初めての異世界
ノルエルタージュ・シルクヴァネア。
そう名乗った彼女が、ここを去ってどれくらいの時が経ったのだろう。
「あのー、さすがに長すぎませんかね? ノエルさんや?」
答えるものが居るはずの無い問いを、虚空に投げかけると、慎太郎改めシンはいつもと同じ一日を始めるのであった。
彼は転生したことであるし、せっかく彼女が呼んでくれた名でこれからは名乗ろうと思っていた。家名は無いが、構わないだろう。そもそも名を伝える相手さえいないことだ。
シンが、この亜空間で修行を始めて、実に六八〇年の時が経過していた。
この空間では歳を取る事が無いのか、自分がおかしくなったのかは最早分からないが、容姿はほとんど変わっていないようだ。
彼女が残してくれていた本は全て読んで頭に入っているし(言葉と同じく文字も読むことが出来たのには驚いたが、恐らくそれ込みで作られた身体なのだろう)、魔術とやらも多分そこそこ使えるはずだ。しかしながら、いかんせん比べる相手もおらず元々見たことのない技術である。
とにかく、研鑽と研究を重ねるしか無かった。
建物の外を少し歩くと、川がある。川原は、彼のお気に入りの場所だった。
亜空間のせいか、何処かボヤけているが前世には無かった景色を楽しみ。今日も
何だかノルエルタージュの残滓を感じる本によれば、魔術は人のために確立された技術。魔法は魔の理そのもので、人の身には扱いきれぬもの、と記載されている。
さて、前世でも魔法使いと呼ばれていたが、いよいよもって七百年越えは笑えなくなってきたな。そうシンは遠い目をしながら思う。
だが正に、彼が今使用できる力は人々にとって魔法と呼ぶべきものであった。
そこには地球の物理学の知識と、長すぎる研究生活で生み出してきた多くの理論、彼の異常な事象干渉力が組み合わさり、おおよそアルトヘイブンの人々が見たことも無いものであったからだ。
事象干渉力に関しては、ノルエルタージュをもってして、人外と言わしめたものであり、これは魔術や魔法を行使した際に引き起こされる事象にどれだけ強く干渉できるかということを示している。
と、そんなことを考えながらシンは魔法を行使する。使えば使うほどに体内の魔力は伸びていくのだ。
使用するのは、対邪神最終決戦魔法、『
そして、アルトヘイブンの魔術師に言いたいのは、なぜ呪文を詠唱しないのか……ということである。件の本によれば、戦場でそんなことをしていれば死ぬ。とある。
然り、確かにそうであろうとも……でも、かっこいいじゃないか――。
彼の中二病は未だに治っていなかったようである。
それでも、もう数百年も繰り返していれば飽きるようで、詠唱も魔法名も口に出すことはなく彼の右手には三連の魔法陣の輪ができる。光を放ちながら、形を変え輪が回る。
手のひらには、真っ白な光球が出現する。彼が投げやりにそれを放り投げると、世界は白に染まった。
核融合反応の純粋なエネルギーだけを取り出し、圧縮。収束された莫大な光熱で対象を蒸発させる魔法である。亜空間なのでよく分からないが、おそらく地球程度の惑星ならこの一撃で粉砕できるだろうと思っている。だが邪神はきっともっと強いだろう。最大でこの100倍くらいまでの規模に拡大できるが、それでも足りるんだろうか……。
勿論、これを使えばアルトヘイブンが吹き飛ぶのは確実なので、対象以外には障壁を張るように設計している。
そのあとも一通り魔法を行使すると、自身の家となった建物に戻る。
戻れば魂について、転生について研究する。彼女の残した本を片手に、微かな残滓を感じながら。
そして何より、邪神とは何か。ノエルと彼が呼ぶ少女は魂が変質すると言っていた。
そこにきっと大きなヒントがあるはずだ。もう少し、もう少しで分かりそうな気がする。
彼女を、殺す。その約束を果たすために彼は生きている。
だが、いまだにその瞳には諦めの文字はなく、もう顔も覚えていない少女を救ってみせるのだという意志を宿していた。
その時、部屋の置時計が鐘を鳴らしたのを聞いた。
「あぁ、ようやくZero Hourか。長かったな……。あとはなるようになるか」
中央に転移の魔術式が出現している。
「うん、ちょっと稚拙な術式だな。今度会ったら教えてやろう」
彼は笑いながら、少しだけその場で改良すると、転移魔法陣に足をかけた。
気持ち悪い浮遊感に苛まれたのも一瞬のこと。
目を開ければ、一面の荒野であった。
視界は澄み切っている。気づけば自分の視力が異常なまでに良くなっていることに気づく。
赤茶けた台地にはところどころに赤黒い染みと、何らかの生物の死骸が転がっている。
そして溢れんばかりの魔素の煌めき。
「ここが、アルトヘイブン……」
一陣の風が吹き、大地の匂いを運ぶ。
汚染されていない、本物の空気だ。大きく息を吸って肺に取り込む。
青空はどこまでも続き、雲の合間に大小の二つの月が見える。
あぁ、確かに俺はこんな世界を望んでいたんだ。
シンは大粒の涙をこぼした。
風が止むと、世界から音が消える。
その刹那、景色が固唾を飲んだような気がした。
音もなく、目の前に現れたのは、ボロボロの服を身にまとった黒髪の少女だった。
肌は焼きただれているが、圧倒的な存在感。
その目に宿るのは、叡智の輝きではなく狂気と衝動。
口の端から、涎を垂らしながら不気味なうめき声を発している。
「久しぶりだな、ノエル。終わらせに来た」
目の前の少女は一瞬、ほんの一瞬だけではあるが、それでも確かに微笑んだ気がした。
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