第101話 一瞬の明察

 11月に入ると実行委員以外からも文化祭の雰囲気を感じる事が増える。サークルとしてのステージ出演や模擬店参加、そんな事を話す声が学科の授業前や学食などで聞こえてくる。

 今週末の実務で小型の看板――邪魔になるので大型は前日の設置――を各所に配置する事になっているので、来週は見た目にもそんな雰囲気を強く感じる事になるだろう。


「近付いて来ましたね」

「うん。あと2週間と少し、楽しみだよ」

「はい。頑張りましょうね」


 色の変わったイチョウの葉を眺めながら、美園と一緒に正門へと歩く。彼女の方も、文化祭を楽しみする人達の声に高揚感を覚えるのか、いつもよりも足取りが軽い。


「それじゃあ、智貴さんのお部屋に荷物を置いたらそのままお買い物でいいですか?」

「それでいいよ」


 夕飯をご馳走になるのは美園の部屋だが、彼女の部屋に荷物を置きに行くのは少し遠回りだ。教科書の入った彼女の鞄も、僕が持ってしまえば問題の無い話になる。


「今日は何が食べたいですか?」

「お任せします」

「はい。任せてください」


 このやり取りも最早定番だ。



 食後の片付けも済ませ、定位置に座らせた美園の髪を後ろから撫でていると、テーブルに置いてある僕のスマホが震えた。


「誰からか見える?」


 画面が明るくなったので電話である事はわかったが、角度的に表示された番号が見えない。僕に電話がかかって来る大概のケースは「今から行っていい?」「今から来られる?」なのだが、美園と付き合いだしてからはそれも極端に減っている。


「牧村、智代ともよさん、ですか?」

「トモヨであってるよ。母さんだ」

「やっぱり。はい、どうぞ」


 そう言ってスマホを僕に渡してから脚の間からどき、正座で髪を整える美園がおかしくて、そんな彼女の髪をクシャリと撫でた。「もうっ」と拗ねる美園に「ごめんごめん」と言って通話ボタンを押すと、それ以上何も言えなくなった彼女が頬を膨らませてこちらを見ていた。即電話を切って美園を構いたい。


「はいもしもし」

『智貴?』

「そうだよ」


 息子本人の電話にかけて第一声がそれか、息子の声も忘れたか、など言いたい事はあったが、よくよく考えれば電話越しとは言え母さんと話すのは2ヶ月ぶり以上ではないだろうか。


「急にだけど何かあった?」

『貴明さんから聞いたんだけど、智貴彼女出来たんだって? しかもその子のご実家にご挨拶まで行ったって』

「ああ……うん」


 僕は自分の誕生日辺りから、2週間に1回程度両親にメッセージではあるが連絡を入れている。母さんからすると、今までそんな事をしなかった息子の急な変化は、嬉しいと言うよりも不思議だったそうだ。

 息子がスピリチュアル的な何かにハマったと勘繰った母さんが父さんに相談したところ、何度目かの相談で「恋人が出来たから心境の変化だろう」と渋々父さんが答えたそうだ。


『心配したんだからね。智貴が急にあんな事しだすから』

「少しは息子を信じろよ」


 電話の向こうで大きなため息が聞こえた。『自分を省みろ』と言外に言われた事は明らかだが、確かに1年半で帰省は2回、連絡ほぼ無しでは言われても仕方ないのかもしれない。

 ふと美園の方を見てみると、僕が割とげんなりとした調子だったせいか少し不安そうな目を向けていた。大丈夫だよと頷いてみせ、そのまま手を伸ばして髪に触れるとくすぐったそうに笑う。


『それで、元気でやってるの?』

「ああ。問題ないよ」

『文化祭がそろそろでしょ? 体調に気を付けなさいよ』

「大丈夫だって」


 やはり何と言うか、親からストレートに心配をされると、素直にありがとうとは言いづらい。自分がまだまだ子どもなのだと自覚させられるようで気恥ずかしい。


『ところで智貴』

「ん?」

『今彼女と一緒でしょ?』

「……何でそう思うんだよ」


 図星ですと言ったようなものだった。しかし美園は電話が来てから一言も発していない。どうして母さんが察したのかまるでわからない。


『さっき急に声が優しくなったから。お友達じゃなくて彼女でしょ?』

「そんな事でわかるのか……」

『智貴のあんな声は初めて聞いたかもってくらいの声だったけど』


 正直言えば多少の自覚はある。美園と一緒にいると、彼女の笑みと同じように穏やかな気持ちになれる。ただそれでも、電話越しの母さんに一瞬で見抜かれるとは思っていなかったが。


