端末様との邂逅
彼は、闇とも光とも形容のつかない微睡の中にいた。
何もかもが遠く、ぼやけている。彼は辛うじて、そんな感覚を覚えていた。いつからそうしているのか、想像もつかないが、何かを思考するという行為がとても億劫であったのは間違いない。この感覚を安らぎと呼べるのかどうかは不安があるが、少なくとも何かに抱かれているような温かさがあった。
ともすれば、このまま永遠に揺蕩うようにも感じていたが、ある時何かに引っ張られ急速に水面に浮上するような感覚があった。少しずつ混じり合ったものが純粋さを取り戻すように、感覚がクリアになっていく。
そうして彼は、自身がかつて近江慎太郎であったことを思い出したのであった。
「えっと……。死んだよな? 俺」
声に出していないが声になったような不思議な感覚がある。少なくとも、肉体は存在しておらず視覚も聴覚も無いようだ。それでも、伝わる。理解できる。感覚がある。
……これは、まさか死後の世界とでも言うんだろうか?
元々、そんな世界の存在は信じていなかった。脳内の電気信号だけが本人の意識であると考え、魂や輪廻という存在には否定的な慎太郎であったがどうやら誤りなのかもしれない。
そして慎太郎だったものとは別に、遠くに大きな光のような煌めきがあるように感じる。
とはいえ、ここは空間座標で定義できる空間では無いようで、物理的な距離や移動という概念は存在しない。だが、彼が思考することで存在が詳細に定義付けされたようで、急に距離感を知覚できるようになった。
なればこそ、と慎太郎は自身の肉体と広い空間を強くイメージしてみた。そうすると途端に空間は定義づけられ、真っ白な無限に広がる空間と、人の形をした同じく真っ白な光――慎太郎――を形成する。
自分の身体がはっきりしないというのは、どうにももどかしい。しかし、健康だった頃の自分の肉体を、ちゃんと覚えてない自覚があった慎太郎は、これも許容範囲かと自身に言い聞かす。
それにしても、何だか卑猥なものにでもなった気分だ……。うっすらと輝きながら輪郭のボケた自分の体を見て、前時代のモザイクを思い出した慎太郎であった。
そうして慎太郎は、自身が定義した空間を進む。遠くで揺らいでいる、光の塊に向けて。
「うん、やっぱりそうだよな」
肉体を定義したためか分からないが、慎太郎は自身が声を発し、それを音声として認識しているような感覚を覚えた。そして確かに視覚として捉えている光を見据える。
あれは間違い無く、あの時に魔素を注ぎ込んだ邪神の欠片だろう。ここが何処なのかは、全く分からないが、欠片がここにあるということは、俺は失敗したのだろうか。
だが、少なくとも邪神の復活? には近づけたらしい。言語的なやりとりでは無いが、慎太郎は確かに邪神と思われる存在の意識を垣間見ていた。ただそれは、ノイズまみれで理解し難く、混線したラジオのように一瞬の意識を受信したようなものだ。
未だに状況は理解しかねるが、非常に慎太郎の中二心をくすぐる状況であることは違いない。顔など無いというのに、確かに慎太郎は自身が口角を吊り上げている感覚を覚えていた。
だがしかし、状況を鑑みるに、慎太郎には最初にすべき事がある。現時点で、不定形のまま揺らいでいる光として知覚している邪神らしきもの。それは、恐らく慎太郎の生前の信条である「人の形をした神を信じない」という考えからこのような形になっているのであろう。
神が本当に全知全能であれば、こんなにも愚かな人間と同じ形を成している筈がなく、間違いなく人間のエゴが存在しない神の偶像を作り上げたのだ。と生前の彼は考えていた。
(成程、俺は曲がりなりにも、あれを邪神として認識しているのか。だったら、俺はこいつを神格から引きずり降さなければならない)
少なくとも、ここが地球で無いのは明白だ。そして自分と邪神しかいないのであれば、強大な力を持つかもしれない存在は自分を脅かす危機となる。
どう状況が転ぶにせよ、こんな面白い状況を簡単に終わらせたくは無い。もう死んでいるというのに何を考えているのか。自分でも良くわからず、可笑しくなってくる。
そう、この空間にいる自分なら出来る筈だ。十代の頃にのめり込んだFDMMOゲームのキャラクタークリエイトを思い出せ。
そうして慎太郎は、死んでいるのにも関わらず、もう一度死にそうだという感覚を覚える程に集中していく。真っ白なストレートのロングヘア、レモンイエローの瞳、白黒の服……。色々な要素――というよりも性癖――を思いつく限り強く思い浮かべていく。
そうして遂に、慎太郎は邪神に存在の形を与えたのだ。
一瞬光の塊が大きく輝くと、人型を形成して光が消える。
目の前に現れたのは、十五歳ほどの小柄な少女であった。透き通るように白い肌で、すらっと伸びる手足。
すっと伸びた鼻筋に、意志の強そうな
それは正に、この世のものとは思えない、絶世の美少女であった。黒と白のシックなドレスは、全体は上品でありながら、各所に、縫い付けられた小さいフリルの意匠が可愛らしさを表現している。
「か、可愛い……」
思わず口をついたのは、自身の間抜けな声。目の前の姿は、想像の遥か上をいく可愛さであった。……いやだが、自分が想像した、作ろうとした容姿とは全く異なる。有り得ない。人の形をした神などいないはず。それともまさか、元から邪神はこのような容姿をしている?
慎太郎は改めて根幹を揺さぶられたような衝撃を受けた。中二病は、信じていたものに裏切られるのに弱いのだ。
とはいえ、美少女であることには正直ホッとした。慎太郎は、呼吸の必要が無い事は知っていたが、大きく息を吐くような仕草を見せる。気色悪いモンスターよりは遥かにマシ、むしろ大歓迎だ。
そしてここで慎太郎は衝撃的な事実に気付いてしまった。服装だけは、かろうじて想像通り――想像よりは遥かに良かった。彼にデザインセンスは無い――ということは……、何故せめて裸で生み出さなかったのか! と。
(ああクソッ! 光の中から現れる不思議な女の子って、大体裸って相場は決まってるじゃないか! 畜生め! 俺の馬鹿!!)
失敗したショックに、今から思念で剥いてやろうかと、邪神を邪な視線で見つめる。形としては意志の強そうな眼であるものの、そこには未だ、何の感情も浮かんでおらず、人形のように生気が無い。
いや、無理だ。童貞には無理だ! こんないたいけな少女を、目の前で裸にするなどッ……!
「あ、あの……、えっと。こ、こんにち、は?」
慎太郎は、自身の邪な思考を取り繕うように、挨拶をしてみた。とりあえず、言葉が通じればいいが……。
生前もほとんど人付き合いをしてこなかった童貞には、例え死後であっても美少女に話しかけるのは非常にハードルが高かったようだ。心臓など無い筈なのに、胸の辺りが窮屈な感じがする。
邪神の少女は、そこで初めて慎太郎の存在を認識したかのように、反応を示した。両の瞳に確かに意志の光が宿る。
――――数呼吸分、沈黙が二人の間を支配した。そして目の前の少女は、何かを逡巡するように視線を伏せた後、こう言ったのだ。
「初めまして。……では無いわね、慎太郎? 私は貴方がいた世界とは異なる位相の世界で、邪神と呼ばれている存在。正確にはその意識の一部を保存した、独立思念端末よ」
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