第3話「わたしの5月19日」

 明日というのも5月20日、地球のどこかに隕石が落ちて世界が壊滅してしまう。はじめその事実を知ったとき、わたしは頭が真っ白になってしまった。

 いくらウソでも悪質すぎる!と、わたしはなかなか現実を受け入れられずにいた。けれどもこれは紛れもない事実なのだと、ウソではないのだと、徐々にわかってきた。混乱の限りを尽くしたテレビ、ネット、その他諸々のメディア報道も、酸素を失った火が衰えていくように静まりかえってしまった。それは現実に対する「降伏」の姿勢を示していた。不幸への降伏……ちっとも面白くないよね。

 間もなく世界がなくなってしまう実感が強まるとともに、こみあげる絶望が抑えきれなかった。この気持ちのやり場はどこなの?世界?隕石?いずれにしても滑稽だ。そんなわけで、本当にこんなことはしたくなかったのだけど、わたしも非常で非情な現実に降伏することにした。わたしは自分の無力さをひたすら嘆いた。

 それからというもの、今日に至るまで、友人や家族に何かしてあげられることはないかとわたしは考えていた。大学生という身分では、できることが限られる。しかし、仮に何かを諦めてしまったとしても、可能な範囲で最善のはたらきかけをしようと思うのは当然だ。そうしてわたしの思いついた「できること」はふたつある。

 まず、思いつく限りの知人にLINEでメッセージを送った。直接会うことのできる人には、もちろん直接挨拶した。そんなたわいもない交流も、明日になったらすべてなくなってしまうのかもしれない。でも、だからといって「何をしても無駄だ」とニヒリズムに浸っていたらできることもできなくなる。だからわたしは、「明日終末すること」を前提になるべく動かないようにしていた。少なくともそう取り繕っていたというだけで、実際は心のどこかでそう思ってしまっているのだろうけど。せいぜい学校の卒業式を迎えるくらいの気持ちで、わたしはできる限り多くの知人と連絡を取った。

 もうひとつ、私は最後の夜の街中へと繰り出し、またとない雰囲気を味わうことにした。そうすることで、私は世界がひとつであることを実感したかったのだ。今の世の中は一貫したドラマが欠けているように感じる。あまねく政治への無関心も、明日は今日より良い世の中になるという希望が失われていることに原因がある。でも、いざ世界壊滅というニュースを前にすると、誰もがひとつになった。みんなが等しく悲嘆にくれた。世界が本当はバラバラではないということを確認できた点では、世界壊滅も良いキッカケ……なんてさすがに不謹慎だから言わないけど。

 しばらく手ぶらで夜の街を歩き回ってから帰宅し、両親と夜を明かす予定だ。大学生ともなるとなかなか両親とゆっくり話す機会がない。最後くらい一緒に過ごそう……と思うのは悪いことではないだろう。



午後六時。だんだんと闇に溶けていく街はあまりに静かだった。人通りがないわけではない。えも言われぬ感慨から外に繰り出したと思しき人。ぎこちない笑みを互いに浮かべる男女のカップル。スマホを掲げてあたりをせわしなく見渡す人。魂の抜けたような表情でとぼとぼと歩く人。誰もが自分のあらゆる行為にもはや意味がないと知っているだろう。同時に、そんなニヒリズムが終末を迎えるにあたってあまりに虚しいものだという認識も、おそらく共通している。彼らはみな静寂を保っていた。

 わたしは誰かとすれ違うたびになにか声をかけた。「こんにちは!」とか、「大変ですね」とか、そのくらいの簡単な一言二言。端から見れば不審もいいところだけど、わたしも含めてみんな感覚が麻痺しているのか、気味悪がられることはほとんどなかった。

 ある老いた男性が路上に座りこんでいた。この期に及んで邪魔だ迷惑だとそしるような人間はいない。わたしは老いた男性に「どうしてそこに座っているのですか」と問うた。何回かシカトされた。わたしはそのつど問い直した。5回目の問いに対して男性は俯いていた顔をあげた。そして「あなたは」とだけ言った。

 まずい、不審がられている。それはそれで当たり前だけど。わたしは「いえ、大した者ではありません。ただなんとなく、誰かと話したい気分でして……」と口早に答えた。しかしそれは老いた男性の望む回答ではなかったようで、またしてもシカトされた。あたりが静かなのもあって、変に気まずい。