『ああ、大丈夫。彼女の方も心の準備があるだろうから電話代わってなんて言わないから』

「助かるよ」

『だけどちゃんと連れて来なさいよ』

「春休みにそっちに行く約束してるから」

『大分先じゃない。それまでにフラれないようにね』

「そこは問題無い。ように頑張る」


 そもそも春休みよりずっと先の事だって考えているのだから。しかし電話の向こうでは母さんの笑う声が聞こえる。


『将来はお見合いの段取り付けてあげなきゃねと思ってたんだけど、あの智貴がねえ』

「いらないから」

『はいはい』


 言われても仕方の無い事ではあるが、母親から『お前彼女出来ないと思ってた』と言われる息子の気持ちよ。


『それじゃ、大丈夫そうだし邪魔しても悪いからそろそろ――』

「ちょっと待って」

『うん?』

「その、本当は次に会った時に直接言おうと思ってたけど」


 つい先日決めた進路の事。僕の両親は僕がどんな選択をしても尊重してくれる、美園はそう言ってくれた。


「僕は大学院には行かずに就職する」


 隣に座る優しい微笑みを湛えた美園の手を握る。自信を持って伝えられる。


『そう。いいんじゃない』

「え? それだけ?」


 しかし、決意を持って伝えたというのに母さんはあっさりとしたもので、拍子抜けする事この上ない。


『だってちゃんと考えたんでしょ? 貴明さんも同じ事を言うと思う。今までの智貴ならそういうの結論を先延ばしにしてたでしょ』

「そうかも……」


 先延ばしどころか先送りで院に進学したと思う。それさえも読まれている気がして口には出せないが。


『それにしても』


 電話の向こうからは母さんの愉快そうな声。


『いい子が彼女になってくれたんだね』

「ああ。自慢の彼女だよ」


 そう言いきって、驚いたような声を出した母さんに「それじゃあ」と告げて一方的に電話を切った。

 美園を褒められて反射的に惚気るような事を言ってしまったが、我に返った。

 当の美園は赤い顔と潤んだ可愛い目で僕を睨んでいる。握った手をつねられて少し痛い。


「智貴さん」

「はい」

「どうしてあんな事を言っちゃうんですか!?」

「つい……」

「つい、じゃありません」


 ズイっと顔を寄せる美園には悪いがそうとしか言いようがないのも事実だ。

 それにしても可愛い顔が近い。キスしたら流石に怒りそうなので自重するが、目を開けたままな分美園の顔が良く見える。元々の白くきめ細かい肌に、うっすらとした化粧がよく映える。睫毛など鉛筆程度なら乗りそうなくらい長い。唇は視線をやれば自重が出来なくなりそうなのでなるべく見ない。


「春休みにお会いする時にどんな顔をして行けばいいんですか?」

「そのままの顔でいいと思うよ。凄く可愛いし」

「そう言う意味じゃありません。……でも、ありがとうございます」


 ああ、もう無理だ。

 拗ねたような表情から一転、はにかみながら礼を言う美園の背に腕を回し、そのまま抱きしめた。


「ありがとう」

「もう」


 呆れたようでいながら優しい口調の美園が、そっと僕の頭を撫でてくれる。


「良かったですね。お母様にしっかりとお伝え出来て」

「うん。美園のおかげだ」

「智貴さんが一生懸命考えたからですよ」

「美園がいなかったらきっと考えなかった。だから、ありがとう」

「はい」


 僕の髪に触れる彼女の優しい手が気持ちいい。耳に届く穏やかな声が心地良い。誰が何と言おうと、この子は僕の自慢の彼女だ。誰に対してだって胸を張ってそう言える。

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