第92話 後輩達の成長は先輩冥利に尽きる

 今日の全体会では、出展企画から3担当、模擬店、第2ステージ、第1ステージの順に発表を行う。その為、僕達は会場の前の方に座って自分達の出番を待っている。

 因みに、会いたいと思ってさっさと家を出てきたが、結局入れ違いになってしまい全体会前にほとんど会えなかった美園は、今僕の前で雄一と打ち合わせをしている。ほとんど話せなかったが、一生懸命に想定問答を確認する彼女の姿に、自分も頑張ろうという全方向に向けたやる気が湧いてくる。


「じゃあ次は第2ステージ2ステ

「はい」


 ジンの呼びかけに緊張気味の雄一が返事を返し、担当全員で発表者の位置である教卓へと向かう。レジュメを読む雄一が教卓の中央に、その左側に美園、香と僕は後ろから二人を見守り、必要があればフォローを入れる事になっている。


「では、えー、第2ステージ担当の当日までの動きを説明します」


 スラスラとは言えないが、最初は緊張でいっぱいいっぱいに見えた雄一も、今ではしっかりとレジュメの内容を説明できている。香が「結構練習したみたいだよ」と小声で教えてくれた。試験前の事や理系なのに高校物理が怪しかった事もあり、コミュ力以外の部分は心配していたのだが、余計なお世話だったようだ。


「――以上です」


 ふーっと息を吐いた雄一に、美園が「お疲れ様」と笑いかけると、「さんきゅ」と返した雄一が恐る恐るといった様子で僕を振り返った。


「僕をなんだと思ってるんだ」

「いや……だって」


 そんな様子に美園は首を傾げ、香は苦笑、前列の方からは少しの失笑が漏れた。流石に今ので嫉妬するほど小さくはない。と思う。


「はい、ありがとうございます。では質疑応答に移ります」


 こちらも失笑気味のジンが、全体へと「質問ありますか?」と問いかける。


「さっきの模擬店は出店場所は完全抽選だって事だったんですけど、ステージの発表時間はどうなんですか?」


 手を挙げて指名されたのは広報の1年生の女子。出展企画の2年生ならば絶対に知っている答えだが、他部の1年生では知らないのは当然。他所の担当では常識である事でもどんどん質問をして、情報共有を図ったり稀にある良くない慣例などを壊していく事は、全体会の意義の一つだ。そして発表者の1年生にとっては丁度いいパンチになる。よく質問してくれたと思う。


「はい。ステージの発表時間につきましては、申し込み時に第3希望まで記載して頂きまして、それを元に決定します。希望時間が重なった場合ですが、申し込み団体の所属人員や過去の集客実績を鑑みて、こちらの担当で決定します」

「それだと小さなところや新しいところが不利じゃないですか? 模擬店みたいにはしないんでしょうか?」


 雄一に頷き、先程の質問に詰まるところなく応じた美園だったが、質問者の彼女は更に質問を被せて来た。少し返答が難しいかと思って香と顔を見合わせたが、振り返った美園は微笑みながらしっかりと頷いた。


「まず模擬店やフリーマーケットの出店が抽選な事に関してですが、こちらの一番大きな理由は、場所による売り上げへの影響、という金銭が関わる事です。ステージの観覧は完全無料ですので、金銭にまつわる問題はありません」


 美園が教科書通りの答えを返す。そう、理屈は正しい。


「大きかったり実績があったりする出演団体は、それを楽しみにしているお客さんも多いです。その他にもですが、キャンセルなどでスケジュールに穴が空いた場合にもご協力頂く事もありますので、来場者の多い時間帯はどうしてもそういったところが優先されます」


 完全に美園が正しいが、質問者の彼女はやはりどこか不満そうに見える。理屈が正しい事は分かっても、感情面はそうでない。大きなところも小さなところも、お客さんの多い時間にステージに上がりたいという思いは同じだから。


「もちろんこれは、小さな団体を来場者の少ない時間に追いやる、という意味ではありません。たとえばですが、毎年参加して頂いている一番大きな音楽サークルの軽音楽部は、所属人数も多く顔も広い為、平日の初日やメインから外れた時間でも学生のお客さんが多く望めます」


