邪神と異世界人と私

「えっと、初めまして。邪神……、様? 恐らく、ですが、復活させた人間が私です」


 慎太郎は、しどろもどろにそんな返答を返した。正直自分でも、何を言っているのかよく分からない。だが、初見で目の前の彼女の言葉の意味を正確に理解し、適切な返答の出来る人間などいないだろうという、謎の自信はあった。


「ええ、知っているわ。それにしても、慎太郎? 貴女、途方もない事象干渉力ね。――本当に、人間?」


 目の前の彼女は、可愛らしい顔に良く似合う? ポーズで小首を傾げる。しかしながら、その瞳の奥に宿る光は鋭い。そんな彼女の様子に、慎太郎は対話が可能であることに安堵しつつ口を開いた。


「えっと、あの、人間かと聞かれましても……。とりあえず、先日までは、恐らく? ちょ、ちょっと時間の感覚が無いもので。その、干渉力云々は……、正直よく分からない、です、けど」


「なるほどなるほど……。状況をまだ良く理解出来ていないのね。――――それにしても、本体から分割されているとはいえ、一度消滅した私を復活させるほど……? 完全に計画は失敗したみたいね」


 少女の言葉の後半は、小声で良く聞き取れなかった。だが、とりあえずこんな美少女と最低限のコミュニケーションが取れている自分を、全力で褒めたたえたいと慎太郎は感じていた。同時に、美少女と至近距離で会話をするという高揚感を感じながらも、何処か冷静な自分が居ることに自分でも驚く。


「あ、あの……! し、しし質問しても?」


(あああ……、またどもった。本当に格好付かないな、俺は。……もう顔も無いからどうでもいいか)


 しどろもどろに慎太郎が問いかけると、少女は微かに頷いて続きを促す。


「――本当に、本物の神様、です、か?」


、ね……。どうかしら? 少なくとも私自身は、そうでは無い。だけれど、私を作り出した私のオリジナルは、紛れも無く『邪神』と呼ばれる存在になる」


 何故か未来形で語る彼女の言葉に、慎太郎の思考は疑問符で埋め尽くされていく。これから邪神になる? だから今は人型? 


 そして、自分のことのはずなのに、苦虫を噛み潰したように語った彼女はその睫毛を下げ、強く拳を握りしめている。何故だか分からないが、慎太郎は彼女にこれ以上そんな表情を続けて欲しくなかった。とりあえず質問を重ねることにしよう。


「わ、分かればでいいんですが、さっき俺の名前を呼びましたよね? 俺は、本当に俺なんですか?」


 ここが何処で目の前の少女が何者であるかも大切だが、何よりも自身の存在が揺らいでいては仕方がない。今更であることには違いは無いのだが。


 現時点で自身が近江慎太郎であるという自己認識はあるものの、死んだはずだという自覚もある。そもそもこの問いかけに、彼女が答えられるかどうかは不明だが……。だが、確かに少女は視線を上げると、薄い唇を開いた。


「そうであるとも言えるし、そうでないとも言える。間違い無いのは、確かに貴方は慎太郎として生き、元の世界から存在が消滅したということよ」


 慎太郎の抽象的な質問に対して、彼女は淡々と的を射ない回答を返す。だが、こちらの問いかけにも特に嫌がる素振りも見せず回答してくれる所を見るに、案外いい邪神なんだろうか。「いい邪神」という言葉が正しいかは置いておいて。慎太郎はそんなことを思いながら、更に続けた。


「つまりは、死んだと?」


「いいえ、正確には異なるわ。けれども、貴方が現時点で理解可能な言葉で話すのであれば、『是』と答えることになるわね」


「……すいません、その……。いろいろ、詳しく教えていただくことは、か、可能でしょうか? ついでにこの場所のことも」


 慎太郎は、自分がそこまで頭のいい人間ではない自覚があったため、正直にそんな言葉を返した。


 自分が死んだのかどうかもよく分からないが、少なくとも、今の姿で取り繕ってカッコつける必要もないだろう。目の前の存在が神では無いにせよ、それに近い高次存在であるのならば、大概不躾だが仕方が無い。


「先に断っておくけれど、色々と想定外があったみたいで、実は私も完全に状況を理解出来ているわけでは無いの。だからこれから話すのは、あくまで私の仮説。貴方の世界に来て学んだ理や単位で話すけれど、貴方の常識や価値観では完全に理解することは出来ないと思うし、少なくともそれが事実であるという証明も私は出来ない」


