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どうやら僕は、自分で感じる以上に怒っていたらしい。目の前で友達がいじめられる様子を目撃したのだから当然と言えば当然だけど、本気でそういう風に、つまりは「いじめという卑劣な犯罪を行うあいつらには、生きている価値すらない」とごく普通に思ったということだ。
「…………」
思わず胸に手を当てると、オウジさんがその場所を見つめながら言った。
「怖いか?」
「え?」
「誰かが死ねばいい、なんて平気で考えちまった自分が怖いか? そうじゃなくても、やばいって思ったか?」
「……はい。ちょっとだけですけど」
心の奥底まで見られているような気がしたものの、相手がオウジさんなので素直に答えられた。そうだ。僕は今、たしかに自分で自分に戸惑った。
何も疑うことなく、あの二年生たちが「死ねばいい」と考えた自分に。人ではなく、まるで蚊やゴキブリを見るような感覚に。
「いいんだ」
「え?」
笑みを深くしたオウジさんが、拳で胸を軽く叩いてくる。
「大丈夫だ。マサキはそれでいい」
「?」
「俺が言うのもなんだけどマサキは優しい奴だ。おまえの優しい気持ちは、これからも絶対に失われない。そんなマサキがいじめを、悪を、本気で許せないって思う強い心も持ち合わせてくれて、むしろ嬉しいくらいだよ」
「はあ」
なんだか保護者みたいな顔と声で、オウジさんがもう一度「大丈夫だ」と言ってくれる。
「悪いのは全部、ああいうクズどもだ。優しい人間にまで死ねばいいって考えさせちまう犯罪。それがいじめなんだ。だから俺は、少なくとも目の前にあるいじめは潰す。悪は消す。徹底的に。二度とやろうなんて思えなくなるくらいに」
「は、はい」
笑顔は変わらないけど、オウジさんの目が強い光を発している。そっか、とあらためて思う。オウジさんは僕以上に徹底していじめを許さない。ひょっとしたら子どもの頃、自分も被害に遭ったことがあるのかもしれない。なんにせよこの人の悪を憎む気持ち、ABCとしての気持ちは骨の髄から本物なのだ。
結局、鬼軍曹さんは「言うても今どきは、おまえらですらパワハラだの体罰だのっていう言葉で守られとるからな」と本気で残念そうに肩をすくめてから、あらためて別のトレーニングを指示した。
「しゃあないな、きちんとした科学的トレーニングで追い込んだるわ。今ここで、タバタやれ。腕立てとスクワットジャンプ、交互で」
タバタという単語が聞こえると同時に、二年生二人がさっき以上におろおろするのがわかった。それほどきついトレーニングなのだろうか。
「オウジさん、〝タバタ〟ってどんなトレーニングなんですか?」
「まあ見てろって。楽しいぞ」
僕の質問に、へらりとした雰囲気に戻ったオウジさんは、さっきと同じく楽しげな口調で肩をすくめてみせた。とりあえず外から見るぶんには楽しく感じられるものらしい。
ブルペンからは依然として、鬼軍曹さんの野太い声が聞こえてくる。
「あ、もちろん二川はやらんでええぞ。すぐに肩と肘、冷やしとき」
「はい、ありがとうございます!」
帽子を脱いではきはきと答えた二川が、ブルペンを離れていく。アドバイスを受けて肩や肘を冷やしにいくのだろう。怪我に繋がらないことを祈るばかりだ。
「よっしゃ、ほなおまえら勘違いコンビはタバタいくでえ! まずはスクワットジャンプから!」
いつの間にかホイッスルとストップウォッチを手にした鬼軍曹さんが、ひときわ大きな声で叫んだ。グラウンドに散っている他の部員たちが、「あいつら、タバタやらされるのか」といった顔で「勘違いコンビ」に憐れみの目を向けるのも見える。
「一セット目! レディ・ゴー!」
かけ声とともにホイッスルの音が響いた。同時に勘違いコンビの二人がスクワットジャンプを開始する。その名の通りスクワットの体勢から高くジャンプする動作を繰り返すエクササイズだけど、連続でやるのはかなりきついはずだ。
「おらおら、どうしたあ! まだ十秒! あと半分もあるでえ!」
鬼軍曹さんの指示が聞こえる。つまりタバタというのは二十秒間連続、それも全力でエクササイズを繰り返すトレーニングらしい。何セットやるかは知らないが、スクワットジャンプと腕立て伏せと言っていたので、なんにせよめちゃくちゃハードなのはわかる。
「ていうか――」
同時に僕はあ然とさせられた。なんと鬼軍曹さんは、ストップウォッチを片手に自身も素早くエクササイズを繰り返している。それも中学生二人よりも速く、高く。一方で勘違いコンビはすでに虫の息だ。それを狙ったのかどうかはわからないが、二セット目の腕立て伏せに入った今、彼らは早くも土下座するような体勢で喘ぐばかりだった。
「なるほど。おっさんはストレングス・コーチだったんだな」
オウジさんがにんまりと頷いた。ん? という顔をする僕に、わかりやすく説明してくれる。
「簡単に言うと、身体づくり専門のトレーナーだよ。正式にはストレングス&コンディショニング・コーチっていう専門職だ。サッカーのフィジカルコーチと同じだな」
「ああ、なるほど」
すぐに理解できた。パイレーツにも走り込みやグラウンドでの筋トレを指導してくれる、まさにフィジカルコーチの人がいる。鬼軍曹さんは野球版のそれだったのだ。たしかに厳しそうな雰囲気とか、みずからがお手本になってきついエクササイズも平気でやってみせる様は、僕たちのフィジカルコーチとよく似ている。
「オウジさんたちがスポーツ選手をみるときは、ああいうお仕事になるんですね」
「ああ。といってもアスリートの指導と一般人のフィットネス指導はかなり違うし、それぞれに難しさがあるんだ。俺も若いときはアスリートの現場で修行したけど、今はご覧の通りフィットネストレーナーが専門だよ」
「へえ」
そうだったんですね、と僕が頷く間も、金網の向こうではタバタトレーニングが続いていた。見たところ、二十秒全力でエクササイズをしたあとに十秒だけインターバルがもらえるようだ。けれども、たった十秒ではほとんど回復しないだろう。そしてふたたびスクワットジャンプか腕立て伏せを二十秒間繰り返す。
「二十秒全力、十秒インターバルを計八セット。短時間で一気に出し切って身体を追い込むことで短距離系と長距離系、両方の能力を上げるトレーニングが『タバタ・プロトコル』だ。立命館大学の
トレーニングについて語るオウジさんは、本当に楽しそうに見える。ついさっきまでの真剣な表情や口調はすっかり消えて、僕にジムでベンチプレスやスクワットを教えてくれるときと同じ顔をしていた。
いじめや悪事をとことん憎む一方で、身体を鍛えることが好きなちょっと変わったおじ――いや、お兄さん。
すっかり信頼するようになったABCのリーダーとともに、僕は勘違いコンビがタバタトレーニングで追い込まれる様をゆっくり観察し続けた。
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