幸せな寝顔
幸せな眠りに就いたような、そんな温かな記憶があった。一番好きな場所で、大好きな人の腕に優しく抱きしめられながら、心地良いまどろみを経て。
そして今は逆に、なんだか少し寂しいような気がして目が覚めた。
まぶたをあげて見えた光景は薄暗く、ぼんやりとしていた。そっと自分の顔に触れ、眼鏡をしていないのだから当たり前だと理解する。そして体を起こして目を凝らし、ここが和室である事と自分が浴衣姿である事、久しぶりに布団の上で横になっていた事などを認識した。
枕元にはケーブルに繋がれた美園のスマホも置いてある。テレビを見ている時はテーブルの上に置いていたと記憶しているので、智貴がしてくれたのだと分かる。
その智貴はすぐ隣の布団の中で綺麗な姿勢で眠っている。思えば一緒に寝るようになってから、彼は美園を抱きしめたり腕枕をしてくれたりとしていて、こんな風な寝姿を見るのは初めてだ。
時刻を確認してみるとまだ日が変わる前。せっかく旅行に来たのに、だいぶ早くに寝入ってしまった事に申し訳なさと後悔が募りはするが、見た事の無い彼の姿に喜びを覚えてしまう自分がいる。
「智貴さん」
小さな声で愛しい人の名前を口にし、そっと智貴の髪を撫でる。彼がいつもしてくれるような優しい手つきで、起こしてしまわないように。
自分のものよりも少しだけ硬い智貴の髪の触り心地が好きだ。彼は「絶対美園の髪の方がいいと思うけど」と言っていたが、美園からしてみればこちらが事実なのだ。もちろん心理的な要因が大きい事は疑いようもないのだが。
すぅすぅと規則正しい寝息を立てる智貴がどこか幸せそうに見えるのは、美園自身への贔屓目だろうか。いや、彼が起きていれば「正解だよ」と優しく笑ってくれるに違いない。そんな想像をしてみると、自然と笑みが零れる。
「智貴さん」
もう一度静かに名前を呼び、美園はそっと智貴の布団にもぐり込んだ。彼の体温で温められた場所は、それ以上の温かさを感じる。
きっと智貴は「起こしてほしかったなあ」と言うだろう。朝起きて大学に行く訳でもないし、朝食の支度だって無いのだし、時間的には十分余裕がある。美園だって初めて旅行に来た夜を二人でもう少し、という思いはある。もちろん、自分のせいでこうなっている事を棚に上げれば、であるが。
そもそも美園自身がそんな事を求めてはいないのだが、智貴は美園の望んだ事を何でも叶えてくれる恋人ではない。
一緒に温泉に入った時に、美園が痕をつけてほしいと望んだ事を智貴は拒否した。今だって、自分を抱きしめながら布団に入ってほしかったし、きっと彼だってそれを分かっていたはずだ。でも、智貴はそうしなかった。
それなのに、物足りなさは感じる事が皆無とは言わないが、それでも智貴が美園の事を想ってその選択をしてくれた事が分かるから、望んだ事をしてもらうよりもきっとずっと嬉しくて、幸せで仕方がない。
時にはわがままを言ってしまう事もあるとは思う。それでも、智貴が美園にしてくれるように、美園だって智貴の事を一番に考えた選択をしたいのだ。だから――
「おやすみなさい。智貴さん」
そう囁いてもう一度髪を撫で、このくらいは許されるだろうと彼の頬にそっと口付けた。
大好きな恋人の顔は、やはり幸せそうに見えた。
※お知らせ※
本作が第6回カクヨムWeb小説コンテスト・ラブコメ部門にて特別賞を受賞致しました。
詳しくは(別に詳しく書いていませんが)近況ノートをご覧ください。
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