第47話 使い古された言葉と綺麗な後輩

 クレープを買った帰りに、飲み物を買って自分たちのレジャーシートまで戻ったが、シート自体も場所も、僕のバッグも完全に無事だった。

 美園は行きも帰りも注目を集めていたが、隣に虫除けがいた為、囲まれる事はおろか声を掛けられる事も無かった。

 花火が上がるまではあと20分。買って来たクレープには2人ともまだ手を付けていない。


「それじゃあ頂きますね」


 右隣に座る美園がニコリと笑って、クレープに口を付けた。先程の会話のせいで、彼女の桜色の唇から視線が外せない。薄めの唇を控えめに開き、苺のクレープを少し齧るその様子は、可愛らしいはずなのに、どこか煽情的に感じてしまう。

 自分の心の穢れが原因なのは痛い程わかった。


「おいしいです」


 幸せそうにそう言った美園は、僕の手元を見て「食べないんですか?」と尋ねた。

 クレープの味には正直あまり期待していなかったので、少し適当な返事を返してしまった。


「雰囲気込みで楽しむものらしいですよ?」

「それもそうだな」


 何故か少しいたずらっぽい笑みを浮かべた美園に、苦笑しながら頷く。

 雰囲気込み、というのなら今は何を食べても美味いだろう。

 先程の美園よりも大きな一口で齧りつくと、一瞬口の中に生クリームのキツイ甘さを感じたが、すぐにキウイなどの酸味がそれを抑えてくれ、僕にとっては丁度いい甘さになった。

 ふと視線を感じて右に目をやれば、ニコニコと笑う美園がこちらをじっと見ていた。


「あんまり見ないでくれ」

「お返しですよ」


 ふふっと笑う美園は、先程の僕の視線に気づいていたようで、少しバツが悪い。


「どうでした?」

「美味かったよ。甘さが丁度良かった」

「それじゃあ」


 一拍置いて、美園はおずおずと右手を僕の方に差し出した。小さな一口分だけ齧られたクレープを持った右手に、左手をそっと添えて。

 まじまじとそれを見ながら冷静に考えてみると、扇状のクレープであればこの状況で間接的なアレは発生し得ない。ホッとすると同時に、少し残念な気持ちがある。


「どうぞ。牧村先輩にはちょっと甘いかもしれませんけど」

「多分大丈夫だけど。いいの?」

「はい。もちろんです」


 間接的なアレではないものの、これは所謂「はいあ~ん」というヤツだ。ニコリと笑う美園の顔は少し赤い。

 雰囲気込みで味わうのなら、これは間違いなく美味いはずだ。

 恥ずかしい気持ちはあるが、こういう時の美園は多分退かないし、何より、この機会を逸してなるものかという気持ちが勝った。


「じゃあ、いただきます」

「はい。どうぞ」


 少し控えめな一口を頂くと、口の中に広がる甘さは思ったよりも控えめだった。苺の酸味のせいなのか、僕が感じる空気が甘いせいなのかはわからない。


「ごちそう様。美味かったよ」


 雰囲気込みでだが、間違いなく美味かった。幸せだったと言うべきかもしれない。


「それじゃあ次はこっちだな」


 満足げに笑う美園に、どんな反応をするかと内心楽しみにしながら、右手のクレープを差し出した。


「はい。いただきますね」


 あまりにも自然に、美園は僕の方へと身を乗り出し、空いた左手でアップにした髪をかき上げながら、差し出したクレープに口を付けた。

 浴衣と合わさり威力を増した艶っぽい仕草と、のぞく白いうなじの色気に、正直どうにかなりそうだった。右手を差し出しており、左手には体重をかけていた事が幸いしたと思う。片手が空いていたなら、あまり自信はなかっただろうと思う。


「ごちそう様です。こちらの方がおいしい気がしますね」


 体を起こした美園が、ふふっと笑う。その頬は少し赤い。完全に上手だと思った彼女も、やはり多少は恥ずかしかったようで、なんとなくくすぐったい気持ちになった。


「そっか」

「はい」


 絡まった視線を解けないでいると、先程必死で抑えた感情が再主張を始めたので、断腸の思いで視線を落とすと、両端から削られたクレープが目に入った。


「あ」

「どうかしましたか?」


 つい先程、間接的なアレで無い事に、残念ながらも安堵した訳だが、もっとしっかり考えれば、手元に残ったクレープを食べる時の事にまで頭が回ったはずだった。

 美園は不思議そうに僕を見た後、僕の視線の先に目をやり、そして最後に自分の右手を見て、あっという間に顔を真っ赤にした。

 日の入り間近だが、それは夕日の色では無い。


「まあ、気にする事じゃないよな。うん」

「そう、ですね。私たち、もう大人ですから」


 やましい気持ちしかない僕の言い訳は、美園に対しての物。彼女の側は自分自身に対してだろうか。それでも、気にしない、と言うのだから素直に受け取るべきだ。別に気にせず食べたっていいんだ。


「間接キスくらい、平気です」


 カタカナにして2文字、アルファベットでは4文字のその単語は、敢えてその言葉を考えないようにしてきた僕の動きを止めるのには十分だった。

 そんな僕を見てか、真っ赤な顔の美園も動きを止めて俯いてしまった。

 日の入りが過ぎ、夕日さえも沈み、会場には夜が訪れ始めた。



 花火が打ち上がる5分前のアナウンスが会場に響く頃、ようやく僕たちはクレープを食べ始めた。お互いに見えないように、少しずつ顔を逸らして食べるハメになった。

 必死に、無心になって食べ終わる頃には、今から花火の打ち上げを始めるアナウンスと、最初の花火の種類の案内が流れた。


「始まるな」

「はい。楽しみです」


 僕に笑顔を向けた後、美園は打ち上げ場所の中洲の上空を見上げた。釣られて僕も同じ方向を見上げると、少しして夜空に丸い光の花が咲き、1秒程遅れてドォンという音が届いた。

 始まりは1発の花火からだったが、そこからは連続で次々に花火が打ち上がる。色とりどり、形も丸い物から柳のような物、一見不定形に見える物が続々と。

 不規則に打ち上げているように見えて、きちんと計算されているのだろう。雑多な印象は一切無い。


「綺麗……」

「うん」


 打ち上がる花火の音と、観客の歓声で、会場は喧騒に包まれていたが、小さく呟いた美園の声ははっきりと聞こえた。

 花火を見上げる美園を横目で見て、「君の方が綺麗だ」などという使い古された言葉が沸き上がる。

 フィクションなどで聞くそれは、キザなセリフだと思っていたし、今でも思う。

 しかし、使い古されるのには理由があるのだと、今わかった。

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