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「地味キャラだってよ、マサキ」

「たしかに合ってるけど」

「でも最近は、ちょい地味くらいになってきたよね」


 やはり笑っている感じの声が三つ、背中から聞こえた。ていうか誰もフォローしてくれないんですか。まったく。


「何笑ってんのよ」

「あんた、うちらのこと馬鹿にしてんの?」


 ますます顔がほころんでしまったけど、どうやらそれが取り巻きコンビの感情を逆撫でする結果になったらしい。いや、二人だけじゃなかった。


「……なんなのよ」


 ふと見ると、俯いた保科さんの声が震えている。様子にいち早く気づいたオウジさんが「ん?」と不思議そうな反応を示したけど、彼女の態度は変わらない。


「……なんでなのよ、いつもいつも」

「保科さん?」


 つい僕も素に戻りそうになったところで、保科さんはいきなり感情を爆発させた。

「なんでなのよ、マサキ君は! いつもいつも冷静で! 真面目で! ふざけたり、おちゃらけたりしないのはいいよ? そこがいいとも思ってるよ? でもこんなときまで、そういうすかした態度とることないじゃない! 大人ぶって、冷めた目で、あたしのこと馬鹿にしてるんでしょう!? 女のヒステリーとかなんとか冷静に考えて、どうせまたヤマティとか二川君に、なんでもないニュースみたいに伝えるんでしょう!? やめてよ、そういうの!」

「え……」

「あたしが一所懸命話しかけたって、あなたはいつも普通のことしか言ってくれない。無難な答えしか返してくれない。なんでずっと〝保科さん〟なのよ! 他人行儀に、大人とか先生の相手するみたいな会話しかしてくれないのよ!」


 突然逆ギレ(と言っていいだろう)した美少女の姿に、オウジさんたちもさすがに固まっている。槍玉に挙げられた僕自身は言わずもがなだ。ただ、それによって彼女に自由を与えてしまった。


「あたしのことなんか見てないんでしょう! だったらほっといてよ! これは女バスの問題なの! あたしたちが、あたしが、この人にむかついてるってだけなの!」


 最後には本音をさらけ出して、保科さんが三年生部員に向き直る。同時に上がる「きゃあっ!」という大きな悲鳴。


「あっ!」


 背後から聞こえたのはサクラ先生の声だろうか。我に返った僕は、反射的に地面を蹴っていた。


「よせ!」


 一気に距離を詰めて、鋏を持った保科さんの手首を素早く掴む。

 空いている逆の手を三年生部員の頭に伸ばした保科さんが、あろうことか本当に彼女の前髪をつかんで無理矢理切ろうとしたのだ。一歩間違って刃先が目に入ったりすれば、大怪我どころじゃ済まないし、そうでなくとも見過ごせない野蛮な行為に他ならない。


「離して!」


 僕の手を振りほどこうとして、掴まれた右手を保科さんが乱暴に動かす。その拍子に鋏が指から離れるのが見えた。


「おい!」「ちょ……!」「危ない!」


 オウジさん、マユさん、サクラ先生の声が重なる。鋏がまるでスローモーションのように、三年生部員の目尻へと向かっていく。


 なんでだよ。


 瞬間、心に浮かんだのはそんなひとことだった。


 なんでだよ。なんでこんな真似するんだよ。ふざけんなよ。人としてやっちゃいけないことだって、いい加減にわかれよ。


 宙に浮く鋏に対して。ほんの数日前まで、ちょっといいなと思っていた女子に対して。何よりも、理不尽に誰かを傷つける行為や意志に対して。すべてに向かって怒りが湧き上がってくる。許せないと心の底から感じる。

 抑えきれない想いが口を、そして右手を、動かした。


「なんでだよ!!」


 カチャッという音。直後にバシッという別の音。


「痛っ!」


 やっちゃった、という気持ちはまったくなかった。むしろこれでいいんだと思った。これが正解だと思った。


 鋏を叩き落とした僕は、返す刀で保科さんの頬も張っていた。


「大丈夫ですか?」


 そのまま告げた台詞は、もちろん彼女に向けてのものじゃない。かわいそうに、目の前で怯えきっている三年生部員に対してだ。


「は、はい。ありがとう」

「あとは僕たちがなんとかしますから、もう行った方がいいですよ。もちろん絶対に仕返しとかはされないようにするんで、安心してください。先生や親にもきちんと伝えましょう」

