第二話

 報告を受けてからずっと、マリーの父でゴア公爵家当主であるゲールは難しい顔をしていた。娘のマリーがあどけない容姿である一方で、父親のゲールは武闘派の貴族と言っても通じるほどの隆隆とした体格と強面を特徴とする。髪色のブラウンと、菫色のアメシストに比肩する瞳がかろうじて血縁を想起させていた。


 ゲールの周りには明らかな疲労感と緊張感が漂っていた。

 それだけで集められた使用人は委縮し始める。実娘のマリーとて例外ではない。執事とラナだけが平然としていたが、立場上おくびに出さなかった。

 分かり切った質問をゲールは発する。


「……して、婚約破棄は全くの濡れ衣なのか?」

(とてもじゃないけど言い出せない)

(いや、もう報告はしてあるはずなんだけど)

(旦那様の顔、怖すぎてまともに見れねえよ)


 俯き続ける当事者たち。

 ゲールは娘に水を向けた。


「マリー、どうなんだ」

(こっ、怖っ……)

「……もうしわけありませんっ!」


 生まれたての小鹿のようにプルプル震えていたマリーは、堰が切れたような勢いで謝罪した。


「レイ様の仰っていた罪状は、ほぼすべて真実です!」 

「……なんだって? マリー?」


 いっそ清々しいくらいのトーンだった。

 事前に聞いていたゲールを含め、全員が「何言ってんだこいつ?」という目でマリーを見る。


「ですから、私はアン様の持ち物を隠したり、階段におられるアン様の背中を押したり、他にも……」

「いや、もういい」


 手を広げて皆まで言わせないゲール。


「……ラナ?」

「申し訳ありません。旦那様」

「分かっているな? これはお前の責任だ」

「はい」

「侍女の仕事は単に身の回りの世話をするだけではない。監視し、適切な振る舞いが成せるよう、また敵を作らせぬよう躾けるのが役目であったはず。ましてマリーは悪ガキだ! それが婚約破棄! 嫌がらせは冤罪ですらないだと……! 見損なったぞラナ! 一体どうなっているのだ! 処分は……」

「お待ちくださいお父様! ラナは悪くありません!」


 マリーが意気込む。

 いや、お前が百のうちの百も悪いのは自明なことなのだが、とこの場に居る誰もが思った。


「ラナが知ったら止められて叱られると思って……。だから私、ラナに叱られないようにこっそりと……」

「ダメだこいつ」


 誰かの呟きに、総員同意するように溜息を吐いた。


「……良いかマリー。公爵令嬢ともあろう者が、そのような幼稚で低俗な振る舞いをして醜聞に晒されるなど、ゴア公爵家の看板に泥を塗りよって。この大馬鹿者め。お前はもはやゴア公爵家の娘では無い! マリー・フォン・ゴアを名乗ることも許さん!」


 発言の途中で冷静ではいられなくなっていったゲールが雷を落とした。マリーがひぃ、と身を竦める。


「出ていけ」

「お父様……そんな……」

「出ていけ」


 摘まみだされたマリーに同情するものは誰もいなかった。


「……教育を誤ったか……」


 重厚な声色でゲールは呟いてワイングラスを傾け、そして目の前に跪く侍女のラナを見つめた。


「ラナ」

「は。旦那様。全ては私の不徳の致すところ。いかなるお咎めも覚悟しております」

「ああ。ならばお主は今日をもって屋敷の侍女としての任を解く」


 ラナは黙って頭を垂れた。


「……そして、あの馬鹿の監視を任命する。どうせやらかすぞ、あいつは」

「はっ。旦那様の仰せのままに」


 ラナが退室する。

 執事がゲールへのワインを注ぎながら尋ねた。


「よろしかったのですか?」

「よい。いかに優秀なラナと言えど、24時間365日の監視は不可能であったということだ」

「はっ。しかし処分が甘いのでは……」

「ラナに対してか? マリーに対してか」

「……」


 ワインを呷って、ゲールは自嘲するような笑みを浮かべた。


「全く。私も人の親。娘たちには甘くならざるを得ないということか……。どんなバカ娘でもな」


 妾腹のラナは手のかからない子で、引き取って侍女長を命じてからも突飛な思考回路の他は問題の無い子だった。

 対してマリーは問題の多い子どもだった。

 魔力が生まれつき多かったせいで幼くして魔法に憧れ、貴族教育の傍らで隙を見ては魔法を所構わずぶっ放した。

 適性があったのは氷魔法。

 部屋を銀世界にすることは茶飯事。夏の暑い日は特に頻繁にやらかし、何度注意してもこっそり行っていた。

 庭の噴水にはいつの間にか氷が浮かび、寒い地域に棲息するという太った白黒の水鳥がいつの間にか住み着いていた。水鳥は繁殖を重ね、現在4世代目を迎える。

 雪が降れば外に出て氷像を作った。雪だるまと称して作った像は優に屋敷の屋根を超えた高さであった上に、春になっても溶けはしなかった。


 質の悪いことに、これらはかなり頻繁にあったことで、何度注意しても隙を見ては実行に移していた。悪戯感覚だったのだろう。凍る寸前のキンキンに冷やした紅茶を何度も飲まされたゲールは、顔をしかめるたびにマリーが嬉しそうに笑っていたことを思い出す。


 王子との婚約が決まってからは躾に余念無く、而して比較的大人しくなったと思っていたのに。


 ゲールは回想に耽りながらワインのお代わりを要求する。

 注いでもらっていると、部屋の扉が控え目にノックされた。


「失礼します。マリーお嬢様が屋敷を抜け出しました」

「……」

「ラナ様がこれより監視につくということです」


 見張りの兵士の報告に、ゲールは眉根を揉んだ。


「……何考えているんだ……」


 その場にいる誰もが、ゲールが心労で倒れてしまわないかを心配した。

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