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学級委員への就任が正式に決まった翌朝、僕は保科さんからすぐに声をかけられた。昇降口で靴を履き替え、階段を上って二階へ向かおうとしたところだった。
「マサキ君!」
「あ、おはよ」
「おはよう。マサキ君、学級委員になったんでしょ? 凄いね! 頑張ってね」
眼鏡の向こう側から、彼女が遠慮なくこちらの顔を覗き込んでくる。ちょうど部活の朝練が終わったタイミングみたいで、制汗スプレーか何かのいい匂いになんだかドキリとしてしまう。
「あ、ありがとう」小さく唾を飲み込んで、僕はなんとか落ち着きを取り戻すことに成功した。
「でも、真壁さんの助手みたいなもんだから」
笑って続けると、「ううん」と即座に首を振られた。
「マサキ君だってしっかりしてるじゃん」
「ありがとう」
ありがとうしか言っていない気もするけど、褒められて悪い気はしなかった。というか、あなたの方がよっぽどしっかりしてるんですが。
と、そのタイミングで何かがちらりと視界に入った。あれ? と目だけをそちらに動かす。
「あ」
「どうしたの?」
「ああ、いや、なんでもない。女バスの子たちが急いで教室に入ってったから。朝練だったんだよね?」
「うん。さっそく一年生の面倒見させられて、大変」
「へえ。頑張ってね」
「ありがとう。じゃ、またね」
朗らかに笑った保科さんは、小さく手を振って階段を小走りに上がっていった。僕もゆっくりと歩き出す。
意識的に足の運びを遅くして。なんでもない……よな、と声に出さずつぶやきながら、彼女と距離を取るようにして。
そう。なんでもないはずだ。大変なのは保科さんの側なはずだ。きっと気のせいだ。
女バスの新入部員らしき子たちが、
「怪しいな」
「そうね。マサキには悪いけど」
「私も限りなく黒に近いグレーって印象かな。ごめんね、マサキ君」
同じ日の夕方。それぞれが飲み物を手にしながら、僕以外のABCメンバーが順繰りに頷いた。オウジさんはいつものとぼけ顔で、マユさんはクールに、そしてサクラ先生は眉をハの字にした、こちらをちょっぴり気遣ってくれるような表情とともに。
今日は久しぶりに全員が揃っての見回り日で、終了後、いつものコンビニで一息入れていたところだ。いい機会だと思った僕は今朝目撃した光景について、思い切って皆に相談してみたのだった。
「で、その保科ちゃんて美人はマサキの彼女なのか? そこも問題になってくるんだが」
「違います。ていうか、なんでそこが問題になるんですか」
即答する僕に、オウジさんは口調もとぼけたまま堂々と言ってのける。
「だってマサキの彼女だったら、お仕置きの仕方も考えないといけないだろうが。俺らとしては、おまえが自分でスカートめくってお尻ペンペンしてくれても別に構わないけど」
「しませんよ、そんなこと! 大体、まだ保科さんがいじめてるって決まったわけじゃないですし」
けど。
認めたくないけど、女バスの一年生たちが見せたあの隠れ方は明らかにおかしかった。どう見ても保科さんに対して身を隠すようだった。
まさに、いじめを受けているように。
翌日。疑惑をより一層裏付ける事態に、僕は気づいてしまった。
「あれ? まただ」
「ほんとだね。流行ってるのかな」
音楽室へ教室移動している休み時間、目の前を並んで歩くヤマティと二川が、一年生らしき女子とすれ違った直後に顔を見合わせた。
「…………」
僕はそっと唇を噛んだ。振り返ったヤマティが不思議そうに首を傾ける。
「なんか一年の女子、やたらとあの髪型が増えてねえ?」
違う。増えてるのは一部だけなんだ、ヤマティ。
今朝、登校した時点で僕はもう確信していた。昨日と同じように保科さんから身を隠す、髪型だけが違う彼女たちを目撃したから。
そして昨夜のうちに、白根に電話して女バスの現状も掴んでいた。それは、とても残念な話だった
今の女バスは新三年生が三人しかいないこともあり、去年からずっとレギュラーで場を仕切る能力も高い保科さんと彼女の友人たちが、実質的なリーダーシップを取っているのだという。けれどもそのリーダーシップの取り方が「かなり強引っていうか、ぶっちゃけパワハラ状態らしいの」と、白根は痛ましそうな声でこっそり伝えてきた。
「部室の利用を二年生優先にしたり、コート掃除とかの雑用は全部一年生にやらせて、しかも髪型とかスカート丈まで指示してるんだって。見かねた三年生のキャプテンさんがそれとなく注意したら、逆に囲まれて吊し上げられたって話も聞いた。そのときに、先生には絶対言うな、って刃物を持って脅したなんて噂まであるの。……あ! マサキ君は江里子ちゃんと仲良しだったよね。ごめんね!」
慌てて謝ってくれた白根に、僕は「大丈夫だよ。ありがとう」とかろうじて返すことしかできなかった。
信じたくはなかったけど事実だろう。状況証拠というやつだけど、疑わない方が難しいくらい手がかりは揃ってしまっている。白根の話。怯えた表情で彼女の視界から消える一年生。どう考えても自分の好みじゃなさそうなおかっぱ頭に、無理矢理揃えさせられている新入生たち。
「ありがとう、白根。僕が止めさせるよ」
「マサキ君?」
「僕はABCだから」
ABC、という言葉を聞いた白根がはっとしたのがわかった。二ヶ月前、自分自身の身に起こった事件、そしてあの奇妙な集団の中に僕がいた事実を、あらためて思い出したのだろう。
「マサキ君……」
「大丈夫。今度はヤマティを巻き込んだりしないから」
最後にできるだけ明るい調子でそう言ったのが、ちょうど半日前のことだった。
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