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ABCエアロ大作戦こと、ケンタさんとマユさんが通う平塚河西高校での、職業別セミナー当日。
オウジさんが運転する町立体育館の名前が描かれた軽自動車で、僕たち二人は学校へと向かった。校門を入ってすぐの駐車場に車を停めると、来客用玄関の前でTシャツ姿の女性が大きく手を振っている。サクラ先生だ。
「あ、サクラ先生、もういらしてますよ」
「ああ。ほんとにチャリンコで来たんだな」
オウジさんがどこかでピックアップしようかと申し出たところ、愛用のクロスバイクに乗って直接行くから大丈夫と、ちょっぴり残念そうに断られたそうだ。実際、少し離れた駐輪場には、それらしきペパーミントグリーンの自転車が太いワイヤーで留めてあるのが見える。
話しながら車を降りた僕たちのところへ、今日も軽快な足取りでサクラ先生が駆け寄ってくる。
「こんにちは、オウジさん! と、アシスタントの――」
「マサキ、田中将来です。オウジさんと名字が同じなので、みんな名前で呼んでくれてます。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。そっか、マサキ君ていうんだ。よく体育館で筋トレしてるよね」
「はい」
僕にも明るく挨拶してくれるサクラ先生は、やっぱりどこからどう見てもインストラクターのお姉さんだ。爽やかで元気溌剌。なんていうか、真夏の向日葵みたいなイメージ。
「前座の俺とマサキでお客さんを温めておきますから、サクラ先生は思う存分やっちゃってください」
「ありがとうございます。べつに、私のエアロが先でも良かったんですけど」
「なーに言ってんですか。イントラさんはフィットネス業界の花形なんですから、真打ちとして、あとからドッカンドッカン盛り上げてくれないと」
「あはは、ありがとうございます」
落語か何かと勘違いしているようなオウジさんの発言にも、サクラ先生は朗らかに笑顔を返す。オウジさんより頭半分ほど背が低いので、少しだけ上目遣いになる姿が、マユさんとは違うタイプのアイドルみたいにも見える。
「窓口の先生によれば、直接体育館に行っちゃっていいそうですよ。さっそく伺いましょう」
「はい!」
僕の感想には気づかない様子でのんびりと声をかけるオウジさんと、ますます元気に答えるサクラ先生。
オウジさんも黙ってれば、こういう人とお似合いなのになあ。
苦笑しつつ、僕も歩き出した二人を追いかけた。
会場となる体育館に入ると、前方にある舞台の真ん前で、三人ほどの女子生徒がキャスターつきの大きな鏡を五枚ほど並べていた。全員がTシャツに短パン、さらに足下はバスケットボールシューズという動きやすそうな服装だ。そばにはポロシャツ&ジャージの、いかにも「体育教師」っぽい格好をした男の先生もいて、鏡を置く細かい位置などについて穏やかな声で指示を出している。自分が顧問を務める女子バスケ部の生徒さんに手伝わせて、僕たちの講座の準備をしてくれているのだとすぐにわかった。
「こんにちは! エアロビクスのレッスンをやらせていただく長峯です。今日はよろしくお願いします」
早足で近寄ってはきはきと挨拶するサクラ先生に、僕とオウジさんも続く。
「筋トレの方を担当する、トレーナーの田中です。こっちは助手の田中マサキ」
「こんにちは。よろしくお願いします」
前もって草木さんとオウジさんが連絡済みとはいえ、どう見ても中学生の「助手」まで現れて本当に大丈夫だろうか、と僕は少し心配していたのだけど、振り向いた先生、そして三人のお姉さんたちも、「こんにちは!」と揃って笑顔で挨拶を返してくれた。
「ようこそ、平塚河西高校へ。講座の窓口を担当させていただく、体育科の
男の先生が、もう一度にっこりと笑いかけてきた。菊原先生の年齢は五十歳くらいだろうか。目尻の深いしわが優しげで、生徒さんたちにも人気がありそうな気がする。
「マサキ君は学校が開校記念日なんだよね。わざわざありがとう」
などと僕にも丁寧に話しかけてくれるので、ますますその思いが強くなった。
「いえ。中学生なのにお邪魔しちゃって、すみません」
「いやいや。中学生がしっかり筋トレしてトレーナーさんの助手までやってるのに、おまえらは出来ないのかって、特に運動部の子たちのお尻を叩きやすくなって助かりますよ。うちの子たちも、脚が太くなっちゃうからやだ、とかアスリートらしからぬことを言ってサボってばかりでねえ。ははは」
菊原先生が笑って女子生徒たちの方を見ると、「だって私たち、花も恥らうJKですから」と一番背の高いショートカットのお姉さんが、まるで父親と会話するみたいに返して頬を膨らませた。やはり菊原先生は生徒さんたちから慕われているのだろう。
すると彼女の隣に立つ、ポニーテールのお姉さんが僕に声をかけてきた。
「ねえねえ。マサキ君、だっけ」
「は、はい」
バスケ選手らしくこのお姉さんもそこそこ大きいので、少し身を屈めて僕の顔を覗き込むような体勢を取ってくる。ちょっぴり、いや、結構恥ずかしい。
「パイレーツでサッカーやってるんだよね。マユの友達でしょ?」
「あ、はい。マユさんのお知り合いですか?」
「うん、全員友達。あたしと、こっちのヒカルはクラスも一緒なの。今日の講座、真面目で可愛い中学生がトレーナーさんのお手伝いで来るって聞いて、楽しみにしてたんだ」
