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今年も終わりが近づいてきた十二月。
「マサキは今日もパイレーツ?」
昼休み、机をくっつけて弁当を食べている最中、目の前の友人に訊かれた。僕より頭一つ以上高い坊主頭の下で、くりっとした目がこちらを見つめてくる。
「うん。
「もちろん。毎日きつくて大変だよ」
坊主頭の友人は苦笑しながら、やたらと分厚い卵焼きを口に放り込んだ。なんというか、彼はすべてのサイズが大きい。中一なのに身長が百七十五センチもあり、足のサイズは二十七センチ。特に手のひらがグローブばりに巨大なので、弁当用の箸がまるで爪楊枝みたいに見える。ついでに言えば、その大きな手に本物のグローブを毎日はめてもいる。
二川
「野球部は上下関係も厳しいんだろ? がっつり体育会系だよなあ」
僕から見て右、二川から見て左の机からヤマティも口を挟んできた。僕たちはいつもこの三人で、真ん中が開かない凹の字のような形に机を付けて弁当を食べている。
「まあね。そのへんは正直、サッカー部が羨ましいよ」
「今からサッカーに転向すりゃいいじゃん。二川ならベンチ入りどころか、すぐにレギュラーも狙えると思うぞ」
「ありがとう。でも俺、野球が好きだから」
やはり困ったような笑顔で二川がヤマティに答える。クラブチームでサッカーをやっている僕からすれば、ヤマティたちサッカー部だってそれなりに上下関係が面倒くさそうに見えるけど(グラウンドの準備やアウェイゲームの際にボールやボトルを持っていくのは、一年生の仕事と決まっているそうだ)、野球部は輪をかけて先輩がうるさいのかもしれない。
「部活って大変なんだね」
他人事のようにつぶやくと、ヤマティからじろりと睨まれてしまった。
「悪かったな。昭和っぽくて」
「え?」
「何十年も前の昭和の時代は、それが当たり前だったらしいよ。一年は奴隷で、二年は人、三年になると神様、みたいな例え方してたって父さんが言ってた」
自前のこれまた巨大な水筒からお茶を飲んだ二川が、苦笑気味の顔をしたまま教えてくれた。
「昭和っていえば――」
聞いていたヤマティが続ける。
「野球部はマジで昭和っぽいんだろ? 先輩への挨拶も決まってて、ええっと……」
「〝ちわっす″」
「そうそう、むしろ普通に〝こんにちは″って言うと怒られるんだっけ」
なんだそりゃ、という感じの呆れた笑顔とともにヤマティが確認する。
「何それ?」
僕の方はそのまま口に出していた。だって他に言いようがない。たしかに先輩は先輩だろうけど、たかだか一年か二年早く生まれただけの人に、わざわざおかしな日本語で挨拶しなきゃいけない? まったくもって意味がわからない。あまりにも馬鹿らしいので、やっぱり僕みたいにクラブでスポーツをすればいいのにとも思ったけど、よく考えたら野球に関してはこのあたりにクラブチームはないのだった。
「先輩によってだけどね。こんにちはって普通に言って、向こうも気持ちよく挨拶してくれる人もいるよ」
「そりゃ二川だからだろ。一年生エースになるかもしれない剛速球ピッチャーは、先輩たちだって大事にするって」
ますます呆れた様子で答えるヤマティを見て、二川の顔が一瞬だけ寂しげになった気がした。優れた身体能力で一目置かれることに対して、彼はどこか居心地悪そうに見えるときがある。もちろん僕たちはそうじゃなくて、「気は優しくて力持ち」を地で行くような二川の性格そのものが好きだからこそ、こうして仲良くなった。
落ちているゴミを何も言わずにさり気なく拾ったり、黒板を消そうとした日直の女子が高い場所に手が届かず苦労してるのを見つけて、さっと近寄って代わりにやってあげたりできる本当に「いい奴」。それが二川なのだ。
「いろいろと苦労するんだね」
またしても他人事みたいに言ってしまった僕に、それでも二川は笑って答えた。
「まあでも、野球が好きだから」
次の土曜日。
パイレーツの練習は屋内でのフットサルトレーニングだった。じつは先週から、いつもの河川敷サッカー場が改修工事に入っているからだ。
昨年、Jリーグの合間を縫って行われるカップ戦で我らがパイレーツのトップチームは見事に優勝、その賞金と親会社からの特別ボーナスによって、グラウンドを拡張することが決定したのだとか。完成後には僕たちも天然芝での練習や試合が増えるらしいのでとても楽しみだけど、工事が入って狭くなっている今現在のグラウンドは、当然ながらトップチームの使用が優先される。かくして僕たちスクール生は、公立のグラウンドや体育館へ遠征しての練習が増えているのだった。
フットサルトレーニングは午後からで、夕方以降はオウジさんたちとABCの見回りもする予定なので、僕は午前中のうちに学校で勉強しようと思い立った。吹奏楽部や演劇部の練習があるため、ほとんどの休日で校舎は開いている。それを利用して特に部活や委員会がない生徒も、図書室や空き教室などで勉強することが許されているのだ。
学校に着いた僕は、めずらしく誰もいない自分の教室でさっそく勉強に取りかかった。静かな環境で集中できるうちに苦手科目である数学の予習と、あとは英語の宿題も片付けておきたかった。
一時間ほど経過して、予定通り英語の宿題に移ろうとしたとき。
「マサキ君」
すらっとした眼鏡姿の女子が、手を振りながら教室に入ってきた。
「あ、
保科
「マサキ君も勉強?」
「うん。保科さんも?」
「うん、図書室でやってたの。これから部活。でも教室が空いてるなら、あたしもこっちでやればよかったな」
いかにも残念そうに、保科さんはそんなことを言ってくれた。もちろん僕がいたからというわけではなく、単純に教室が空いてるからという理由だろうけど。
「図書室、混んでたの?」
訊いてみると「かなりね。自習用の机、ほぼ埋まってた」と保科さんは頷いた。僕たちと同じように、午前中のうちに勉強を済ませてしまおうと思う生徒がやはり沢山いるようだ。
「マサキ君もこのあと練習? パイレーツでサッカーやってるんだよね」
「うん。今日は室内だけど」
「いいなあ、クラブチーム」
「グラウンドが離れてるのは、ちょっと面倒だけどね」
小さく笑って答えると「でも、違う学校の人とも友達になれるでしょう? そういうの、憧れちゃう」と、保科さんは文字通り憧れる目をして言ってくれた。うん、こういう表情もなかなか……って、そんなことはどうでもいい。ちなみに彼女は誰に対しても、きちんと「君」付けや「ちゃん」付けで呼んでくれるし、他の面でもとてもしっかりした人なので、僕たち男子も呼び捨てにせず「保科さん」と呼ぶのが普通になっている。二川とは別の意味で年上みたいだ。
「あ、いけない。じゃあ、あたし行くね。マサキ君も頑張って」
「うん。ありがとう」
壁の時計を見た保科さんは、にっこり笑ってからもう一度手を振って、元気に教室を出ていった。姿勢もいいので、うなじのあたりで結んだ髪が揺れる様まで、なんだか絵になって見える。
「よしっ」
彼女と話ができたことと、ついでに言えばそれを誰にも見られなかったことで気を良くした僕は、プリントに書かれた最後の問題に元気に取りかかった。
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