 彼女はそう言うと、真っすぐな瞳でこちらを見た。その視線に思わず慎太郎はたじろぐも、どうにか頷くことに成功する。


 少女は一度息を吐くと、ゆっくりと語り始めた。


「現状を説明する前に――。まず前提として世界という存在を、とても大きな目線で見ると、波のような性質をしているわ。この考えで言えば、私たちの世界は、貴方のいた世界とは波の位相が四分の一ズレていて、お互いを観測することは出来ないし、干渉も出来ない。私はとある方法、貴方の世界には存在しない技術で干渉したけれど。……ここで位相がズレて存在していると言っても、空間的・時間的に見て単純に同じような世界同士が二重に重なるように存在しているというわけでは無いわ。貴方たちが『宇宙』と呼ぶものと同じ定義の空間はあるけれど、その中心を起点とした空間座標だけを見ても、地球と私たちが暮らす星、いわゆる『知的生命体を育む特異点』同士でも十億パーセク以上の座標の違いがあるもの」


 彼女は、何を言っているのだろうか……? もしかして、彼女も中二病なのか? 慎太郎は既に遠い眼をして聞いていた。眼球は無いが、雰囲気は伝わっているんだろう。なんだか少女からジトっとした眼で見られている気がする。


 とはいえ、慎太郎にも勿論事実であるかどうかを知る術はないし、彼女の声は顔と同じくとても美しい。少なくとも、続きを聞きたいと思うには十分であった。慎太郎は頷いて続きを促す。


「元々、貴方たちが邪神の欠片とか呼んでいた物体は、私が自分自身を魔術装置化して作った次元兵器よ。本来であれば長い時間をかけて地球の魔素を収集し、時がくれば起動する予定だった。だけれども、貴方が次元兵器に多くの魔素を注いだ時、不安定なまま臨界して起動してしまったの。そしてそれによって、確かに貴方の世界と私たちの世界が繋がった。正確にはその中間にある、兵器から時空魔術により展開される隔絶された時空間、つまり此処を介して、ね? その瞬間にお互いの世界の位相が不安定な揺らぎを見せて、断続的な次元断層が発生したわ。貴方のいた場所を起点としてね」


(話長ッ!? 既に訳分かんないんですけど……。え? まだ続くの?)


 今、自分に目があれば、きっと死んだ魚のような目をしているんだろうなと、慎太郎はどうでもいいことを考える。だが、少女はきっと真面目なのだろう。時折、何かを思い出すように瞳を閉じながらも、真剣な表情で話を続けていた。


「――兵器が起動した時には、先に言ったように無理矢理世界同士を接続しようとするわ。そうすると、互いの世界同士の存在が近くなりすぎないように、強烈な斥力が働いて情報爆発が発生するの。元々はその力を使って、私のオリジナルの存在情報そのものを吹き飛ばして完全破壊するつもりで仕組んだ兵器だった。勿論、斥力場の弁はこの空間に設けているから、一方通行で私の世界の本体に流れ込むし、貴方たちの世界には迷惑をかけずにね。……そう、そのつもりだったんだけど。はぁ……」


 彼女は大きなため息と共に更にジトっとした眼で慎太郎を見る。既にほぼ聞いていないことがバレたんだろうか。「魔術」とか「魔術」とか、中二病には聞き捨てならない単語が混じっていた気がするのは確かだが。


 だが、彼女は最後まで説明を続けることにしたようだ。慎太郎は、もう少しちゃんと聞こうと姿勢を正す。


「貴方が、余計なことをしてくれたおかげで、私の本体は無事。休眠状態の本体を叩くことが出来なかったうえに、貴方の邪神を復活させるという意識が生み出した干渉力は本体を封印していた結界を粉砕した。結果として私たちの世界、『アルトヘイヴン』では邪神が復活することが確定となった。……それに加えて、何故か貴方はここにいるし。ついでに兵器と化して消滅していた私の意識も復旧しているし。訳が分からないのは私も同じよ? ――ここで少し前の話に戻るけど、だから貴方には現状「死」という概念は適用されない。この隔離空間に情報が流出してしまって、何処の世界にも存在しないから。さしずめ今は情報生命体と言ったところかしら?」


 話し終えた少女は、花が咲くような笑顔を見せた。普段の自分だったら、思わず絶句していたであろう、少女らしい天真爛漫な表情に見える。だが、その笑顔が非常に怖い。怖すぎる。


(でも、雰囲気はいい人っぽいんだよな。……邪神なのに)


 彼女は、その顔に完璧な笑みを張り付けたまま、微動だにしない。何も発しない彼女との間に流れる沈黙が、とても痛い。そうして慎太郎は、彼女の無言の圧力に負け、土下座しながら告白した。


