だ」
オリヴィアは、墓標に刻まれた文字を見てそう言った。
「ええ、私の故郷の文字ですので」
少し懐かしい気持ちで、シンは彫られた文字をなぞった。
「なんと記したのか聞いても?」
オリヴィアの問いに、シンは答えた。
「誰よりも気高く生きた少女、ここに眠る。と」
「そうか」
オリヴィアは、胸に手を当て目を閉じる。
シンもその隣で墓標に手を合わせた。
「では、そろそろ……」
「貴殿には迷惑をかけたな。せめて見送りくらいさせてくれ。おい、皆、こっちに来い!」
オリヴィアの呼び掛けに、騎士団の他の面々が集まってくる。
「皆、彼こそが邪神を打ち倒し、文字通り世界を破滅から救った英傑である。彼は、我々に出来なかった事を成し遂げた偉大な人物であるが、表に出る事を望んでいない。だから、行き先を詮索することも、名を尋ねることも禁ずる。ただ、その大いなる行いと勇敢さに敬意と感謝を表し、最敬礼で見送れ」
オリヴィアの言葉に面々は跪き、シンに頭を垂れる。
「いやいやいや、私はそんな大層な人物では」
「貴殿は時に謙遜が過ぎるな。――また、会えるだろうか?」
「そうですね、千年もすれば……あるいは」
「そうか、私は寿命が長い種族でな。その時に私が生きていたなら、訪ねて来るが良い。歓迎しよう」
「ありがとうございます。その時には、必ず」
「では、さらばだ。名も無き魔法詠唱者よ」
「ええ、それでは」
シンはそう言うと、もう一度だけ墓標を眺めると転移魔術を発動した。
シンが消えてからも、少しの間彼らは最敬礼で跪いていた。
ルチアはようやく立ち上がると、少し団員達から離れた場所で遠くを見つめるオリヴィアに駆け寄り、口を開いた。
「よろしかったのですか?」
「何がだ?」
「カーマンハイト様があのように仰るということは、あの者が邪神を倒したというのは本当のことなのでしょう。そんな力を持つ存在を野放しにしてしまっても?」
「少なくとも、我々の力では推し量れない人物であることは確かだ。尤も彼を縛るのは難しいことだろう。それに、私は少し彼に賭けてみたくなったのだ。彼は今から何処に行くと言ったと思う?」
「それは……想像もつきませんが……」
「シルクヴァネア様を迎えに行く、と言ったよ」
「そ、それは……」
「彼の瞳は自信と覚悟に満ちていた。私には出来ない事を、我々が諦めたことを、必ず成し遂げるのだと。自分の無力さを痛感させられたよ」
「カーマンハイト様……本当に彼は、何者なのでしょう」
「さあな。きっとシルクヴァネア様を救うためにこの世界に来た、通りすがりの魔法詠唱者さ。そんな、おとぎ話があっても悪くないだろう?」
オリヴィアの悪戯っぽい笑みを見て、言外に込められた意図を察しつつ、ルチアはこの人は本当に不器用で素晴らしい上司だと思った。
「私は、あまり信じられませんけどね」
そう言ってルチアは笑う。
「私は信じるさ」
きっと、その物語はハッピーエンドに決まっている。
そうだろう、
誰の前でも呼ぶ事が出来ない名前を、心の中で呼ぶ。
オリヴィアは、いつしか2人が手を繋いで自分の前に現れる。
そんな時が来るのだと確信していた。
「皆、すまない。時間をとらせてしまったな。彼とは暫く事の次第について話していた。それから、其処に彼が建てた墓標のことは、口外無用で頼みたい。出来れば、彼女を安らかに眠らせてやって欲しい」
騎士団の面々は口々に頷くと、墓標に祈りを捧げた。
自分は部下に恵まれたな。と、オリヴィアは思う。
国に帰れば大変だろう。
事の顛末をどう説明したものか。頭は痛い。
自分の無力さも、運命の残酷さも本当に嫌になる。
それでも彼女の心は、少しだけ晴れやかだった。
未来に期待出来るとは、これ程までに生きる気力を湧き上がらせるものなのか。
そうして翠翼騎士団は帰国の途に着いたのであった。
――――その頃、シンは超高度より騎士団が引き揚げて行くのを魔法で拡大した視界で見つめていた。
オリヴィアは信頼出来るだろうが、あのルチアという女が狼藉を働かないとも限らない。
それにしてもルチアもあんな顔が出来るのか。本当にオリヴィアは皆から慕われているようだ。
あ、オリヴィアが振り返ってこっち見た。苦笑いしてるしバレてた?
恥ずかしいな……。
あぁ、それにしても綺麗だ。
超高度より見下ろす大地。多くの生命が息づき、刻一刻と景色を変えていく。
いつまでも眺めていたいし、今すぐにでも色々な場所を、街を見に行きたい。
だがシンは、前世から楽しみは後に取っておくタイプだった。
いつか、ノエルと世界を見て回ろう。
オリヴィアによれば、彼女も引きこもりだったらしいから。
さて、そろそろ頃合いか。
自分の魂に細工していく。
自身の死と同時に発動する、条件式の遅延術式だ。
これは自身の魂を千年に渡り傷つけ続ける。
自己修復とのバランスを取りながら、彼女と同じ立場に自分を置いて、その時を待つのだ。
合わせて、記憶も力も引き継ぐように。
いつか彼女を見つけた時に守れるように。
勿論、平和に暮らせるのが一番だけれど。
回復魔術でも学ぶのはどうだろうか。
目立つ必要も無いし、豊かな暮らしも必要無い。
もし、彼女が他の誰かと生きることを選び、シンを拒絶したとしても。
ただ、彼女が笑って、幸せで居てくれるならそれでいい。
だから、例え寿命が何千年あっても、彼女が居ない世界をシンは生きていたくはなかった。
唯一、気色悪いストーカーだと思われないかが心配だが、彼女が待っていると言ってくれた言葉が本音だと信じるしか無い。
それに……どうせならイケメンに生まれ変わりたい! そうだろ!?
あのルチアとかいう女も俺がイケメンだったら態度が違ったに違いない……と根に持っているシンであった。
そして、来世こそ、来世こそ! 脱!! 童貞!!!
「よし、死のう!」
アルトヘイヴンの大地の遥か上空で、二度目の巨大な極彩色の閃光が観測された。
一つ目の強大な閃光を皮切りに、連鎖するように夜空を照らした多くの光は、まるで花のようであったという。
誰かが、神の祝福かと漏らすと、人々は空に向かい祈りを捧げた。
「シンタロウ・オウミ。……面白い」
黒い、小さな影は呟く。
それは光が消えたのを見届けて、静かに夜空に溶けていく。
――――やがて、季節が夏へと変わる頃、謎の男が邪神を打ち倒したとの報が世界中を駆け巡る。
世間ではまことしやかに、邪神に囚われた悲劇のお姫様と、異世界からやってきた名も無き魔法詠唱者の噂話が流れていた。
いつしかそれは形を変え、おとぎ話として語られるようになる――――。
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