「あなたは」と、老いた男性は沈黙を破った。「元気な人ですね」

 今度はわたしが望まぬ回答をぶつけられる番だった。わたしは今の自分のことを憔悴しきっていると捉えている。今日はとくに、気張っていないとすぐ涙がこぼれてしまう。頬をつたった涙の跡が、赤ん坊のように残っているかもしれない。

 わたしは斜め上を見つつ、少しでも気の利いた返答を練っていた。しかしふと目線を落とすと、座り込んでいる老いた男性はそっぽを向いていた。丸まった彼の背中は漬物石のようで、わたしとの会話を明らかに拒んでいた。

「元気な人ですね」という彼の言葉は、きっとわたしの場違いな行動を皮肉ったものだとわかった。わたしは何となく目が覚めた気がした。ばつが悪くなって、「ごめんなさい……」と小さく呟きわたしはその場を離れた。


 * * *


 10分ほどアテもなく歩くと、アーチ橋にさしかかった。濁った川の水面は、西日が射しこむことでようやく彩りを保っている。わたしは橋の真ん中あたりまで進み、まぶしい西日を右手で避けながら水平線を眺めた。たぶんさっきの老いた男性も、このように水平線を無言で見渡していたんだと思う。

 このあたりからもう少し歩くと川辺に着く。川と緑と、わずかばかりの人。時がゆっくりと流れるようなあの感覚は、たしか鴨川を訪れたときに味わったんだっけ?さすがにあれほどの情緒や貫禄はないけど、このアーチ橋から見える光景も開けていて、とても爽快だった。

 あたりにヒトケがなくなった。でも、世界はまだ壊滅なんてしていない。5月の日の入りは夕食時とともに訪れる。人はみな帰るべきところに帰っているのだろう。この水平線は、たくさんの「帰るべきところ」をもっている。世界はかくも伸びやかに開けていて、顔も名前も知らない誰かによって動く。その動きはドラマに欠けているかもしれないけど、数え切れない誰かの意志は失われていないのだ。

 1人が1つの意志をもつ。100人いれば100の意志。地球には何十億もの人がいて……気が遠くなる。でも、それが世界なんだよね。

「うん……帰ろう」

 わたしは帰ろうと思った。予定通り、家族と顔を合わせて最後の晩餐へと洒落こむのだ。少しでも時間が惜しい。積もる話もある。こんなところで妙な感慨にふけっている場合ではなくて……

「……あれ?」

 じゃあ、わたし、どうしてこんなところへ来たんだっけ?家族と過ごす時間を減らしてまで、1人で外をほっつき歩いている理由はなに?

 ……そう、それはたしか、世界がひとつであることを再認するため。壊滅しそうなこの世界は、今も昔もひとつであると……いや、当たり前じゃん、そんなの。

 当たり前じゃん、そんなの。

 世界はひとつ。ひとつは世界。わたしが確認するまでもない自明なことだ。なのにアーチ橋に赴いたのは、紛れもないわたしの意志であって。

 ほんとう?

 ほんとうに、わたしの意志なの?

 世界には何十億もの人間がいる。そして、人間の数だけ意志がある。わたしの意志はそのうちのたったひとつに過ぎない。

 そんな「何十億分のいち」である意志が、他の誰でもないわたしのものであると、ほんとうに言い切れるのだとしたら……それはきっと救いようのない傲慢。アーチ橋に赴いたのは、わたしの意志ではないのかもしれないのだ!

「……なに考えてるんだろう、わたし」

 妙な感慨をこじらせてしまったのかもしれない。壊れようとしているのは世界なのかわたしなのかとさえ思う。……いや、それこそ自明だけどね。もちろん、壊滅しようとしているのは……


「……!?」


 わたしの隣に人がいた。ちょうどアーチ橋においてわたしと正対するように立ち尽くす人がいた。まるで、ずっと前からそこにいたかのような自然さで。

「……あなたは」

 と、その人は言った。知らない人から急に声をかけられるほど身近な恐怖もない。わたしは老いた老人のことを思い出すと、ますます申し訳ない気持ちになった。

 その人はセリフの続きを言わなかった。どころか、自分から話しかけておいてわたしと目を合わせようともしない。じれったくなって、わたしは一気にまくしたてた。

「何か用ですか?用がないなら、ちょっと申し訳ないんですけど、外してもらえますか?わたし、こうしてひとりで感慨に浸っていまして。貴重な時間を割いて……」

「……馬鹿じゃねえの、お前!」

 その人は、はじめてわたしのことを目で捉えて、そしてゲラゲラと笑った。

 5月19日のことだった。

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