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 四月になり、僕も無事二年生に進級できた。

 クラス替えはあったけどラッキーなことにヤマティも二川もまた同じクラスだったし、取り立てて何かが変わった感じはしない。強いて言うなら、保科さんとは別々のクラスになってしまったのが、ちょっぴり残念なくらいだろうか。


 パイレーツ、そしてABCでの活動もいつも通りで、改修工事が終わってさらに広くなったグラウンドや町立体育館のジムでトレーニングしたあと、週に二、三日のペースで四人での見回りを続けている。活動の成果かどうかはわからないけど、ポイ捨てされたゴミやたばこなどは目にするものの、いじめや暴力行為には最近まったく遭遇しない。陽気もいいので、「お花見でもしたくなるね」というマユさんのひとことをきっかけに、実際にみんなでお菓子や飲み物を持ち寄って、見回り抜きで集まる日を作ろうかという話も出ているほどだ。


 でも。

 サッカーと同じで、上手くいっているときほど意外なところで何かが起きる。


 久しぶりの大きな活動を、僕はあまりにも身近で行う羽目になった。




「おはよ、マサキ君」

「あ、おはよう」


 朝のホームルーム前。この日も僕は、自分の教室で保科さんに明るく挨拶された。彼女は部活でもプライベートでも親しい友人がこっちにいるようで、僕のクラスによく顔を出す。なんにせよちょっと嬉しい。


「良かったな、マサキ」

「何が?」

「いや、別に」


 にやにやと笑うヤマティの横では、二川まで孫を見るおじいちゃんみたいな顔で微笑んでいる。なんだかなあ、もう。


 けれども今朝は保科さん以外にも、それもわざわざ僕を探して声をかけてくる人がいた。


「おお、いたいた。マサキ、今、大丈夫か?」

「え? あ、はい」


 開けっぱなしになっている教室の出入り口から顔を出したのは、担任のいしやま先生だった。一年生のときは社会科の先生、二年生では数学科のこの人と、僕はクラス担任にも恵まれている。どちらも面倒見が良くて人気がある男の先生で、僕らのこともあだ名で呼んでくれる。たしか二人とも三十歳で、本人同士も仲がいいらしい。


「ホームルーム前に悪いけど、ちょっと職員室に来てくれ」

「はい」


 席を立った僕は、先に廊下へと消えた石山先生の背中を追った。二年生の教室は二階なので職員室にも近い。だからこそ先生は、みずから僕を呼びにきたのだろう。

 背後でヤマティと二川、保科さん、さらには他の人たちも何事かという顔でこっちを見ているのがわかる。けど先生は笑顔だったし、まさか朝からお説教ということもない……と思う。ここ最近で何かやらかしたという記憶はゼロだし、唯一可能性があるとすればABC活動だけど、だったらもっと早く表沙汰になっているはずだ。二ヶ月ほど前、白根の一件で事情を明かしたヤマティと、もちろん白根本人にも固く口止めしてある。


 職員室の入り口で、石山先生はわざわざ扉を開けて待っていてくれた。


「はい、どうぞ」

「ありがとうございます。失礼します」

「お、空いてるな。ちょうどいいや、こっちで話そう」


 職員室に入ると、石山先生は自分の席ではなく、入り口からすぐの場所にあるパーテーションの奥へと僕を案内した。黒いソファが置かれた応接スペースだ。こういう場所だというのは知っていたけれど、実際にパーテーションの向こう側へ入るのは初めてだった。


「まあ、座ってくれ」

「はい」


 言われた通り、ガラステーブルを挟んで石山先生と向かい合って座る。相変わらず先生は笑ったままで、ただでさえ少し細い目が、トレード―マークである銀縁眼鏡の奥で一本の線みたいになっている。


「マサキは去年の秋ぐらいから、しっかりしてきたよなあ」

「は?」


 いきなり褒められたので、間抜けな声が出た。かまわずに先生はにこにこと続ける。


「阿久津先生からもよく聞いてたし、俺も数学の授業で同じことを思ってたんだ。実際、成績も上がってるよな」

「はあ。ありがとうございます」


 しっかりしてきたかどうかはわからないものの、たしかにその頃から僕の成績は右肩上がりではあった。よく考えたらABCの活動を始めた時期と重なってもいるけど、いじめの撲滅活動と勉強の出来に関係があるとは思えないし、そこはたまたまだろう。というか、まさかわざわざ褒めるためだけに呼び出されたのだろうか。


 引き続き内心で首を傾げていると、「ホームルームも始まっちゃうから、単刀直入に言おう」と先生が眼鏡のブリッジを押し上げた。新しい公式や難しい問題の解き方を説明するときによくやる、お得意の決めポーズだ。


「一学期の学級委員、やってみないか」

「え!?」


 学級委員? 僕が?