「そうそう。でも可愛いっていうか、格好いいね。マサキ君、何年生?」
ヒカルさんと呼ばれた、こちらは背中で髪を束ねた小柄なお姉さんも、やはり僕に顔を近づける。ていうか、なんかいい匂いがするんですけど……。
「い、一年です」
「てことは、うちらの三つ下かあ。う~ん、惜しいなあ。もうちょっとだけ早く生まれて欲しかったなー。ね、アン?」
ポニーテールのお姉さんは、アンさんという名前らしい。
「だね。同級生だったら、マジでアタックしちゃうかも」
「え……」
「ちょっとあんたたち、マサキ君が困ってるでしょ」
文字通りリアクションに困っていると、すぐにフォローが入った。一番背が高い最初のお姉さんだ。
だが注意されたのもなんのその、ヒカルさんが逆にいたずらっぽく笑いかける。
「あら? そう言うメグこそ、マサキ君が体育館に入ってきてから、ずーっとちらちら見てたくせに。好みのタイプなら年下も全然あり、とか前に言ってたの覚えてますけど?」
「ち、違います! あたしはシュシャ、いや、主将として――」
「噛むほど動揺しなくてもいいじゃない。あのね、マサキ君。このでっかいお姉さんはよしといた方がいいよ。たしかにおっぱいは大きいけど、そんなもん付き合って三日もすれば見飽きるはず――」
「中学生相手に、逆セクハラしてんじゃないっ!」
お姉さんトリオによる漫才みたいな会話に、僕はさらに固まるしかなかった。助けを求めるように大人たちの方を見たけど、オウジさんとサクラ先生はもちろん菊原先生まで苦笑しているだけだ。
マユさんの友達って、こんな〝濃い″人ばっかりなんだろうか。いや、マユさん本人はクールなタイプだから、逆にバランスが取れていいのかも。
「すみません、マサキ君。三人とも彼氏がいないそうだから、はしゃいじゃってね」
「せ、先生まで余計なこと言わないでください!」
おかしそうに口を挟んだ菊原先生が、メグさんの抗議を慣れた様子でスルーしてサクラ先生に顔を向けた。
「音響はそこの演台にあるデッキをご自由に使ってください。舞台脇のスピーカーから音が出るので、ボリューム的にも問題ないと思います」
「はい、ありがとうございます!」
「筋トレの方も、BGMとかを使用されますか?」
「いえ、特には。いろいろとありがとうございます」
確認されたオウジさんもにこやかに返事をする。大人同士の穏やかな会話に、僕だけでなく、騒がしかった三人のお姉さんも落ち着きを取り戻した様子だ。
「間もなく生徒たちも集まると思うので、時間になったら始めていただいて結構です。では、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします!」
全員でおたがいにもう一度会釈しあったところで、実際にぞろぞろと受講者の生徒さんたちが入ってきた。メグさんたちと同じく全員がTシャツにジャージや短パン、室内シューズという格好をしている。サッカー部や男子バスケ部、バレー部の生徒さんはTシャツのデザインや短パンの長さ、シューズの種類などから一目でそれとわかる。
「こんにちはー!」
「よろしくお願いしまーす!」
その運動部らしき面々が、まずは率先して挨拶してくれた。進学校の河西高校は、部活動も真面目に取り組む生徒が多いことで有名だ。じつは僕も、成績がもう少し上がれば受験したいとこっそり思っていたりもする。とはいえ大勢の人間が集まる学校という場所なので、中にはケンタさんをからかうような者も、残念ながら出てきてしまうのかもしれない。
「あ」
スポーティな一団の後ろに目をやった僕は、思わず声をもらした。まさに人をからかいそうな、ちょっとだらしない感じの男子グループが入ってきたからだ。大・中・小とばかりに身長が綺麗に分かれた三人組で、髑髏のイラストがプリントしてあったり「喧嘩上等」という文字が書かれた、大昔のヤンキーみたいなTシャツをそれぞれが身に着けている。短パンやジャージも僕にはさっぱり意味がわからない、あのお尻までずり下げて穿くスタイルだった。
「あらら。河西にも特別天然記念物みたいなのがいるんだな」
隣でオウジさんが、露骨に失笑を浮かべてつぶやいた。サクラ先生も彼の向こう側で、ちょっと困った感じの笑顔になっている。
「ケンタさんをいじめてるのって、ああいう人たちですかね」
僕が返したところで、まさにケンタさん本人が体育館に入ってきた。
「オウジさん! サクラ先生! こんにちは!」
すぐにこちらへ来て挨拶してくれたケンタさんは、「あれ? マサキ君も?」と目を丸くした。
「はい。ちょうど中学の開校記念日だったんで、オウジさんのお手伝いです」
「へえ。わざわざありがとう」
「いえ。こっちこそ、お邪魔しちゃってすみません」
「ううん。じゃあみなさん、今日はよろしくお願いします!」
にこやかに言って、さらに集まり始めた生徒さんたちの最前列へとケンタさんは戻ってゆく。いつもよりテンションが高い感じなのは早く講義、特にサクラ先生のレッスンが始まらないかと、わくわくしているからかもしれない。本当にエアロビクスが好きなんだなあ、と僕はあらためてケンタさんを尊敬する気持ちを噛み締めた。焦るわけじゃないけど、自分にもいつかケンタさんみたいに、はっきりとした夢が見つかればいいなと思う。
温かくなった気持ちに水を差すような会話が聞こえたのは、そのときだった。
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