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「あーあー、めっちゃ張り切ってんじゃん」
「さっすが〝エアロマン″」
「そのうちレオタードとか着ちゃうんじゃね?」
小さな声だけど、僕の耳にもはっきりと届いた。そしてはっきりと感じられた。
馬鹿にするような口調。あざわらうような喋り方。隠そうともしない悪意。
やはりと言うのもアレだけど、さっきオウジさんが「特別天然記念物」に例えた、だらしない格好をした三人組からだ。
僕はケンタさんの方を見た。僕だけじゃない。オウジさんも、そして事態をすぐに把握したらしいサクラ先生も、さり気なく気遣うような視線をケンタさんに向ける。
けれどもケンタさんは、やっぱり格好良かった。
言いたいやつには言わせておけばいいんです、といった感じの表情で僕らに小さく頷いてみせたのだ。背中に凄く視線を感じているだろうに。自分を馬鹿にする奴らの顔が、姿が、どうしても気になってしまうだろうに。
ケンタさんをにやにやと見つめ続ける三人組に視線を移しながら、僕は胸の内ではっきりとつぶやいていた。
……ふざけんなよ。
ふざけんなよ。一所懸命な人をからかって楽しいのかよ。理由もなく誰かを見下して、馬鹿にして、傷つけるような真似して恥ずかしくないのかよ。あんたたち、もう高校生だろう? 僕と違って義務教育を終えてるんだろう? 高校生ってもっと格好良かったり、綺麗だったり、凄かったりするんじゃないのかよ? ケンタさんやさっきの女バスのお姉さんたちみたいに、僕ら年下が憧れるお兄さん、お姉さんじゃないのかよ?
「最低だな」
鏡の位置を確認するふりをしながら、オウジさんがぼそりと代わりに言ってくれた。飄々とした、けれども冷たい口調で。コンビニの駐車場で不良を懲らしめたときの声で。
「オウジさん」
あいつらを――と、僕も小さな声を出しかけたところで、その先を口にしたのはなんとサクラ先生だった。
「やっつけちゃいましょう」
オウジさんと同じく鏡やスピーカーをチェックする素振りのまま、にこにこ顔で物騒な宣言をしてみせる。僕もオウジさんも思わず彼女の方を二度見したほどだ。
「あの子たちが馬鹿にしてるの、ケンタ君ですよね。私、許せません。立派ないじめじゃないですか。犯罪じゃないですか」
あれ? と僕はまったく関係ない感想を抱いてしまった。サクラ先生までABCみたいになってる?
と、そこへ女子生徒が一人、すっと近寄ってきた。
「聞こえたと思うけど、あいつらがよくケンタをからかってるの」
マユさんだ。なんの変哲もない真っ黒のTシャツにジャージのハーフパンツという格好だけど、アイドルみたいなルックスは変わらない。これからスポーツ系のバラエティ番組の収録です、なんて言われても信じてしまいそうな感じがする。
「昭和の化石みたいなあのクズ三つが、今日のターゲットだから。よろしく」
サクラ先生と同じく目だけが笑っていない顔で僕らに告げて、マユさんは元いた友人たち――メグさん、アンさん、ヒカルさんの女バストリオのところにすたすたと戻っていった。そのまま「ねえ、もっと後ろにいこうよ」と、三人に場所の移動を提案する。
さらには、すぐそばに立つ上級生らしき坊主頭の男子にも、
「すみません、ちょっとずれてくれますか? やっぱり動けて格好いい男の子が前の方が、先生たちもやりやすいだろうし」
などと、いつもよりさらに高いトーンの声で恥ずかしそうに話しかけている。「あんた、よくやるわ……」とヒカルさんがぼそりと言ったような気もするけど、男子生徒はそちらには気づかず、ぱっと顔を輝かせるばかりだった。
「なあみんな! もうちょい列を整えようぜ! 男子が前だ、前!」
残念アイドルに上目遣いでお願いされた彼が、はきはきと周囲に呼びかける。号令をきっかけに、いつの間にか三十人ほどに増えていた参加者の集団は、自然と男子が前、女子が後ろという形に分かれていった。坊主頭の彼は背が高くて声もよく通るので、ひょっとしたら野球部のキャプテンとかなのかもしれない。もちろんマユさんはそれも踏まえて、彼をアイドル詐欺(?)にかけたのだろう。
結果、ケンタさんをからかっているというあのだらしない三人も、必然的に前方へ押し出されることになった。
「さすがABCピンク、やるねえ」
にやりと笑ったオウジさんは、「じゃあサクラ先生、始めちゃいますね」と軽い調子で続けてからポンと大きく手を叩いた。
「こんにちは、皆さん!」
「こんにちはー!」
オウジさんの挨拶に、進学校らしいしっかりとした反応が返ってくる。あのだらしない三人も、とりあえず口を動かして周囲に合わせている感じだ。
「職業別セミナーの『フィットネス講座』に来てくれて、ありがとうございます。前半は僕、トレーナーの田中が簡単な筋トレを、後半はこちらの長峯さくら先生がエアロビクスのレッスンをさせてもらう予定なので、みんなで楽しく身体を動かしましょう。こっちの小さい田中は僕たちのアシスタントです。息子じゃないけどね。じゃあ、よろしくお願いします!」
「お願いしまーす!」
普段はすっとぼけているけど、トレーナーとしてのオウジさんは本当に優秀だ。今もまるでスポーツチームを指導するみたいに全体へ元気よく声をかけ、僕を紹介するところではさり気なく笑いも取って、すぐに体育館中の注意を自分に引きつけてみせた。参加者は運動部が半分以上を占めるので、ちょっぴり引き締まった雰囲気すら生まれている。