「はい」


 なんで先輩の方が敬語になっているんだろう、と一瞬だけクエスチョンマークが浮かんだけど構わずに続ける。


「彼女たちがやってることは立派ないじめです。犯罪です。こっちがびびったりためらう必要なんて、これっぽっちもありません。むしろ徹底的に潰すべきです。悪はのさばらせちゃいけないから。許しちゃいけないものだから」

「!! はい! ありがとう!」


 こっちがびびる必要なんてない、という言葉に気持ちを立て直せたらしい先輩は、こくんと頷いて僕の脇をすり抜け、一度だけ振り返ってお辞儀をしてから駆け去っていった。伝えた通り、さっそく職員室へ通報しにいってくれるかもしれない。逆にABCとしては先生が来る前にケリをつけたかった。やましい行為をしているわけじゃないけど、オウジさんたちの存在を説明するのはちょっと面倒そうだ。「いじめを撲滅する自警団みたいなサークルです」と話したところで、信じてもらえるかどうかも怪しい気がする。


「保科さん」


 呆然と頬を押さえたままの彼女に、僕はあらためて呼びかけた。


「それと二人も」


 目だけを動かして、取り巻きペアにも同じ視線を向ける。僕にしてはめずらしい、相手を睨みつける視線を。「地味キャラ」なので威圧感なんてないかもしれない。全然怖くないかもしれない。でも、そんなことはどうでもよかった。


 なんでだよ。


 さっきと同じ言葉が胸の中でリフレインする。


 なんでこんなことするんだよ。正当な意味もなく、理不尽に誰かを傷つけるんだよ。ふざけんなよ。


「許されると思ってるのか」


 気持ちが言葉になる。乱暴に。ぶっきらぼうに。


「やっていいことと悪いことの区別もつかないのか」


 心が溢れ出す。


「いい加減にしろよ! シメるとか簡単に言ってるけど、その時点で君らは、おまえらは、立派な犯罪者なんだよ!」


 自然と出た大声に、彼女たちがびくりと肩を跳ね上げた。リーダーが頬を張られたうえにいきなり怒鳴りつけられて、さっきまでの威勢はどこへやら、完全にびびっているのがわかる。


 ああ、そうか。

 この子たちも今までの奴らと同じだ。いきがって、格好付けて、自分の方が立場が上だと勘違いして。だけど、ちょっと叩かれれば一気に凹む。本当は弱い、ださい、クズみたいな存在なんだ。


「おまえらがやってるのは、いじめだ。人として最低の犯罪だ。僕たちだってそうじゃなくたって、今すぐこの場で私人逮捕できる完全な現行犯だ。勝手に人の髪型を決めつけて鋏を振り回す? そんなことする奴らはクズ以外の何者でもない」 


 三人を責め続けながら頭の片隅に残っていた冷静な部分で、「私人逮捕」って言葉はオウジさんがはじめて教えてくれたんだっけ、と思いだし一瞬だけ彼の方を見る。ついでに言えば、やってることは逮捕じゃなくて完全な武力制圧だけど。

 と、あれ? と何かを感じた。でもそれを確認するより先に、口がまた動き出していた。


「二度とこんな真似するな。くだらないルールを勝手に作って、チームメイトをいじめるような汚い真似はするな。おまえらのクズ行為を僕はこれからも必ず監視する。そして行いをあらためなかったらビンタぐらいじゃ済まさない。逆におまえらの方が部活に行きたくなくなるような、学校に来るのすら嫌になるようなペナルティを与えてやる。言っとくけど僕は本気だ。女だからって容赦しない。最低の犯罪者に男も女も関係ない。悪は潰す。ゴミは処分する。クズは消す。それが僕らだ。僕が、僕たちがABCだ」


 ようやく一呼吸置いた僕はもう一度、右から順番に同級生たちを睨みつけた。

 今度は意識して、最後にふたたび怒鳴りつけておく。


「わかったか!!」


 返事はなかった。代わりに僕たちとはもはや目線すら合わさず、うつむいてその場を離れていく女子三人の背中だけがあった。なんにせよ、これで彼女たちのいじめも止まるだろう。万が一、性懲りもなくまた同じようなことをしたときは言った通り本当に許さないし、そのために白根や他の女子にも聞いて、ちょくちょく情報だけは集めておこうと思う。


 何はともあれ、事件は無事解決したようだった。

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