 質問者が納得していない事を美園もわかったのだろう、優しく微笑んでゆっくりと言葉を続けていく。広報の1年生もパッと顔を上げて美園をじっと見ている。


「大きなサークルは複数のバンドで参加という事も多いので、そういった時間帯を担当して頂く事が多くなります。もちろん一番メインの時間帯もですが。ですので、実績の無い参加団体であっても、きちんと話し合いを持って、多くの人に見て頂けるようにスケジュールを設定します。出演者の方も、観覧者の方も、出来る限り多くの人に楽しんで頂けるようにするのが、私達の仕事だと思っています」

「良くわかりました。ありがとうございます」


 完全とは言い難いが、納得の表情を浮かべて礼を言って会釈をした質問者に、美園は綺麗な一礼を返した。



「今日はお疲れ様。凄かったよ」


 部屋に着き、いつものように前に座った美園の髪を撫でる。


「そんな事ありませんよ。智貴さんと香さんに教えてもらった事を言っただけですから」

「そんな事あるよ。それを自分の意見として言えたのは美園の力だし、伝え方だって良かった。みんな褒めてたろ?」


 成さんの部屋に泊まる為一緒にここまで来た志保も、「先に2ステがやってくれてよかった」と心底ホッとしていた。


「ありがとうございます。でもお二人が後ろにいてくれたので、間違った事を言っても絶対大丈夫だって思えました。そうじゃなかったらダメだったと思います」


 そう言って頭を前から僕の肩に預けた美園を、後ろから抱きしめた。少し甘い、いい匂いがする。


「でも、智貴さんが褒めてくれるのなら、このご褒美は素直に貰っておきます」


 僕の手に自分の手を重ね、少しだけ力を入れた美園に、ご褒美を貰ったのは僕の方だとそう思った。



「そろそろ送ってくよ」


 本当は教科書を取りに戻ったらすぐに部屋を出るつもりだった。玄関で待っているように言った美園が、何故かそのまま上がって来たので流されてこうなってしまったが、時刻は既に22時を回った。


「泊っていくので平気です。ダメですか?」

「いやダメじゃないけど、支度だって何もしてないだろ?」


 立ち上がったところに美園からの上目遣い。嬉しくはあるが、今から美園の部屋まで戻って支度をして帰ってきたら、寝るのは恐らく1時を回る。明日も9時から実務があるので、しっかり休ませるべきだと思う。


「昨日の内に済ませてありますからその点は大丈夫です」

「え?」


 いたずらっぽく笑った美園は、「開けますね」と断って収納の中を見るよう僕を誘導した。そこには僕の衣装ケースの横にもう一つ、見覚えのない衣装ケースがしまわれていた。


「昨日お留守番している時に色々と」

「もしかして昨日布団干してくれたのも?」

「いえ。流石に昨日の今日でとは思いませんでしたよ」

「じゃあ明日の実務用の服と靴無いんじゃないか?」

「あ……そうでした」


 シュンとうなだれた美園は、「スタジャンもありませんでした」と小さく呟いてから勢いよく顔を上げた。


「すぐに取って来ますので。お風呂に入っていてください」

「ダメ。この時間に一人で歩かせるのはあり得ない」

「でも!」

「もし嫌じゃなければ明日泊まってほしい。今日よりは時間に余裕取れるだろうし」

「それは、嫌じゃありませんけど……」


 言いながらもどこか不満げな美園に釈然としない。今日は何か特別な日でもないはずだ。


「今日じゃなきゃいけない訳じゃないだろ?」

「……智貴さん、今日は様子が少しおかしかったです。全体会の前ですけど」


 言われてドキリとする。顔に出したつもりはなかった、と言うよりも全体会の前には一瞬顔を合わせた程度だったのに、よく気付いたと思う。


「そんなに大した事じゃないよ」

「やっぱり。私のお友達と何かありましたか?」

「いや、あの子達は無関係だよ」


 誤魔化している訳ではないが理由は一言では言いづらい。潤んだ瞳で心配そうに僕を見上げる美園は、納得した様子は無い。僕だって逆の立場なら間違いなくそうだろう。


「言いたくない事なら無理には聞きません。でも、やっぱり心配です」

「わかったよ。言いたくない訳じゃないんだ。一緒に荷物取りに行こう。今日は泊ってくれ」

「はいっ」


 僕を案じてくれた美園の気持ちがとても嬉しい。満面の笑みを浮かべる彼女がとてもとても可愛い。


「往復の時間を考えたら今から湯船を張っても帰りは間に合いますね。準備しておきます」

「頼むよ」


 抱きしめてしまいそうになったが、美園は割と現実的で苦笑いが出た。

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