「じゃあ、まずはみんなで軽くウォームアップしましょう。隣や前後の人と、手がぶつからないくらいまで広がって! OK、最初は肩まわりから!」
こうしてオウジさんはあっという間に場の主導権を握り、筋トレ講座をスムーズにスタートさせた。肩のウォームアップを終えると今度は股関節を中心とした下半身のウォームアップ、そして筋トレの基本となるスクワットや腕立て伏せの正しいフォームなどを、僕やサクラ先生をモデルに使ったり生徒さんたちの間を軽快に動き回ったりしながら、いいタイミングで声をかけてレクチャーしていく。
相変わらず、教えるの上手いなあ。
サクラ先生と並んでお手本を示しつつ、今日も僕は唸らされた。じつは簡単なウォームアップや誰もが知っているエクササイズは、動き自体が地味なのでどうしても盛り上がりというか、「やってる感」に欠けやすい。でもオウジさんは決してそうさせず、
「もっと目一杯腕を上げよう! 肩の動く範囲が広がるだけで、パフォーマンスが変わるよ!」
とか、
「もうちょい深く! 筋肉と会話して! あれ~? まさかバスケ部が、これぐらいでキツイとか言わないよねえ?」
といった調子でときには専門的に、ときには楽しくコミュニケーションを取って「ちょっとキツイけど、しっかりやり切れた」という形に持っていってくれるのだ。
「腕立て伏せは、モデルの二人みたいに胸が床に付くまで下げよう!」
オウジさんの言葉を聞くや否や、僕とサクラ先生はすぐにアイコンタクトを交わして、その正しい腕立て伏せのフォームをしてみせた。これまた誰もが一度は行ったことのある動きだけど、
――腰を反ったりケツを上げたりせず、身体が一枚の板みたいにまっすぐのまま胸まで付ける。そして同じ姿勢で上げる。これが本当の腕立て伏せだ。胸まで付けないサボったやり方は、『腕立て伏せ
と、オウジさんから教わった通りに動くとかなりきつい。僕の同級生にも「腕立て五十回は余裕だぜ」みたいな男子がいるけど、それって絶対『腕立て伏せかけ』でやっていると思う。
「女子はきつかったら、サクラ先生みたいに膝をついてもOK! でも必ず胸まで付けること!」
言われたサクラ先生が笑顔で見本を繰り返す。さすがのフォームだし、このままフィットネス関連のDVDに出られそうなくらいだ。
「先生! うちのメグがおっぱいでかいからって、楽してまーす!」
「ちょ……!? アン!」
生徒さんたちも馴染んできたらしく、女バスのアンさんがさっきみたいにメグさんをからかったので全員がどっと沸いた。顔を赤くしながらも、男子まで「しょうがないなあ」という表情で笑っている。
「それを俺にコメントしろって言われてもなあ」
オウジさんも苦笑いで返しつつ、ふたたび前方へと歩いてきた。
「ほらほら、胸まで付ける! まさか女子や中学生と同じ動きが、できないわけないよなあ?」
みんなの前へ戻る直前、オウジさんが男子の一角をまたいじった。その声に少しだけ本気の嫌味みたいなものが混じっていることに気づいたのは、僕とサクラ先生、そして彼らの数メートル後ろで「なんであたしまで……」とぼやきながらも、一所懸命やってくれているマユさんだけだろう。
「せっかく芸人みたいな目立つTシャツ着てるんだし、男らしいフォームで頼むぜ、三人トリオ」
にこやかに、けれども微妙な煽り口調でオウジさんが話しかけたのは、今回のターゲットである例の三人組だった。
「…………」
威勢のいい格好とは裏腹に、彼らはそれほど運動能力は高くないらしい。オウジさんが指摘した通り、腕立て伏せもごく浅い範囲でしかこなせていなかった。ついでに言えばメンタルも弱いというか、堪え性がまるでないようで、オウジさんが目の前を立ち去ると、ふてくされたような顔になって動きそのものをやめてしまう。
「あらあら。所詮はお子ちゃまなのね」
逆に美しい腕立ての姿勢を保ったまま、サクラ先生も失笑する。ケンタさんへのいじめを聞いていることもあり、僕も正直、ざまあみろとしか思えなかった。一方で僕らの目の前、最前列にはそのケンタさんが笑顔で腕立て伏せを美しく繰り返す姿が見える。
十分後。
「はい、オッケー! みんなよく頑張ったね。ありがとう。きつい筋トレはこれくらいにして、あとは楽しいエアロのレッスンだ。音楽に合わせてノリノリで身体を動かしましょう。サクラ先生、お願いします!」
スクワット、腕立て伏せに続いて腹筋のエクササイズなどもレクチャーしたオウジさんは、元気な声でサクラ先生にバトンタッチして、舞台横に置いてある演台のところへと駆けていった。エアロビクスのスタートに合わせて、音響係を買って出るつもりのようだ。おたがいどう思っているのかはわからないけど、やっぱり息が合ってると感じるし、こういう様子を見ると僕もなんだか嬉しい。
「はーい! じゃあここからは私と一緒に、簡単なエアロビクスのレッスンです! 前にある鏡も上手に使いながら、間違っても気にせず元気よくいきましょう! BGM、お願いします!」
後ろを振り返ったサクラ先生が右手を挙げ、オウジさんが大きく頷いてみせる。すかさずギターとドラムのイントロが響き渡った。
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