3

 サクラ先生のレッスン終了後、オウジさんは宣言通り、ジムに立ち寄ったケンタさんを紹介してくれた。


「こんにちは。田中将来です。中一です」

「垣ノ内健太です」


 ちょっと大人しい、とオウジさんが言っていたケンタさんは、たしかに口数こそ少なそうだけど、笑顔で挨拶してくれる感じのいい人だった。ダボッとした感じのTシャツと短パンに、おそらくはエアロビクス専用の真っ黒なスニーカーという格好が凄く似合っていて、見た目はもう立派なフィットネス・インストラクターに見える。


「マサキは俺の友達で、湘南パイレーツのクラブ生なんだ。一見地味だけど周りがよく見えてて気が回る、なかなか侮れない中学生だぞ」

「へえ」


 またしてもよくわからない評価をされてしまったけど、オウジさんが当たり前のように「俺の友達」と言ってくれたことが僕はひそかに嬉しかった。きっとこの人は相手の年齢や性別、国籍といったものをまったく気にせず、自分が気に入った人間とは誰とでも堂々と、そして飄々と付き合えるのだろう。ここにいるのが僕じゃなくてマユさんだったとしても、似たような紹介の仕方になったはずだ。


「あ」


 マユさんの姿が頭に浮かんだので、僕は数十分前にオウジさんと話した内容を思い出した。


「オウジさん、マユさんについて訊くんじゃなかったんですか?」

「え? なんだっけ」

「…………」


 どうやらまたしても忘れているようなので、仕方なく自分で質問する。


「ケンタさん、学校の同級生にマユさんていませんか? ロシアとのハーフで、マユ・北見、ええっと――」


 申し訳ないことに彼女のフルネームが出てこなかった僕は、助けを求めるようにもう一度オウジさんを見た。


「ああ、そっか。マユについてだったな。ケンタ、知らないか? 同じ学校のマユ・北見・メなんとかって女の子。メロンソーダだか、メープルシロップだかみたいな名字の」

「……オウジさん、全然違うと思います」


 すっとぼけているこの人に、期待したのがいけなかった。そもそも最初から覚える気がないのかもしれない。けど幸い、ケンタさんはすぐにわかってくれた。


「マユ・北見・メドヴェージェヴァ?」

「あ、はい!」


 笑顔で答える僕に、「うん、よく知ってる。家も近所だよ」とケンタさんが微笑みながら頷く。


「マユは小六のとき引っ越してきたんだけど、それからずっと一緒で、しょっちゅう面倒見てもらってるんだ。今はクラスも同じだし」

「へえ」

「そうか、思いっきり友達だったんだな」


 単なる同級生どころか、二人が仲良しということがわかって嬉しい。オウジさんも同じ様子だ。

 穏やかな笑顔のままケンタさんは続けた。


「マユは凄く優しいんです」

「そうですね」

「たしかに、エロゲのツンデレキャラみたいな性格だもんな」


 例によって意味不明なオウジさんのコメントはさておき、マユさんこそまわりの空気を読んで人に優しくできる人だということを、ABCでの活動を通じて僕も実感させられている。見回りの最中にとつぜん彼女が駆け出したと思ったら、十メートルほど先でベビーカーを抱え上げて、歩道の段差を乗り越えようとしている若いお母さんを助けるためだったり、自分のバイト先じゃないコンビニでも、駐車場に空き缶が落ちていたりすると「どこのバカよ、まったく」とボヤきながらも、慣れた様子でゴミ箱にきちんと捨て直すのだ。


 決して愛想がいいわけじゃないし、しかも怒らせると怖い格闘技の達人だけど、悪を憎む心と困っている人を助けられる優しさを持った、ちょっと変わった「残念アイドル」な女子高生。それがマユさんなのだった。


「なんだ、ケンタはマユが好きなのか? 付き合ってんの?」

「ち、違います!」


 女子高生どころか中学生、いや、小学生のようなことをオウジさんは言い出した。あっけらかんとストレートに訊いてしまっているし、サクラ先生の気持ちについて僕が草木さんに確認したのとは訳が違う。というか、三十歳のいい大人としてこれはどうなんだ。

 けれども真面目なケンタさんは、顔を赤くしながらさらに詳しく話してくれた。


「僕が誰かにからかわれたりすると、すぐにマユが止めさせてくれるんです。あんまり調子に乗ってる奴がいたら、なんていうかその、懲らしめたりもしてくれて」


 懲らしめる、と言葉を選んでいるけど、つまりはお得意のシステマという格闘技で黙らせるのだろう。なんにせよマユさんは、学校でも幼馴染みを助けてABCまがいの行動を実践中らしい。

