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 あ、と思ったときには「すみません」と声が出ていた。


「すみません。そこ、駐輪禁止ですよ」


 歩道橋下のスペースに自転車を停めかけていたおじさんが、ぎょっとした顔で振り返る。


「あ、ああ。ごめんよ」


 違法駐輪をとがめられたおじさんは、あたふたと自転車にまたがり去っていった。

 年が明けた二月の頭。今は学年末テスト前で部活をしてはいけない、いわゆる「テスト期間」だ。パイレーツの方も学業優先ということで、テスト期間に当たる生徒は練習への参加が禁止されている。そんなわけで僕は久しぶりに、ヤマティと連れ立って自転車を押しながら下校中だった。同じく仲のいい二川は徒歩通学者で、しかも今日は「ごめん、母ちゃんが旅行でいないから俺が晩飯当番なんだ」と、駆け足で先に帰っている。


 遠ざかるおじさんの背中を見つめながら、僕は「なんだかなあ」とつぶやいた。

 どうして違法駐輪なんかするんだろう。ちょっと行けば、駅前に有料だけどちゃんとした駐輪場があるのに。


 軽く息を吐いてからなんとはなしに隣を見ると、なぜかヤマティまで驚いた顔をしていた。


「マサキ、すげえな」


 こちらを眺めて感心した口調で言ってくる。


「何が?」

「いや、普通いきなり大人に注意しないだろ。たしかに駐輪禁止の場所だけどさ」

「でもルールは守らなきゃ。それにここ、自転車停めると歩道に思いっきりはみ出すんだよ。僕も脚ぶつけたことあるし、子どもとかだったら顔に近い高さで余計に危ないと思ったから」

「そ、そうか」

「うん。こう言っちゃなんだけどさっきのおじさん、確信犯ぽかったしね」


 続けて説明すると、今度はぽかんとした表情をヤマティは浮かべている。何かおかしな発言をしただろうか。


「ヤマティ?」

「ああ、悪い。なんかその、マサキ、ちょっとキャラ変わったよな」

「え? そう?」


 首を傾げる僕から目を離したヤマティは、「俺も頑張らないとなあ」とつぶやいている。


 彼がさらに口を開いたのは、そのまま二人で百メートルほど歩いてからのことだ。


「俺、駄目なんだよ」

「うん?」


 いつものコンビニが近づいてきたこともあり、僕の方はテスト期間のABC活動はどうしよう、とまったく関係ないことを考えていたところだった。なので、言葉を確認しながら訊き返す。


「駄目って何が?」

「いや、なんつーかさ」


 サッカー部員らしいさっぱりした短髪に手をやったヤマティは、恥ずかしそうに答えた。


「〝ジャスティス、ここにあり〟ってわけにはいかねーんだよな」

「?」


 ますますわからなかったけど、その言葉は知っている。ヤマティが好きな特撮ヒーローの決め台詞だ。


「ようするにさ」


 苦笑とともにヤマティは宙に顔を向けた。


「ああいう人を見かけても、今のマサキみたいにビシッと注意できないってこと。だからやっぱ、おまえはすげえよ。そうじゃなくても、最近かなりしっかりしてきた感じだし」

「そうかな?」

「そうだよ。なんかきっかけがあったのか? ……あ! ひょっとして――」


 ようやくいつもの調子に戻ったヤマティが、からかうような目を向けてきた。


「保科さんといい雰囲気だからか? いつもおまえだけ、やたらと話しかけられてるもんな」

「ち、違うよ! なに言ってんだよ!」


 耳がかあっと熱くなる。しっかりしてきたかどうかは自覚がないものの、休み時間や教室移動の際などに、保科さんと話す機会が増えているのはたしかだ。しかもなぜか、向こうから声をかけてくれることが多い。会話の中身自体は「マサキ君、さっきのプリントのここ、答えなんだっけ」とか、「今日の音楽って、リコーダーの時間もあるよね?」とかのいたって普通のものだけど。


