第143話 stand-alone ⑧

 認識が甘すぎた。

 恭平きょうへいが通知に気付いたのは、タワーからさほど離れていない地点で26体目のハンマーヘッドを倒した後。

 目の前の複数の反応を無視し、タワーへときびすを返す。

 濃霧のうむのせいで、走って戻る事は出来ない。

 敵の奇襲に気を付ける必要はないが、ウニのように鋭利な切っ先を持つ化け物も存在する。敵に攻撃意思はなくとも、自分から突っ込めば負傷する。

 頼れるのは携帯のマップのみ。あせる気持ちとは裏腹に歩みは思うように進まない。

 それでも一定のスピードを維持して迷うことなく歩けているのは、この引き伸ばされた時間の中で地形が体に染みつくほど駆け回った為だ。

 急いでいても、何もしないまま戻るのはの骨頂。

 霧の中でシルエットを確認出来るほど近くを通過した敵には矢を撃ち込み、スキルが溜まる都度つど、頭上に向けてスペシャルショットを射出する。

 そうして屋上に辿り着いたのは15分後。実際の時間に換算しても1分以内。

 それでも、状況は刻一刻と悪化の一途いっと辿たどっていた。


「ここまで……」


 まず、屋上に陣取っていた仲間の半数が出血を伴うダメージを負っていた。

 その内、チームリストで死亡が確認できたのが2名。辛うじて生きているものの、戦闘に参加できる状態ではない重症者が2名だ。

 一先ず、屋上に居た敵をすべて処理し、次の一手を考える。まずは戦況を立て直さなければならないが、この霧は一定距離以上の音を極端に減衰げんすいするらしい。

 皆はまだ、屋上の敵が一掃された事に気付いていない。この極限の状況の中、おびえた表情で武器を握り、現れない敵を待ち構えている。

 この状況では、メールを入れた所で誰も気付かないだろう。

 まずは、この霧を一時的にでも晴らさなければならない。


「くそっ」


 皆は四方其々に散っている。当然、どの方角からの敵にも対処する為だ。

 集合もしくは一カ所でも死角があれば、屋上でそのままスペシャルショットを起爆したのだが、仕方なく1階まで降り、四方の地面に直接スペシャルショットを叩き込んだ。

 屋上から射出したのでは、矢が着弾して爆発するまでのタイムラグが発生する。現実時間では微々たる差だがそのひまさえしい。

 これで下準備は出来た。後はメールの文面と今後の対処方だ。

 基本方針は変わらないにせよ、各々が敵を撃破するのは難しい。

 攻撃より皆で集合して防衛に徹する方が望ましいだろう。


『負傷者を多数確認した。皆、まずは東京タワー展望台まで_』


 文面を打ち込んでいる途中で恭平はハッとする。


 敵が出現したのは屋上だけか? 展望台に居る春日かすがさんは大丈夫なのか?


