第三話

 純白の透き通るようなローブに身を包んだ小柄な少女は、氷漬けにした魔物の死体を手元の受注書の絵と見比べると、満足そうに頷いた。

 肩までに短く切られたライトブラウンの髪。日焼けを知らない白皙の肌にアメシストの色の目。マリー・フォン・ゴアその人である。その名を名乗ることを禁じられて以来、モルナと名前を変えて冒険者をやっているのだ。駆け出しだが、魔力には秀でていたため期待のルーキー魔術師的な扱いを受けている、と本人は思っている。


「うん。これで依頼達成ね」

「マリーおじょ……いや、モルナ。どうして冒険者を始めたのですか?」


 侍女の制服ではなく冒険者用の鎖帷子を着込み、その上に動きやすい服を纏ったラナが尋ねた。

 ゲール・フォン・ゴア公爵の命を受け、冒険者としてモルナの傍で動向を監視している。名前もラナのままだが、大して珍しくもない名前なうえにこちらは素性がばれる心配が薄い。盗賊職として罠の探知や宝箱の開錠などを手掛けていた。


「私ね、考えたのよ」


 氷漬けにした魔物の死体をズルズル引きずりながらマリーは言う。


「私の何が問題だったのか」

(全てでは?)

「貴族の中でも指折りの美貌。豊富な魔力量。こんなにカタログスペックは優秀なのに」

(自分で言うなよ)

「そう。性格よ。嫌いなものがあると気に入らないと手を出すなんて、子どもっぽい。まともじゃないわ」

(自覚はあったのか)


 ラナは心の中のツッコミをすべて脇に置いて尋ねる。


「それで、どうして冒険者なのですか?」

「どうしてって、お父様が言っていたじゃない」


 キョトンとした顔をラナに向けるマリー。確かに容姿は恵まれているが、可愛い系の顔立ちで、自称する指折りの美貌というのは大いに過言を含んでいる。


「『出ていけ』『もはやゴア公爵家の娘では無い』『マリー・フォン・ゴアを名乗るな』と。だから出ていって偽名を名乗って冒険者をやっているんじゃない」

(確かに、旦那様は『どうせなにかやらかす』と仰っていました。まさか冒険者になるとまで想定されていたのでしょうか)

「どうせ部屋に籠っていたら良くて修道院送り、悪くて死刑になるわよ。王子に対する反逆罪とか無礼を働いた罪だとかで」

「でしょうね」

「そうでしょ」


 我が意を得たりとばかり頷いて、


「それは嫌だったもの。反省するだけじゃダメ。修道院に閉じ込めたって人は更生しないわよ。まずは身体を鍛えないと。健全な精神は健全な肉体に宿るものよ。冒険者これで立派な淑女になるわ!」

(なるほど、考え無しでは無かったのですね)


 ラナは純粋に感心して息を吐いた。


「スーも誘えばよかったかな。いま何をしているんだろう」

 

 同じく冒険小説を好んでいた従者の名前をマリーは呟く。「元気かなー」と呑気なものだ。自分の振舞いのために何人もが頭を抱えたり職を失ったりした自覚がとんと無いようだ。

 スーは「マリーが嫌がらせバカなことをやっているのに知っていて止めなかった」として解雇され、実家の八百屋に帰ったと聞く。確実に人生を狂わされたスー。ラナは一切の同情心を持ち合わせていないが、なるほど確かに不憫かもしれない。


(スーのは自業自得です)


 そんなラナの心境など知らぬ存ぜぬで、マリーは溌溂と鼻歌を口ずさんでいる。

 街が遠くに見えてきた。


「じゃあ、とっととギルドに提出するわよ」


 街外れの冒険者ギルドに氷漬けした魔物を出し、マリーはふうっと額の汗を拭う所作をした。


「疲れたわね」

(あんたのお守りがね)

「でも、随分ランクが上がったわ。一か月で始めのFランクから今はBランクだもの。あとAとSね。早くSランクに上がりたいわ」

(そんな簡単になれやしないでしょう)

「Sランクになればきっといまの生活から変われるわ」

(冒険者になりたかったんじゃないのかよ)

「冒険者って不安定なうえに報酬も安いし、それだと豪華できないもの。安宿は嫌。フカフカのベッドが恋しいわ」

(我儘だな)

「公爵家での生活って恵まれていたのね」

(本当に我儘)

「馬鹿なことをしたわ」

「本当ですね」


 罵倒の大半は口に出さず、黙ってマリーにくラナ。そんなラナに構わず、マリーは話を続ける。人が聞いていようがいまいが気にする素振りが無いのがマリーらしいことだ。


 と、目の前から男が三名ほど近付いてきた。全員服の上からでもガタイが良く見える上に、人相も悪くいかにもガラが悪そうだ。

 ラナはそう判断して無視をしようとさりげなくマリーの袖を引こうとした。


「へえ。上玉じゃねぇか」

「姉妹か? あんま似てねぇけど」

「なあお嬢ちゃんたち。ちょっと俺らと遊んでいかねぇか?」


 間に合わなかった。

 男の野卑な笑いに、上機嫌だったマリーはたちまちムッとした表情に変わった。


「遊ぶ? 嫌よ」

「まあそう言わないで」

「失礼するわ」

「……」


 脇をすり抜けようとするマリーとラナ。

 