 マユさんぽいなあ、とその姿を想像して感心した僕がふと隣を見ると、オウジさんはなぜか対称的な表情を浮かべている。濃い眉をきゅっと寄せて、何かを疑うような。


「からかわれるってのは?」


 さっきと同じ軽い調子の質問。ただし、垂れ目の奥に真剣な光が宿っているのがわかる。


「あ、ええっと」


 ためらうケンタさんの心を読んだように、オウジさんが重ねて尋ねた。


「エアロが好きな男子はめずらしいからって、からかったりしてくるアホがいるとかか?」

「えっ!?」

「……はい」


 驚く僕にもちらりと目線を寄越してから、ケンタさんはまるで自分の方が悪いことをしたみたいに小さく頷いた。


「からかわれてるだけか?」


 重ねて訊くオウジさんの声は、けれども表面上は軽い調子のままだ。多分ケンタさんが話しやすいようにだろう。


「…………」

「殴ったり蹴ったりはしないけど、ケンタの物真似をしておちょくってきたり、たちの悪いいたずらを仕掛けてきたりって感じか」


 残念なことに、オウジさんの指摘は図星だとわかった。はっとしたケンタさんが、ふたたび弱々しく首を縦に振ったからだ。


 最低だ。


 いつかと同じように、僕の胸に怒りが湧き上がる。ケンタさんは何も悪くない。自分の好きなことに、一所懸命取り組んでいるだけだ。将来の夢に向かって頑張ってるだけだ。それを馬鹿にするなんて。からかうなんて。いや、オウジさんが言ったように、これはもうからかってるだけじゃない。


「ケンタ」


 僕と同じ判断を下したオウジさんが、静かに告げる。


「お前が受けているのは、いじめだ。そしてそれは立派な犯罪だ」

「は、はい」

「俺はいじめが大嫌いだ。いじめなんてクソみたいなことをする、クソみたいな奴らが本当に許せない」


 あのコンビニの駐車場を僕は思い出した。とぼけた表情のまま、冷たく切り捨てるようなオウジさんの姿。隠しきれず滲み出るいじめを憎む心。本気で許さないという決意。


「マサキ」

「はい」


 だから、次に言われる言葉を予想できた。


「俺たちの出番だな。ABC、出動だ」

「はい!」




「……だからって、そんな大掛かりな企画を立てなくてもいいじゃない」

「いいや、これは大事なことだ。ケンタのためにも、俺のためにも」


 一時間後。僕とオウジさん、そして体育館の出入り口で待ち合わせたマユさんは、ABCの見回りとして例によって連れ立って歩いていた。僕が自転車ということもあり、今日は道幅の広い住宅街が行動エリアに選ばれた。このあたりも小中学生が多く、いつかのように塾や習い事の帰り道で不良に絡まれる子がいるかもしれないので、活動ルートとしては悪くないはずだ。


「オウジさんのため、ですか?」


 問い返した僕に、オウジさんがしれっと答える。


「おう。俺は学校が好きなんだ」

「は?」


 並んで歩く彼とマユさんから、一歩下がって愛用のママチャリを押していた僕は、つい間抜けな声を出してしまった。


「俺の青春時代は、リア充でもなんでもなかったからな。だから逆に、健全な学校生活を送ってる若者たちとか、学校って場所そのものに今でも憧れがあるんだよ」

「へえ」

「よしよし。これで堂々とマユたちの学校を見学できる」

「……おじさん、なんかキモいんですけど」


 理由はさておき、オウジさんはケンタさんとマユさんの通う河西高校に行ってみたいらしい。ちなみにマユさんからの「おじさん」呼ばわりに関しては、早々に諦めたようだ。


「それにしても急な提案をあっさりOKしちゃうなんて、おじさんの上司もそのサクラ先生も、ずいぶんフットワークが軽いのね。ていうか、うちの学校もだけど」

「ま、俺の人徳だな。はっはっは」


 引き続き呆れた調子で言うマユさんに、オウジさんはなぜか堂々と胸を張って返している。


「でも、ちょっと楽しみですね。高校での出張レッスンなんて」


 二人の後ろを歩きながら、僕は頭一つぶん高さが違う背中に明るく声をかけた。


 ケンタさんから事情を聞いたオウジさんは、「せっかくだからケンタがやってることがどれだけ凄くて格好いいか、犯罪者のクソガキどもにまずは身を持ってわからせてやろうぜ」と言い出し、なんと河西高校での出張エアロビクスレッスンをやらせてもらえるよう、草木さんと、そしてまだ体育館に残っていたサクラ先生に提案したのだった。

 目を丸くする僕とケンタさん本人を尻目に、


「いいんじゃないか。平塚河西なら体育科の先生や校長先生も知り合いだから、今電話してみるよ」

「楽しそう! 私で良ければ喜んで!」


 となぜか二人もノリノリで、草木さんが本当にその場で河西高校に電話をかけた結果、これまた驚くべきことにあっさりと許可をもらってしまった。草木さん曰く、


「よし、OKだ。ちょうど再来週、いろんな仕事の人を呼んで全学年同時に特別授業をする『職業別セミナー』っていうのがあるから、講義の一つとして体育館で是非、って校長先生も乗り気だったよ。どうせならフィットネス講座っていう括りで、筋トレ教室も一緒にやって欲しいとまで言ってもらえたから、そっちはオウジがよろしくな」


 だそうで、しかも日程を確認したら、ちょうど良く僕も中学の開校記念日と重なって休みだった。平日の昼間はパイレーツの練習もないため「マサキは俺の筋トレアシスタントとして来ればいい」とオウジさんが言い出し、「じゃあ私も、ケンタと一緒に講義に出ないとね」とマユさんも生徒としての参加を約束。


 かくして僕たちは三人揃って、オウジさん命名の『ABCエアロ大作戦』(「何よ、そのダサいネーミング」というマユさんの抗議は当然のようにスルーされた)に参加することとなったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る