第100話 覚悟の問題

「意外とあっさりでしたね」

「出し直しだとそんなもんだよ」


 10月最後の全体会と部会が終わり、22時過ぎの夜道を美園と手を繋ぎ歩く。去年の今頃は帰り道を寒く感じたはずだとふと思う。


「そうなんですか?」


 前回の全体会で紛糾――A3用紙3枚分のレジュメについての話し合いは2時間以上を費やしても終わらなかった――したスタンプラリーについてだが、出し直しの今日は最初の読み上げを含めても30分程度で終わった。美園が意外だと言うのも当然だと思う。


「うん。決まった答えの出しようのない問題だから。もちろん内容自体も話し合いを経て良くなってたけど」


 今回の発表では、スタンプラリー中のミニゲームに関して、一部難易度の引き上げとそれに対してのフォロー案が加えられていた。


「結局のところ、発表者側の気持ちの問題と言うか覚悟の問題と言うか」


 まとめようと思ったが上手く言葉に出来ない。美園はそんな僕の意を汲み取ろうと、真剣にこちらを見つめている。


「何て言えばいいかな。たとえばこの間はイベントの難易度が一つの争点だっただろ?」

「はい。そうでしたね」

「あれについてだけど、質問した側も別に自分の考えた難易度にしろって訳じゃなくてさ、この難易度で本当にいいのか?お客さんは楽しめるのか? っていう意図だったと思うんだよ」

「そう、ですね。確かにそう思います」


 美園は少し考えるように視線を動かし、そう答えた。


「でもそれは結局明確な答えが無いから、自分達はきっちり考えて話し合ってこの結論を出しました、って担当が言えないんじゃ質問した側も納得できない。最初に出す時もしっかり話し合ってたとは思うけど、2回目の今日はもらった意見を元に本当にきっちりと話し合ったんだと思うよ」

「わかる気がします」


 一瞬視線を落とした美園が「うん」と頷き、噛みしめるようにそう言った。


「一生懸命考えて出した答えには、やっぱり自信が持てますからね。それは聞く人にも伝わるんだと思います」

「うん」


 ニコリと笑った美園がまとめてくれた結論が、とても腑に落ちた。

 そしてその言葉と同時に、彼女の家に着いてしまった。


「ありがとうございました」


 いつものように、僕に礼を言って綺麗な姿勢で腰を折った美園が、目を瞑って僕を待っている。こちらもいつものように肩に手を置き、唇を一瞬だけ触れ合わせると、やはり彼女もいつものように嬉しそうに笑う。


「おやすみなさい。智貴さん。明日楽しみにしていますね」

「うん。おやすみ、美園」


 手を振りながらオートロックの玄関の中に消えて行く美園を見送り、僕は帰途に就く。

 明日は実務の後に美園が泊まりに来る。その時に話したい事もある。自分なりに一生懸命に考えよう。彼女が言うように、その考えに自信が持ちたいと思った。



 正直な話、元々学部卒での就職に心は傾いていた。

 結局どう言い繕っても僕が就職する理由は金に終始する。無ければ生きていけないのだから当然の話だ。


 そして本来はその上にやり甲斐や夢といった物が乗っかって来るのだと思うが、僕にはそれが無い。何をどう考えてもやりたい仕事が思いつかなかった。

 それならば学部卒と院卒の条件の違いで比べてみればいいと、就職支援課をこっそりと訪ねたところ――


「一般的な学部卒のモデルケースと院卒の技術職を比べたら、生涯年収は後者の方が高くなりがちだけど、結局は入る企業と君の頑張り次第だね」


 と、言われてみれば極々当たり前の答えが返って来た。

 それなら学部卒でいいじゃないか、親に院の分の学費を出してもらわなくても済むし。と言うのが、それを聞いての僕の最初の考えだった。


 そして昨日、美園と別れてから考え始めたのは、彼女との将来を考えた時にどちらがいいかだ。

 付き合い始めてまだたった2ヶ月、しかも就職もしていない学生の身でこんな事を考えるのは大分重いという自覚はあるが、僕は美園と結婚したいと思っている。


 それならば当然僕が社会に出るのは早い方がいいのは確かだし、院卒技術系よりも学部卒の方が勤務地の融通は利かせやすい。二人とも就職をしたがずっと遠距離です、では堪らないし、結婚の際にどちらかが職を変えねばならない事もあり得るのだから、勤務地の事は重要な条件だと思える。