「縁の下の力持ちっぽいキャラのくせに、そうやって美味しいとこは持ってくんだよなあ」

「だから違うって!」


 両手は自転車のハンドルを握って離せないので、首だけを大きく左右に振ってみせる。

 引き続きにやにやしながら隣を歩く親友は、もうさっきまでの恥ずかしそうな顔はしていなかった。




 ああ言ってからかってくるヤマティだけど、じつは彼の方こそ、とある女子と仲がいいのを僕は知っている。

 翌日、僕は廊下でその子―同じクラスでサッカー部女子マネージャーのしらりんから、まさにヤマティに関する質問を受けることになった。


「ねえ、マサキ君」

「うん? 何?」

「ちょっと変なこと訊いていい?」

「変なこと?」


 両手でプリントの束を抱えたまま、自分より頭半分ほど低い位置にある白根の顔を見下ろす。今日はたまたま彼女とともに日直を務めていて、次の授業で使うプリント問題を「先に配っといて」と先生から渡され、二人して職員室から出てきたところだった。


「ヤマティについてなんだけど」


 声を小さくしつつ、白根がつぶらな目を瞬かせる。僕よりもさらに小柄だし、髪の量が多いふわふわのポニーテール姿なので、いつもながら小動物みたいな雰囲気だ。気が利いて性格もいい白根は、よく同級生や先輩の女子から「ああ、真凜見てると癒やされるわあ」「真凜ちゃん、家にお持ち帰りしたい!」などと言って可愛がられている。


「ヤマティがどうしたの?」


 階段の踊り場で僕たちは自然と立ち止まった。職員室は二階、僕ら一年生の教室は一階にある。


「あのね、ちょっとヤマティが気になってて……」


 おお、これは漫画や小説でよくある「気になる相手の友人に恋愛相談」というやつじゃないだろうか。つまり僕は白根とヤマティが上手くいくよう、援護射撃をするポジションですね。うん、よろしい。君なら安心してヤマティを任せられるし、そもそも彼の方も白根のことは嫌いじゃないはずですよ。


 勝手に保護者のような台詞を脳内でつぶやいていた僕だけど、白根の言う「気になる」は、少なくともこの場では違う意味らしかった。


「なんかヤマティ、最近元気なくない?」

「え?」

「ちょくちょく忘れ物したり、授業でもぼーっとしてることが多いでしょう」

「ああ、言われてみれば」


 お調子者のヤマティが忘れ物をするのはそれほどめずらしくないものの、授業で先生から当てられた際、明らかに話を聞いていなかったようなリアクションを取る場面などはたしかに続いていた。正直、全然気にしてなかったけど。


「部活でもテスト休み前くらいから、よく注意されてたの。一所懸命プレイしてのミスは先生も叱ったりしないんだけど、ヤマティの最近のミスは、どう見ても集中力が切れてる感じだから」

「へえ」


 ちょっと意外だった。真面目なキャラじゃないし勉強の成績も僕とどっこいのヤマティだけど、サッカーが大好きなことは嫌というほど知っている。部活とクラブという違いこそあれ、休み時間には相変わらずヨーロッパのプロ選手やJリーグの話をして盛り上がるし、小学校が違う彼とすぐに仲良くなったのもサッカーの話題を通じてだ。

 そんなヤマティが練習に集中できてない?

 まるで想像できなかった。でも近くで見ている白根が言うのだし、間違いないのだろう。


「白根に見とれてるから、とかじゃなくて?」

「えっ? な、何言ってるのよ!」


 思わず僕らしからぬ(?)チャラいコメントをしてしまったが、真面目な白根は目に見えて動揺している。こういうリアクションもいちいち可愛らしい。残念ながら僕はもうちょっと大人っぽい感じの子がタイプだけどね……って、それはどうでもいいか。


「もう! くだらないこと言ってないで、マサキ君もちょっとは気にかけてあげて。仲良しなんだから」

「うん、わかった」


 プリントを抱えたままの肘で軽く小突かれて、僕は苦笑いしながら先に階段を下り始めた。

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