 東京タワーの展望台は室内ではあるが安置あんちではない。そのあたりの道端と同じ扱いだ。

 開始と同時に敵がいた可能性がある。

 今の所、ホーリーボム生成失敗の通知はない。

 少なくとも、りんは健在という事だ。しかし――、


 確認しに行くべきかどうか、恭平は逡巡する。

 嫌な予感が当たっていたなら、今向かわなければならない。既に遅きに失したとしても。

 逆に、展望台が大丈夫だとするなら、そこまで登るだけの時間が無駄になる。


「ッ、行かない選択肢なんてないだろ!」


 階段を上り始める。その程度のロスと安全をはかりけるまでもない。

 敵の侵攻は進むが、上っている間も周囲にスペシャルショットをばら撒けば多少の足しにはなる。

 爆破できない方角もあるが、どのみち敵がいるかどうか、被弾しているかどうかの確認すら出来ないのだ。なまじ敵の群れが見えない分、仕方ないと割り切れる。

 自分自身を納得させる屁理屈へりくついくつも頭の中に並べながら、長い階段を登っていく。

 この霧の中の登頂は、はっきり言って最悪だ。

 見晴らしがよければ、今の自分の位置と残りの距離を掴むことが出来るが、濃霧の中では自分が今どのあたりに居るのか、周囲の景色からははかれない。

 タワーの階段は幸いにして十数段毎に蹴込の部分に『何段目』と表示されているので、それを頼りに恭平は歩を進めた。


 結論から先に言えば、恭平が展望台に向かったのは正解だった。

 第二展望台の上下階には其々、2体、計4体の水母が湧いており、まさに凜と護衛についていたメンバーが右往左往うおうさおうしているのが分かった。

 敵の数が少ないおかげで負傷者は出ていない。

 不幸中の幸いと言っていいだろう、出現した水母が同じ方角から向かってくれたおかげで、上手く円形の展望台エリアをぐるぐると反時計回りに逃げる続ける形になったようだ。

 出現位置が悪ければ挟撃きょうげきされ、屋上と同じ状況になっていただろう。

 全ての水母を殴り殺し、さてここはどうするべきかと頭を悩ませる。

 展望台の中にも霧は充満していた。

 この密閉に近い空間で霧を吹き飛ばす為に爆発を起こすのは正直躊躇しょうじきためらわれる。

 窓が割れれば、そこから鮟鱇等あんこうなどの厄介な敵が入り込む可能性もあるのだ。

 凜達は既にパニックに近い状態で、伝え方を間違うと悪い方向に転ぶ。

 恭平は額に滲む汗を拭い、酸欠気味の頭を振り絞るが、視界に星が明滅するばかりで妙案は一向に浮かんでこない。

 ラッシュ前に仮眠を取ったとはいえ、疲れはピークに達しようとしている。

 否、既に超えている。その疲労感を軽減していたのが、負傷者ゼロという先行きの明るい状況だった。

 しかしその前提ははかなくも瓦解がかいした。


「どう、すればいい……。考えてただろ、俺。どうするつもりだったっけ?」


 あらゆる状況、あらゆる局面を考慮していた筈だ。

 恭平は首を振る。

 いや、あらゆる状況を想定できていた訳ではない。現に、霧が音を遮断するというイレギュラーに見舞われている。その対策も、当然考えていない。

 この霧の特性に気付く機会は今まで何度もあった。

 しかし恭平は仲間を危険に晒さぬように、己だけで先行して霧の原因であるハンマーヘッドを倒し、出来る限り早期に解消するように努めていた。

 攻略方としては満点のやり方だ。

 自分が何とかしなければ、と個人で行動し続けてきたがゆえの落とし穴。


「結局、その付けが今になって回ってきた」


 過ぎた事を悔やんでも仕方ない。頭では分かっていても、己を責めずにはいられない。

 一先ず、凜達に安全を知らせるべく、倒した敵を一か所に固めてアイスアローを打ち込んで凍結させる。

 これを見れば流石に、恭平が来たことが分かるだろう。

 ゆっくりと成長する氷は、最終的に鋭利な部分が出来るので、万が一彼女達が怪我をしないように割り砕かなければならない。

 氷が成長するまでの長すぎる時間に、まずは一斉送信用の文面を改めて考える。


『屋上、展望台の敵は一掃しました。皆、一旦体制を立て直す為に展望台に集合。それまで俺が全部食い止めます。落ち着いて、移動してください』


 現在、確認出来ているボス級はハンマーヘッドのみ。青嵐せいらんのように、ハンマーヘッドが大挙して押し寄せてくる訳ではなかったのが救いか。

 屋上や展望台にいきなり奴が湧いたら全滅は必至だった。

 恭平は握り拳を自分の太腿に叩きつける。改めて、認識の甘さに気付かされた。

 青嵐が軍曹の大群だったのだから、秋嵐しゅうらんはハンマーヘッドの大群と考えるのが普通ではないか。

 霧が出ると、敵の死体は別の化け物へと姿を変える。

 だからこそ、ラッシュが始まる前の死骸の処理はおこたらなかった。

 同時に、それで満足してしまっていた。


「良いじゃないか。最悪の結果にならなかった事を喜ぼう。……今は」


 皆が集合するまでの時間を稼ぎつつ、周囲の敵を出来る限り倒す。

 失敗した分は、取り戻せなくともリカバリーをしなければならない。

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