第142話 stand-alone ⑦

「負傷者はタワーに避難! 重症者が居ます。誰かエレベーターを3階に回して!」


 濃霧のうむの中、叫ぶ。皆に聞こえているだろうか。

 時折、かすかに銃声が耳に届く。

 どうして、こんな簡単に。美和子みわこは奥歯を噛みしめる。


『全生存者にお知らせします。これより、秋嵐しゅうらいが開始します。それでは、良い終末を』


 その通知が来てから、まだ10分と経過していない。

 恭平きょうへいの計画した初動は完璧だった筈だ。

 開始と同時に建物周囲は爆発で満たされた。

 開始と同時に立ち込めた謎の霧は一瞬で晴れ、爆発で粉微塵こなみじんになったものを含めて、敵の姿をありありと私達の目の前にさらし出した。

 問題は、それが本当に目の前だったことだ。

 今まで敵は建物の外からおそってきた。

 だが今回は、建物の上にも数十体の敵がいて出た。

 私達が居る屋上で爆発が起こる筈もなく、その結果、爆発に耳を塞ぎ、全員ではないにせよ目を瞑っていた私達は初動が遅れ、爆発にもひるまない異形の敵に先手を取られた。

 もしこの時、恭平が一度でも屋上を確認しに来てくれていれば。


「ねぇ、誰か! 返事だけでもしてよ!」


 そんな、もしもの事を考えても仕方ないのは分かっている。

 あり得ないからだ。

 仮に開始と同時に彼がこの建物に居たのなら、外を満遍まんべんなく覆うように展開された爆発が収まるまで動けない。

 私達にとっての5秒足らずが、彼にとっては耐えがたいロスとなる。


『ジジッ、ジジジジジジジジ』

「くぅっ!」


 濃霧の中から飛びかかって来る水母くらげの頭部を切り飛ばす。

 おおかぶさる様に倒れて来た胴体を蹴り、前に踏み込んで次の水母を切り伏せる。

 最初、屋上にこんなにも敵はいただろうか。それとも別の個体が押し寄せたか。

 それすら分からない。

 視界が不良なだけで、これほど不安になるとは思ってもみなかった。


「ここで静かに伏せてて。いい?」

「わっ、分かった。早く戻って来てくれよ」


 肩を負傷した好青年と、混乱する頭の中の煩悩ぼんのうを置いて、美和子はけだした。

 まずは敵の殲滅せんめつ。考えるのは余裕が出来てからでいい。

 皆、同士討ちを避けてか銃声は極端に少ない。

 襲撃が始まった直後、リオンが皆にしゃがむように指示をした。

 これは、かなりのファインプレーだ。


「その光、浜辺はまべさん、いるの!?」

「リオンさん、どこですか?」


 返事の代わりに、一秒ごとの空に向けた銃声。近い。


「今行きます。撃たないでくださいね!」


 駆け寄ると、うずくまる人影が見えた。

 そして、あと数歩という所でぬるりとした水溜りに足を踏み入れる。

 あえて足元は見ない。この時ばかりは霧に感謝した。


「リオンさん、怪我してるんですか?」

「……私じゃないわ」


 彼女の胸元からズボンにかけて、全て赤黒いもので染まっていた。

 鉄臭てつくさい。そう思った。

 そのかたわらには、誰かが床に横たわっている。


「重症、ですか?」


 周囲を警戒しながら問い掛ける。

 リオンはやや間を置いて「いいえ」と答えた。


「なら、タワーの中に――」

「その必要は無い」

「……え?」


 霧の中、横たわる人物に目を凝らす。そして後悔した。

 彼女の言動、状況でさっするべきだった。

 これだけの血痕けっこんがあるのに、普通なら重症じゃない訳が無い。


「ファンの1人だったみたい。私を守ろうとして、巻き込んだ」

「気持ちは分かりますけど、……今は後にしてください」

「分かってる」

「ごめんなさい」

「指示を出そうにも、みんな返事をしてくれないの。まさか他も皆、やられたの?」

「そんな事ないです。私だってずっと大声出してたのに、誰も返事してくれなくて…………まさか」


 ハッとする。この霧が遮断しゃだんするのは、視界だけではないのではないか。

 もしそうなら、不味まずい。不味すぎる。

 連絡手段は大きな声と、音の合図で準備を進めて来た。

 その前提が最初から間違っていたのなら、今すぐにでも修正する必要がある。

 だが、霧を晴らす方法が無い。

 美和子達が意思疎通できたのは恭平の起こした爆発で霧が晴れた、たった数秒間。


「私達だけじゃ、立て直せない」


 一瞬の躊躇ちゅうちょ。この状況を打開するには、彼の力が必要だ。


「リオンさん、私が守りますから鍬野君くわのくんにメールを」


 それが恭平の信頼を裏切り、失望させる事になっても伝えなければならない。

 助けて、と。

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