「おいおい、つれない嬢ちゃんたちだなぁ。あ゛ぁ?」

「無視してんじゃねぇよ」

「……」


 マリーが振り返って冷然とした視線を向ける。

 その視線だけで相手を凍てつかせることができそうな目だ。実に元貴族らしいと言える。

 こういう目ができるのも家系故だろうか、とラナは思った。


「あ゛ぁ?」

「なんだぁ女ぁ。生意気な目だなぁ」

「ひっひっひ。こういう女をぶち壊すのが愉しいんだよなぁ」


 下品な会話に、マリーがキレた。

 短く速く、呪文を詠唱する。


「凍り付け!」


 マリーの言葉と同時に、男たちの靴が地面と接着する。


(お嬢様、その……感情を即行動に反映させてしまう性格を直そうと冒険者を志されたのでは? 全く成っていませんが)

「くそっ! どうなっていやがる!」

「てめぇ!」

「魔術師か! 魔術を解きやがれ!」

「ふふん」


 得意げな顔をするマリー。

 ラナは騒ぎになる前にとマリーの袖を引いて、人気ひとけのない場所まで連れ出した。


「お嬢様」

「何? 真剣な顔をして。あと外ではモルナって呼んでね」

「失礼しました。ではモルナ、改めて聞きますが、冒険者になった理由は?」

「だから心身を鍛えてどこに出ても恥ずかしくない淑女になるためよ」

「なるほどなるほど。ご立派です」


 ラナはマリーの肩に手を置いた。


「で、本音は?」

「ええ。修道院送りになるくらいなら好きなことをして生きてやろうって。冒険者。究極に自由な稼業よ! 憧れるじゃない!」

(そういえば、お嬢様は小説──それも冒険もの──が大好物でしたね)


 ラナはただ呆れて息を吐いた。


「……結局、お嬢様はこちらの方があっているのかもしれません」

「ん? 何か言った?」

「いえ」


 ラナは首を振って、そして言い忘れたことを思い出した。


「モルナ、いくら狼藉者とはいえ問答無用で魔術を使ってはいけません。ましてや街中で。それは血の気の多いゴロツキのやることじゃありませんか」


 血の気が多い=淑女では無い、暗にラナはそう伝えようとした。


「そうね。街の住民の方々にも迷惑よね」


 マリーは果たしてラナの考えが伝わったか怪しい様子で頷いた。


「さ、この街にはもう飽きたわ。行きましょう?」

「分かりました。ですがモルナ、どうやら私たちは何者かに包囲されたようです」

「包囲?」


 マリーたちは路地の中にいた。左右の通りへの出口が塞がれると挟み撃ちの形になってしまう。


「出口の陰にふたりずつ居ますね」

「あら。困ったわね」


 マリーは何でもない風にラナに背を向け二、三歩歩き、そして振り向いた。


「どう? 氷魔法の使い手としてはやっぱりクールでないといけないと思って、そんな雰囲気で言ってみたんだけど」

「ダメですね。全くクールではありませんし、そもそも状況を考えてください」

「凍らせる?」

「街の住民の目も気になりますが……まあ仕方がないですね」


 元はと言えば自分が路地のような人の来ない場所へ引っ張ったのが原因だ、ラナは渋々頷こうとして


「じゃあ街の人にも迷惑が掛からないようにしましょうか」


 耳を疑った。

 そして、数秒後、今度は目を疑った。


「痛っ! なんだぁ?」

「……雪か?」

「いや、氷だ! 氷が降ってきているぞ!」


 空から大量の降雹。見上げれば、厚い雲が街の上空を覆い、大粒の、蜜柑の果実ほどの大きさの雹がそこから降りだしていた。


「……どう? まだ囲まれてる?」

「……いいえ。え、あ、あの、これはお嬢様が?」

「モルナって呼んでくれなくちゃお父様に叱られちゃうわ」

「モルナが?」


 天候を変える魔法など聞いたことがない。


「初めてやってみたけど、案外できるものね」


 さすがに疲労の色は漂わせているものの、マリーは割合に平然とした様子だ。


「本当は雪も降らせた方が良かったんだけど。雹と雪を降り分けるのはまだ難しいわね」

「……」


 ラナもゲール同様、マリーの幼いころの数々の魔法いたずらを目の当たりにしてきたが、それらは全て「まあお嬢様だからこんなこともあるだろう」と深刻に考えないでいた。天候を変えるという法外な事象を起こされて、初めて「あれ、このお嬢様ってやばいんじゃね」と痛感した。


 バタバタと駆け足が近付いてくる。「魔力源から見て……このあたりのはず」と声が聞こえて、ラナはこれがマリーの仕業であることが早々にばれることを覚悟した。

 現れたのはふたり。どちらもギルドの制服を着た一見普通の男女だった。しかし、その姿が何らかの魔法で装われた姿であることをラナは一瞬で看破していた。


「これをやったのは君たちか?」


 尋ねられ、ラナは観念したようにゆるゆると、マリーは得意げに胸を張って、それぞれの方法で肯定を表した。


「……なあ、うちで働かないか?」


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