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サクラ先生のレッスンが無事終了し、バスケ部のお姉さんたちをはじめ沢山の生徒さんに、「楽しかったです!」「ありがとうございました!」と笑顔で言ってもらえた僕たちは、同じくにこにことお礼を伝えてくれた菊原先生のお言葉に甘えて、体育館の隣にある部室棟でシャワールームを借りることにした。
「じゃあ、駐車場で待ち合わせですね」
軽やかに手を振ったサクラ先生が、女子シャワールームに消えた瞬間。
「俺たちはシャワーの前に、もう一仕事だな」
オウジさんが軽い調子で言った。けれどもその目はやはり笑っていない。
「そうですね」
僕も表情を引き締め、さっきと同じように頷いてみせる。
「場所は……古典的だけど、多分体育館裏ってとこだろうな。ちょうどよく建物の陰にもなってるし」
「はい」
オウジさんが語る通り、部室棟と体育館の間にはまさに「ちょうどいい」路地のようなスペースがあった。今どきめずらしい、と言ったら学校に怒られるかもしれないけど、漫画で不良がたむろしていそうな、本当にあんな感じの薄暗い場所だ。
部室棟の陰、体育館裏を見通せる位置に僕たちは移動した。
「現行犯のところを始末しねえとな。音声と動画も一応、撮っておこう」
「あ、じゃあ僕が」
荷物の入ったリュックから僕が愛用のスマートフォンを取り出したタイミングで、「頼むね。武力行使はあたしとおじさんの担当だし」と声がした。
「お、ABCピンク!」
「その呼び方、やめてって言ってるでしょ」
体育館にいたときと同じTシャツとハーフパンツという格好で、マユさんも現れた。ただし汗をかいたシャツだけは着替えている。柑橘系の爽やかな香りまでするのは、制汗スプレーか何かだろうか。
「マユさん、ホームルームとか大丈夫なんですか?」
「うん。生理痛がするから保健室行ってきますって言って、抜けてきた」
「え? 大丈夫なんですか?」
「全然。あたしの生理、あと一週間以上先だもん」
「…………」
オウジさんのとぼけっぷりだけでなく、マユさんのこういうあっけらかんとしたところも、たまに僕を固まらせることがある。しかも見た目はアイドルだから余計に困る。
「あ、ごめんごめん。逆セクハラになっちゃうね」
しれっと謝ってくれたマユさんは、「でもケンタもいなかったから、多分……」と口調をあらためた。すかさずオウジさんがあとを引き取る。
「多分あの三人組に、ここらあたりに無理やり連行されるだろうって予想したんだな」
「うん」
「わかってるじゃんか。さすがはABCピン――」
「次にそう呼んだら、急所蹴りするよ」
「……すみません」
もはやお約束のやり取りに笑いかけた僕は、けれどもすぐにそれを引っ込めることになった。
「あ! 来ました!」
オウジさんとマユさんの予想通り、本当にケンタさんと例の三人が現れた。忘れないうちにと、手に持ったスマートフォンのビデオ録画ボタンをタップする。
「ほら、こっち来いよエアロマン」
「ずいぶん楽しそうだったなあ、おい」
三人は左右と背後を固めるような形で、ケンタさんを強引に体育館裏の路地へと連れてきた。
「は、離せよ」
「嫌だね」
「そう言われて離す馬鹿がいるわけねえだろ」
「いいから、ちょっと付き合えよ」
大人しい性格のケンタさんがそれでもなんとか抗議するものの、三人組はにやにやと笑ったまま彼を囲み続ける。見ているだけで反吐が出そうな光景だ。
「マサキ、ビデオは撮ってるな?」
「はい。でも――」
「悪いな。もうちょっとだけ我慢してくれ」
でも、のあとに「僕だって許せません」と続けようとしたところで、オウジさんがそっと僕の背中を叩いた。とはいえ、オウジさんの目もまったく笑っていない。万が一銃でも持っていたら、即座に引き金を引いてるんじゃないかというくらいに、冷たい光を発している。
「そうね。あいつらがケンタを少しでも小突いたり、腕を掴んだりしてからの方がいいと思う。正当防衛だって言いやすくなるだろうし」
「ああ。指一本でも触れたのを確認したらだ」
マユさんにも答えたオウジさんは、いったん口を閉じたあと「そうしたら、すかさずぶっ殺す」となんでもないことのように付け加えた。「いや、殺すのはマズイでしょ。また骨折るくらいで我慢してよね」と答えるマユさんの口調も、これまたいたって落ち着いたものだ。こういう場面は二度目だけど、やっぱり僕はちょっとだけ怖さを感じてしまった。
「大丈夫。うまくやるから」
僕の気持ちを察したのか、マユさんが少しだけ軽いトーンで言ってくれた直後に、そのときは訪れた。
「お前、俺らのこと馬鹿にしてただろ」
「エアロマンのくせに、チョーシ乗ってんじゃねえよ」
両脇にいる二人が言いながら、ケンタさんの肩に手をかけて身体の向きを正反対にさせる。そして。
「あんなだせーこと出来たって、なんにもならねえっつーの」
さっきまでケンタさんの背後を歩いていた、「喧嘩上等」という恥ずかしいTシャツを着た大柄な男子生徒が、右足を回し蹴りのように軽く振った。足の甲がケンタさんのお尻に当たり、ボスッという小さな音が鳴る。
「!! あいつ!」
スマートフォンに録音されることも忘れて、僕は小さく、けれどもはっきりと怒りの気持ちを言葉にした。大したことないキックだったけど完全な暴力だ。そしてそれと同じくらい、「喧嘩上等」男の台詞が許せなかった。
あんなだせーこと? なんにもならない?
どうしてこんな人間、いや、生き物がいるのだろう。平気でこういうことを考え、平気で人を傷つけられるのだろう。誰にも迷惑をかけず一所懸命になっているもの、大好きなものを馬鹿にするという行為がどれだけ酷いことか、こいつらは本当にわかっていない。人としての心を持っていない。
「……死んじゃえよ」
ほんの数十秒前にはオウジさんとマユさんの言葉を怖いと感じたくせに、気がつけば僕は自分でもそう口にしていた。一瞬だけはっと我に返ったけれど、でもやっぱり思わずにはいられない。こいつらは死んでいい。「いじめ」っていう行為は存在しない。あるのは人の心と身体を傷つける犯罪だけ。奴らはそれを行っている犯罪者だ。
「ケンタを蹴った脚から、まず折っとくか」
「現行犯、確認ね」
気持ちを読み取ってくれたかのように、オウジさんとマユさんが僕の両肩をポンと叩いて前に出た。「お願いします」と答え、スマートフォンを構えてあとに続く。
「おい」
「ねえ」
三人に呼びかけたオウジさんとマユさんの声が、そのまま「クズども」とハモる。僕たちがABCを結成した日、コンビニにオウジさんが現れたときと同じ台詞。
そうだ。こいつらは紛れもないクズだ。
「クズね」
え?
もう一つ、ほぼ同じ台詞が聞こえて、僕たちは思わず足を止めた。
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