 そんな調子で、一生懸命考えるつもりだったが、割とあっさりと結論は出た。

 これでいいのだろうかと、むしろその結論に対する反論を一生懸命に考えたが、自分の一番の願いが根底にあるのだから、崩しようがなかった。



「僕は学部卒で就職する。研究室もそのつもりで選ぶ」


 美園が作ってくれた夕食を食べた後、二人で片づけを済ませ、テーブルの向かいに座る彼女に「聞いてほしい」と切り出した。


「だからどうだって訳じゃないんだけど、前に相談したからご報告と言うか……」


 結婚云々は言えず尻すぼみになってしまう僕に、美園は穏やかな笑みを浮かべながら「はい」と頷いてくれた。


「智貴さんが決めた事ですから、私からは何も言う事はありません」

「そうか、ありがとう」


 優しい声色とその表情を見れば、発言が全面的な肯定である事は明らかだった。


「あ、でも一つだけ」


 ほっと息を吐いて視線を下げた僕だったが、その声に一瞬で首を戻した。美園はそんな僕の様子がおかしかったのか、くすりと笑った。


「ありがとうございます」

「ん?」

「いえ、ありがとうございますと言うのも変ですね」


 嬉しそうに見える様子で、美園は何やら言葉を選んでいる。


「やっぱりありがとうございます、ですね。こんなに早く教えてもらえて嬉しいです」

「そんなに喜んでもらえる事かな?」

「はい。これで私の進路も決まりましたから」

「え?」


 満面の笑みを浮かべる美園があっさりとそう言い放った。


「智貴さんが先に就職するという事は、私が追いかけやすくなりましたからね」

「僕の勤務地に合わせて就職するって事?」


 恐る恐る聞いてみると、笑顔の美園は「はい」と事も無げに頷いた。


「その嬉しいんだけど、いいの? 就職先狭まるでしょ」


 美園との将来だけを考えて結論を出した僕が言えた義理ではないし、正直嬉しいところもかなりあるが、それでも彼女の将来を狭めてしまう事は嫌だった。


「全く構いませんよ。就職先は狭まるかもしれませんが、お傍にいる事が一番の望みですから」


 しかし美園はまるで当然の事のように、穏やかな笑みを湛えた表情で、僕が言えなかった事と同じ事を言ってくれる。


「顔が赤いですよ?」

「自覚してる」


 視線を逸らした僕の顔を覗き込んでふふっと笑う彼女に、何も言えなかった。



 顔の熱が引かないので、いつものように美園を僕の前に座らせている。実務の後で軽くシャワーを浴びて来たと言う彼女の髪からは、まだシャンプーの香りが強い。


「大学に入って色んな人達とお話をしました」

「うん」

「将来の目標を明確に設定している人、いない人。いない人の方が多かったのは驚きでしたね」

「教員養成課程とかは別だろうけど、そうでなければ希望業界より先を決めてる人は少ないだろうね。特に1年生じゃ」


 苦笑した美園は去年の自分を思い返しているのだろうか。そっと髪を撫でると、「大丈夫ですよ」と言った彼女が、胸元に残された僕の左手に右手の指を絡めた。


「色んな人がいました。将来の夢の為に来た人、したい勉強の為に来た人、人脈を作りに、なんて人もいましたね」

「色んな奴がいるよな。僕の周りでもボランティア活動に力を入れすぎて大学にあんまり来なくなった奴がいるよ」

「それは、ちょっと困っちゃいますね」


 学科の友人の話だが、今は海外にまで行っているらしい。前期はそれで単位を落としているはずなので、美園が苦笑する通り困った事にはなっている。本人はそれも納得済みで活動をしていると言うが。


「でも、そうなんです。大切な事はみんな違っていいと思うんです」

「うん」

「逆もそうですけど、誰かにとって大切な事が私にとってもそうだとは限りません。やり甲斐があって人から尊敬される仕事でも、忙しくて智貴さんと一緒にいられないのだったら私は嫌です」

「そうだな。僕もそれは絶対にごめんだ」

「同じですね」


 髪を撫でていた右手を美園の首元に回し、抱きしめた。彼女が笑ったように、同じ考えに至った事が嬉しくて仕方ない。


「美園」

「はい」

「これからもよろしく」

「もちろんです。こちらこそよろしくお願いしますね」


 本当に言いたかった事には、もう一歩踏み出せなかった。

 それでも今はこれでいい。必ずもっと、自信を持てるようになってその言葉を伝えよう。

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