「僕がですか?」


 思ったままの言葉が口から出た。先生の方はと言えば、それを予想していたかのようになんだか楽しげな顔をしている。


「ああ。今日のロングホームルームで決める予定の、クラスの学級委員だ。どうせ誰も立候補しないだろうから、俺の方で適任だと思ってるマサキに、あらかじめ声をかけておこうってわけ」

「……それ、根回しってやつですよね」

「あはは、その通りだ。しっかりしてきただけじゃなくて、いろんな知識も増えてきたみたいだな」

「……ありがとうございます」


 お礼を言うのが正解かどうかはわからなかったけど、とりあえず僕は頭を下げておいた。そんなリアクションもおかしかったらしく、石山先生はふたたび肩を揺すっている。


「まだこのクラスがはじまったばかりだけど、ぱっと見た感じ、うちの男子はリーダーシップを取れるようなキャラがいないだろ。ていうか、二年生は学年全体で少ないんだけどな。だけどその中で、成長著しいマサキならって思ったんだ。おまえならいろんな奴らの意見を聞きながらもビシッと筋を通すっていうか、こっちの方が正しいっていうようなことも、ちゃんと言ってくれるだろうし」

「そうですか?」

「そうだよ。一昨日あった掃除当番の分担決めでも、〝花壇の掃除は力仕事もあるから、男子がやろうよ〟って言ってくれたじゃないか。誰も気づかなかったら俺がアドバイスしようと思ってたけど、生徒の中から声が上がったから凄く嬉しかったんだ」

「はあ。どうも」


 そういえばホームルームの時間、たしかにそんな発言をしたっけ。自分ではすっかり忘れていた。


「ちなみに女子の方は、もう先に根回しを済ませてある」

「あ、ひょっとしてかべさんですか?」

「お、やっぱり分かるか」


 学級委員は各クラスで男女が一人ずつ選ばれる。石山先生が言ったように、我がクラスの男子はリーダー的なキャラをむしろ大募集中なくらいだけど、女子には真壁さんというザ・学級委員という感じの生徒がいるのだった。


「逆に他は想像つきません」

「まあ、そうだよなあ」


 僕と石山先生は顔を見合わせて苦笑した。一年のときは違うクラスだったけど、その頃から真壁さんの噂はよく聞いていた。成績は常に学年トップを争う優等生で、男女分け隔てなく、それこそビシッと言えるスーパーガール。たしか掃除をサボろうとして注意された男子が、「うるせーよ、ヒステリー女。生理じゃねーのか?」と文句を言ったところ、ポケットからスマホを取り出した彼女に、


「最低のセクハラ発言ね。しっかり録音させてもらったから。先生に報告して、ついでにあんたの個人情報付きでネットにも晒すから覚悟しときなさい」


 と逆に凄まれて、その場で慌てて謝ったなんていう逸話もあったはずだ。でもだからといって性格が悪いわけじゃなくて、普通に接しているぶんには、はきはきしていて気持ちのいい女の子だ。ルックスも中身に相応しく、吊り目とくっきりした眉が凜々しい雰囲気で、二川なんかは「真壁さんて格好いいよねえ」と、どっちが女子だからわからない感想を述べていた。部活が書道部っていうのも、いかにもって感じがする。


「真壁の方は去年も一度やってるし、私で良ければって引き受けてくれたよ」


 だろうなあ、と僕は頷いた。真壁さん自身もそういう扱いをされることに慣れてるっぽいし。ちなみに学級委員は学期ごとの交代制で、年内に二度務めることはできないものの、学年が変わって新たなクラスでふたたび選ばれるのはOKという決まりになっている。


 真壁さんと一緒なら大丈夫かな。


 男役の舞台女優みたいなあの顔と声で、「マサキ君は、これとこれをよろしくね」と彼女が指示してくれる姿が自然と頭に浮かんだ。うん、どう考えても問題なさそうだ。

 それに、と合わせて思う。


「先生がそこまで言ってくださるなら」


 ちょっぴり恥ずかしさを覚えながらも、僕はもう一度頷いた。信頼できる年上の人が僕をそう評価してくれるのなら、きっと合っているのだろう。信じていいのだろう。

 オウジさんや、サクラ先生や、マユさんの言葉と同じように。


「やってみます。よろしくお願いします」


 今度はしっかりと頭を下げて、僕は大役を引き受けた。

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