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 同じ日の放課後。


「ねえ、ヤマティ」

「うん?」


 帰りがけ、校門を出たところで僕は、隣で自転車を押すヤマティにさり気なく呼びかけた。今日は二川も一緒で、僕らの後ろをのんびりと徒歩で付いてくる。


 年末の一件以降、あのクズコンビはあっさりと野球部を退部したそうで、二川は大好きな部活にのびのび取り組めている様子だ。野球部の別の同級生によれば、ますますの大活躍によって、今やほぼ完全にエースピッチャーなのだとか。オウジさんの脅しもしっかり効いたままらしく、僕たちABCが関わっていたなどという噂話はまるで聞こえてこない。

 僕からその話を聞いたオウジさんとマユさん、サクラ先生もとても喜んでいた。ケンタさんの事件もだけど、やっぱりABC活動をしていて良かったと思う。正しい人たちは守られるべきだし、オウジさんが常々言うように、いじめや悪を許す必要はこれっぽっちもないのだ。


 そのオウジさんだけど、先日ジムに行ったらめずらしく仕事を休んでいた。ABCのグループメッセージで連絡したら《悪い、風邪ひいたんだ。俺も馬鹿じゃないってことだな》とのことだった。直後にサクラ先生が《私、ご飯作りにいきましょうか?》《お洗濯は大丈夫ですか?》《襲わないから大丈夫ですよ! あ、でもエッチな本とかは隠しておいてくださいね》とぐいぐいアピールするものだから、さすがのオウジさんも《いいですって! マジで大丈夫です!》と必死に断っていたのはおかしかった。ちょっぴり尻に敷かれそうな感じだけど、あの二人、やっぱりお似合いだと思う。


 ABCの近況はさておき、僕はさり気なさを装ったままヤマティとの会話を続けた。


「最近、どう?」

「は?」

「マサキ、質問がアバウトすぎるよ」


 ヤマティ本人に訊き返されただけでなく、二川からも笑ってつっこまれた。


「いや、ええっと、なんかここんとこ元気がないのかなあ、なんて思ったり思わなかったりしたから」

「どっちだよ」

「マサキこそどうしたの? 大丈夫?」


 今度はヤマティがつっこんで、二川の方は心配してくれている。なんだか申し訳ない。

 小さく首を傾げたヤマティが逆に訊き返してきた。


「俺が元気ないように見えるの?」

「ああ、うん。そういう風に白根が――」


 あ。言ってしまった。


「真凜が?」


 ヤマティが軽く目を見開いた。驚きながらも内心で喜んでくれてたらいいなあ、とひそかに期待してしまう。いつだったかヤマティ、「可愛い系の子がタイプなんだよ、俺」とも言ってなかったっけ。サッカー部の仲間だからだろうけど、白根のことを「真凜」って名前で呼んでるし。


「へえ。白根さんに心配してもらえるなんていいなあ。なんかちっちゃいアイドルみたいで可愛いよね、彼女」


 野球部には女子マネージャーがいないのもあってか、二川が素直にそんな感想を述べている。まさに「ザ・いいやつ」の二川は、誰のこともこうしてストレートに、しかも本人に面と向かって言ってくれるので女子からも評判がいい。……あれ? じゃあ、この中で女子から人気なさそうなのって僕だけ? う~ん、まあしょうがないか。


「たしかに可愛いのは認めるけどさ」

「けど、何? ヤマティ、白根さんが苦手なの?」


 無邪気な二川がさらに尋ねると、「いや、苦手じゃないけど、なんつーか……」とヤマティは人差し指で軽く頬をかきながら苦笑した。


「できのいい妹に、ケツ叩かれてるような感じがするんだよ。あいつ、練習中も仕事しながら選手より声出すし。ダッシュするトレーニングで〝あと十本、集中して!〟なんて言われてみ? 嫌でも頑張らざるを得ないだろ」

「ああ、なんか白根さんっぽいね」

「うん。めっちゃ想像できる」


 二川と僕も笑って頷くしかない。働き者で一所懸命な白根らしいエピソードだ。とはいえヤマティだって「頑張らざるを得ない」なんて言ってるくらいだから、やっぱり彼女に対して悪い印象は持っていないのだろう。


「まあだから、俺たちサッカー部員にとっては、ただのちっちゃいアイドルってわけじゃないんだよ」

「そんなもんかねえ。女子マネがいるってだけで羨ましいけど」

「そんなもんなんだよ」


 不思議そうな二川と、呆れ気味に返すヤマティのやり取りを聞いて笑っていた僕の目が、直後に何かを捉えた。


 この前ヤマティと一緒に違法駐輪のおじさんを注意した歩道橋の先、線路のガード下に人影が見える。僕たちとまったく同じ学ランで、けれども僕とヤマティよりは明らかに背の高い男子。そしてその男子がガード下の狭い歩道で、ポケットに手を突っ込んだまま話しかけているのは――。


「ねえ。あれ、白根じゃない?」


 上級生らしき男子に絡まれているのは、ちょうど僕たちが話題に出したばかりの「ちっちゃいアイドル」だった。


「本当だ」

「何やってんだ、あいつ?」


 二川とヤマティが声を出したのと、向かい合う男子生徒に頭を下げた白根がガードの向こうへと駆け去ったのは、ほぼ同時だった。


 良かった。


 なぜだかわからないけど、僕はすぐにそんな感想を抱いた。別に白根が何かされていたわけじゃない。でも、彼女が本当に良かったと思う。


「あ、そっか」


 無意識のうちに思い浮かんだ言葉で僕は理解した。「どうしたの?」と二川が顔を覗き込んでくる。そうだ、白根が無事に逃げ出したように見えたから僕は安心したんだ。


「幸い何かされた感じでもなかったし……」

「ああ、たしかに白根さん、逃げ出すみたいな走り方だったもんね」


 僕のつぶやきに二川も頷いてくれた。彼の目にも同じように映ったらしい。

 そしてヤマティも。


「あれ、二年だよな」


 ヤマティは白根と一緒にいた男子生徒に、厳しい視線を向けていた。襟につける校章の色で、僕たちの学校は学年がわかるようになっている。男子生徒の襟章は緑色。たしかに二年生だ。


「何しやがったんだ」


 真剣に怒った様子でヤマティがさらにつぶやく。お調子者として知られる彼の、こんな顔は初めて見る。


「状況としては、白根さんが告白されて断った、みたいな?」


 少しだけ迷った様子を見せたあと、二川ができるだけ明るい調子を保とうとしていることがわかる声音で言った。まさにそういうシチュエーションがぴったりだ。


「だとしても好きな子に気持ちを伝えるのに、ポケットに手えつっこんだまんまってのはないだろ。俺が女だったら、どんだけ格好良くてもそんな奴お断りだ」

「だね」

「うん。失礼極まりないよね」


 引き続き不機嫌な声で語るヤマティに、僕と二川も心から同意する。ましてや白根は、マネージャーとはいえ一所懸命で頑張り屋の運動部員なのだ。ポケットに手を入れたまま人と話すなんて、むしろ彼女がもっとも嫌う態度だろう。

 そうこうしているうちに、白根に振られたっぽい二年の男子がこちらへと歩いてきた。身長は百六十センチちょっとだろうか。不自然に細くした眉毛と、不健康そうな青白い肌。僕の脳内に「売れないミュージシャン」という単語が浮かんだ。


 売れないミュージシャンな二年生は、すれ違いざま僕たちにちらりと目を向けただけで駅の方へと去っていく。


 その両手は、最後までポケットに入ったままだった。

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