「も、申し訳ありません。なんだか、いろいろと、やってしまったようで……。ついでに、はっきり言うと、全く理解が及びませんでしたっ!」


「でしょうね。見ていれば分かるわ」


 慎太郎の言葉に対して、間髪入れずに返された言葉には、呆れの感情が籠っていた。なんだか、時を経るごとに彼女が自分のことを見る目が冷たくなっていく気がする。


「……ですが自分のことと、この場所のことは本当に何となくですが、分かったような気がします。ありがとうございます」


「簡単に信じることができるの?」


「正直に申し上げますと……あまり。次に……、ええと……邪神様? いえ、独立思念端末様? のことを聞いても? そもそも何故、自分のオリジナルを破壊しようと?」


 目の前の少女をなんと呼ぶのが正解なのか全く分からないのは、自分が勉強不足だったからだろうか。慎太郎は訳もわからず質問を重ねてしまう。


「これ以上の質問はお断りよ。というより、言葉で説明するのも面倒だわ。――――そういう訳だから」


 そう言いながら少女が近づいてくる。なんだか急に雰囲気が変わったような気がするのは気のせいだろうか。


 さすがにあまり近づかれると童貞には刺激が強すぎるのだが。そんな慎太郎の考えもつゆ知らず、彼女はおもむろに右手を彼の頭の前にかざした。


 ――次の瞬間、慎太郎は頭がすりつぶされるような痛みをまた味わうことになった。完全に油断していた。勝手に彼女には自分を害する意図はないと思い込んでいた。思わず苦悶の声を漏らす。


「……最初から、こうしていれば良かった」


 彼女の静かな呟きがとても冷たく響く。


 しかし、すぐに誤解だと気づいた。


 それは痛みとして知覚していたが、痛覚によるものでは無い。彼の存在を定義する情報に対して干渉が行われたためだ。直接的に知識として、先の話の概説と彼女の存在に関する情報を慎太郎の意識情報に書き加えたのだ。




 それによれば、アルトヘイヴンには元々魔術が存在しており、彼女は人間の魔術師であったという。


 彼女は時空を操ることのできる希少な属性の魔術師であり、強大な力を持っていたが、ある時自分の魂の中に歪な何かが存在していることに気づいた。


 それこそが、古代に滅んだとされる邪神の魂の破片であったのだ。


 世界に破滅をもたらす邪神が、自分を媒介にして復活する――それが解析出来たころには、時すでに遅し。彼女の魂の大部分は邪神に取り込まれ変質が始まっていた。


 その時点で、彼女の能力や魔力は人間の域をとうに超越しており、最早自死することも叶わず、誰かが彼女を害そうにも自動的に魔術による防護障壁が発動するようになっていた。


 幸いにも彼女は時空魔術に精通していたため、少しでも邪神の復活を遅らせるべく自身に何重もの遅延魔術をかけた。合わせて、世界中の優秀な魔術師たちが集まり強固な結界魔術で彼女を封印したという。


 そして、事前に正気を保っているうちに作成していた自分のコピー、つまり目の前の独立思念端末は、自分を滅ぼす術を探して別の時空に転移したらしい。


 繰り返した転移の果て、偶然に辿り着いた地球は、科学が非常に発展していた。彼女は、その知識を得ると、自身の魔術理論と掛け合わせ、次元兵器の設計を思いつく。そうして、自分の存在を次元兵器に改変して現在に至るのであった。




 ……うん、完全にやらかしてるな、俺。最早、疫病神として祀られそうだと、慎太郎は思いながら立ち上がる。そんな心を読んだのか分からないが、にこやかな笑顔を浮かべながら、目の前の美少女は底冷えするような声で問いかけた。


「さて、慎太郎あらためさん?」


「えぇと、何でございますでしょうか?」


 最早邪神とか関係なく、目の前の少女には逆らえそうにない。慎太郎は、何とか声を絞り出した。


 これは、何を言われても仕方が無いなと慎太郎は思う。とある界隈では美少女に蔑まれることをご褒美と呼ぶらしいが、とてもじゃないが、そんな気分にはなれそうにない。


 そんな中、少し間を置いて彼女は次の声を発した。


「……ごめんなさい。冗談よ」


「――――え?」


 慎太郎の予想に反して、彼女の口から発せられた言葉は謝罪であった。思わず間抜けな声を出してしまう。


「……少し、失敗に動転していたようね。貴方に責任転嫁をしても仕方がないわ。貴方が本当に巻き込まれただけというのは、私も重々承知している。そして、その起点になったのが私自身だということも。だから、本当にごめんなさい」


 そう言い切ると、深々と頭を下げたのである。少女の眉尻は下がり、どこかしおらし気に見える。童貞には、こんな時にどうすればいいかなど分かるはずもない。もう、相棒の姿は無いが……。慎太郎は慌てて口を開く。


「いや、こちらこそ事情も知らずに本当にすみません。お、俺に出来ることなら、何でもしますので……!」


 だが、慌てていたからなのか分からないが、慎太郎は言ってはならない言葉を発してしまった。冷静な自分が居れば、そんな無責任なことを言うなと言っただろうか。


「――本当に?」


 そこで上目遣いは、完全に童貞を殺しに来ているとしか思えないな。そんな思考を最後に、慎太郎は堪らず頷いてしまったのである。

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