第144話 stand-alone ⑨

 展望台にはすすり泣く声が静かにひびいていた。

 下では絶えず爆発が起こっているが、その音も展望台までは届かない。

 死亡2名、負傷者9名。


「もうやだ、こんなの! 鍬野くわのって子が守ってくれるんじゃなかったの!?」


 泣き叫んでいるのは、拡声器かくせいきを武器とする女性、角井詠美かどい えいみだ。

 霧による音の減衰げんすいで、戦う手段さえ奪われてしまっただけでなく、彼女も目の前でチームの1人を殺された。

 皆が必死になだめようとするも、錯乱さくらんして聞く耳を持たない。


「1から10まで全部をカバーできる訳じゃない。私達もそれを承知で戦ってた。そうでしょう?」

「人が死んでるのに、随分と冷静なのね?」

「取り乱したら、もっと状況が悪くなる。こういう時こそ――」

「冷徹」


 リオンが苛立ちを隠そうともせず彼女を睨み返し、血だらけの体を見せつける様に両腕を広げる。


「この姿見て分からない? 私だって、目の前で1人死んだ。それも私のファンだって言ってた子。平気だと思う?」

「まぁまぁ、リオンさん落ち着いてください」


 大山おおやまが止めに入ろうと立ち上がったものの、リオンは視線を向けもせず彼の胸元を押し返す。

 彼はそれで自信を無くし、座り込んでしまった。


「ここで駄々こねて、泣いて、八つ当たりしたら何か変わるの?」

「何なのよ、リーダー面して。ちょっとサバゲーか何かしてて、動画出してるだけの素人のくせに」

「……もう1回言ってみなさいよ」


 無言で一歩踏み出そうとしたリオンの気迫に皆が気圧される中、美和子みわこだけは瞬時に彼女の腕を掴む。


「ダメです!」

「ッ、離して!」

「離しません」


 リオンの射殺さんばかりの視線と敵意が美和子に向けられる。それでも、手は離さない。


「話し合いましょう。ケガした人を、何とかしないと」

「相手が聞く耳持たないのに?」

「冷静に! 少し時間が必要です。鍬野君が、必死に敵を食い止めてくれてるから」

「治療薬も持って来てくれるのよね。意外と時間が――」

「そうも、行かなそうなんです」


 美和子は携帯をリオンの前に突き出す。

 表示されていたのは、今しがた来たばかりの新しいメッセージだった。


『コンビニも、薬局にも何もない。恐らくラッシュのせいだと思います。近くの病院を見てみます』


「どういう事? 簡単な治療すら、させて貰えないって事?」

「分かりません……けど、その可能性が高いです。私達は、途中で消毒液とか、使いましたから。本当は、すぐ見つかる筈なのに」

「どうなってるのよ、本当に」


 リオンの怒りが、後の不安へと取って代わる。

 怪我人の殆どは軽傷だが2名は傷が深く、出血も未だ完全には止まっていない。

 せめて消毒と止血用のタオルを押さえる包帯だけでもあれば違うのだが。


「こういう建物なんだから、備品として無いわけないでしょ? 救急セットは?」


 リオンは展望台カフェの店員である秀徳院大慈しゅうとくいん だいじに問いかけるが、彼は不可解という表情で首を横に振る。


「探した。でも、無くなってる。最初から存在しなかったみたいに」

「そんな……」


 沈黙が訪れるより早く、新たなメッセージの通知が入った。

 各々が視線を落とし、その内容にどよめき、顔を見合わせた。



 ◆◆◆



 恭平きょうへいは今しがた自分自身の送ったメールの内容を見返して舌打ちする。

 彼が居るのは、東京タワーから東方向に少し坂を下った先にある巨大な大学病院の前だった。

 恐らく、この中には応急処置に必要な道具や薬品がある。

 そう確信したのは先刻、この建物に入ろうとした時だ。

 恭平が向かったのは複数ある建物の内、一番新しいであろう大きな新外来棟しんがいらいとうの正面入り口だった。

 一階の大きな自動ドアの向こうには待合席や受付、奥の方にはカフェが見て取れる。

 天井が非常に高い作りで、整理券を配布する機械や列を形成する為のポールが各所に整然と置かれており、平時は非常に多くの問診者もんしんしゃで賑わうであろう事が容易に見て取れた。

 そんな建物内部の状況が分かるのは、ひとえに建物の中に霧が発生していないからだ。

 残念ながら、人の姿はなく電気も消えているのでおどろおどろしい空気を感じるが、この良好な視界にホッとする部分は確かにあった。

 霧が無いという事は、安置あんちに違いない。

 恭平はそう思い、武器を携帯に戻して自動ドアにポイントを支払おうと腕を伸ばした所で――、


 ウィィィィン。


 ポイントの支払い無しで、自動ドアが開いた。

 反射的に恭平は後ろに飛び退く。思考が、全身が、危険だと赤信号を灯していた。

 不可解な点は3つ。

 まず、ポイント無しで扉が開いた事。つまり、ここは安置ではないという事を示している。

 そして安置ではないというのに霧が出ていない。

 秋嵐しゅうらんの中で霧が出ない場所など、安置以外にある筈がないのだ。

 そんな場所が仮にあるとするのなら、――それは秋嵐の規定から外れる、しくは相反あいはんするルールを持った空間という事だ。


「すぐ回復するわけでもないのに、ただの応急手当でこんな厄介なことまでやらせるのかよ」


 病院の中は、外とは違うルールが適用されているに違いない。

 自動ドアが瞬時に開いたのが何よりの証拠だ。

 これまで、コンビニなどの施設に入る為には、ポイントを支払ってから恭平の起死回生きしかいせいの時間に合わせて、のろのろと開閉する扉を待たなければならなかった。

 実際は多少開いた時点で無理やりこじ開けていたのだが……。

 それはさておき、眼前の自動扉は起死回生を無視して開いた。

 そう考えるのが妥当だろう。

 恭平は今更、慌てて携帯の時計を見る。


「時間は――よかった、全然進んでない」


 胸をで下ろす。

 起死回生が強制的に解除された訳ではないようだ。


「流石に、これ以上のリスクは犯せないな」


 大病院という如何いかにもの立地に、得体の知れない独自仕様。

 足を踏み入れた瞬間に起死回生が解除される可能性がある。

 起死回生が解除されるような事があれば攻略は絶望的だ。

 他の入口も探ってみたが、入れるのは新外来棟の正面入り口からだけのようだ。

 恭平は武器を携帯に戻して、メッセージ入力画面を開く。


『恐らく、薬は東京タワーを下った先にある大学病院にある。ただし、病院の中は霧とは別の仕掛けがあるみたいだ。中に霧が発生していないのに安置でもない。起死回生の中でも扉が普通に開いた。解除される可能性があるので、俺は中に入れない。薬を手に入れるなら――』


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