第46話 ついでの先輩と間接的なアレ

 駅から会場までの約2km、浴衣の女性陣に合わせてゆっくりと歩く道すがら、すれ違う人の数は少ない。人の数自体が少ない訳ではなく、皆同じ方向に進んでいる事が理由だ。

 小中高に大学生も夏休みに入っているので駅方向に向かう人が多くてもいいと思うのだが、花火大会の混雑を嫌って時間をずらしているのかもしれない。


「やっぱり皆さん花火大会に向かう人なんでしょうか?」

「全員が全員て訳じゃないだろうけど、それでもほとんどがそうなんじゃないかな」


 横を歩く美園が、軽く周りを見回しながら尋ねてきた。

 ほとんど、というのは誇張ではないと思う。それなりにいる浴衣を着ている人はほぼ間違いないだろうし、男女ペアや家族連れもわざわざ混雑する日に混雑する方向を選ばないのではないだろうか。


「会場は凄く混みそうですね」

「そうだなぁ」


 嫌でも目に入る目の前を歩くバカップル、所謂恋人繋ぎで固く繋がれたその左手と右手から視線を外し、ちらりと美園を窺ってみるとバッチリ目が合った。


「あー。美園は成さんとは面識あったみたいだけど」

「はい。しーちゃんと一緒の時に何度かお会いしています」

「その時もあんな感じ?」

「そうですね。あんな感じです」


 きっとそうだろうなと思って尋ねてみたら、美園は苦笑しながらそうだと答えた。


「でも、少し憧れます」


 少し細められた美園の目が向く方向は、先程僕が見ていた場所と同じだろう。


「そうか」


 周囲に目を向ければわかるが、成さんと志保が特別な訳ではない。はぐれてしまう程では無いが、人混みの中で手を繋ぐカップルは多いし、浴衣を着ている女性が手を引かれている割合は更に大きいように思う。


「そうなんです」


 小さく言った僕を見上げながら、美園が動かした唇からは静かな呟きがこぼれた。



「思ってたよりは混んで無いな」


 観客数50万人超え、成さん曰く凄い混雑が数キロに及ぶとの事だったが、会場に着いてみると、想像していたよりも全体的な人は少なく思えた。

 ただし河川敷の川よりの方は聞いていた以上に混んでいる。特に花火が上がる中洲の正面辺りには近付きたくないし、絶対に美園を近付かせたくないくらいに人がぎゅうぎゅうだが、土手に近い方はそうでもない。


「そうですね。後ろの方なら座って見られそうですね」

「レジャーシート持って来て良かったよ」


 文化祭のステージとは違い、花火は空高く打ちあがるので、離れたところからでも十分見られる。場所さえ選ばなければ、1時間前の今からでも問題なくレジャーシートを広げられる。


「俺たちは前よりに行くけど、そっちはどうする?」

「僕達は後ろの方で座って見ます」

「そうか。帰りはどうする?」

「やっぱり一斉に人が帰るんですよね? 合流するのも難しいと思いますし、なんとかして帰りますよ」

「ちゃんとエスコートしてあげてくださいよ」

「わかってる」


 成さんに帰りの話を振られたところに、珍しく真面目な顔をした志保が口を挟んできた。茶化す様子もなく純粋に美園を心配している志保に、僕も真面目に答えてその通りに行動する事を約束する。


「ならいいんです。じゃあ美園、またね」

「うん、またね。成島さん、しーちゃん。ありがとうございました」


 またも綺麗なお辞儀をする美園にひらひらと手を振り、成さんは僕の肩に手を置き、「今度話聞かせろよ」とだけ言って、返答も待たずに志保の方を見た。

 志保は志保で美園に何か耳打ちをしていたが、口を尖らせた美園にぺちんと肩を叩かれていた。見た事の無い光景だが、二人の時にはこんなやり取りもしているのだろうか。


「お待たせ、航くん」

「じゃ、行くか」

「うん」


 手を繋いで歩いて行く二人を見送り、周囲を見渡してみると、レジャーシートを広げられそうな場所が、近場にも何ヶ所かあった。


「どの辺にしようか?希望が無ければあの辺でどうかと思うんだけど」

「はい。あそこがいいです」


 僕が指差した場所はその何ヶ所かの中では比較的狭いスペースだったが、その分レジャーシートを広げてしまえば後から横を詰められる心配はなさそうな場所だった。

 美園が同意してくれたので、「すみません」と声をかけながら先住民達の陣地の隙間を通って行く。

 美園を伴って進んでいると様々な色のレジャーシートに座る人達からの視線を感じる。もちろん僕に集まる視線はついでだ。

 グレーのシートに座るカップルをちらりと見ると彼氏の方は完全に美園に見惚れていて、彼女の方が機嫌を損ねた顔をしている。気持ちはわかるがご愁傷様だ。


「はいどうぞ」


 ワンショルダーのバッグの中から今日のために買った1.5m×1mの水色ベースのレジャーシートを取り出して広げて促すと、美園は律儀に「失礼します」と言ってから下駄を脱いで白い浴衣の裾を抑えながらちょこんと座った。

 花火を指して夜空の花とはよく聞く比喩だが、それより先に綺麗な花が咲いた。隣に座っていいものかとさえ思ってしまうが、「どうかしましたか?」と僕を見上げる美園に、「ごめん見惚れてた」と素直に言う訳にもいかず、誤魔化しつつ彼女の左隣に腰を下ろした。


「早速だけど、甘い物とか飲み物とか買って来ようか?」


 会場には屋台も出ている。早めの食事を済ませているので主食系の物は要らないだろうが、デザート系や飲み物の屋台もしっかりと存在している。


「あ、じゃあ私も一緒に行きます」


 レジャーシートの番として残ってもらうつもりでいたが、よくよく考えると美園を一人残していくのは不安だ。

 今のところ周囲はカップルや家族連ればかりではあるが、会場の中で一番可愛い美園が一人でいれば、ナンパの餌食になる可能性は高い。


「じゃ、一緒に行こうか」

「はい」


 シートの上に僕のバッグを残して二人で一緒に屋台へと向かう。周りに人もいるし盗まれたりどかされたりする事も無いだろう。美園の印象が周囲の人に強烈に焼き付いているはずなので、トラブルになっても「さっきいたのはこの人達ですよ」と味方してもらえる気もする。

 またもや「すみません」と声を掛けつつ、先程とは反対に他人の陣地の隙間を縫って進む間も、やはり美園は注目を浴びていた。視線を向ける側も反省したのかさせられたのかガン見ではなくチラ見程度だが。


「何食べたい?」

「そうですね……」


 屋台の付近は河川敷の前列程では無いが、それなりに人が多かった。とは言えぼーっとしていなければ、はぐれてしまったり、もみくちゃにされてしまうような事は無いだろう。


「じゃあクレープが食べたいです」

「了解」


 かき氷やチョコバナナと比べると、少し短いクレープの屋台の列に並び順番を待っている間も、やはり美園は注目を浴びている。


「牧村先輩は何を買うんですか?」

「美園と同じのにするよ」

「え? クレープでいいんですか? 甘いですよ」

「食べられない訳じゃないからね」


 並んで一緒の物が食べたかった、という本心は隠して笑いかけると、美園は少し考えるような仕草をしてから口を開いた。


「私は苺と生クリームのクレープにするつもりですから、結構甘いですよ? 牧村先輩は甘さが抑えられた物の方がいいんじゃないでしょうか」

「あ、それもそうか」


 並んで一緒、の部分はクレープという括りで我慢しよう。


「それに。別の物を買えば、ちょっとずつ交換も出来ますよ」

「いや、それは……」


 少し照れたような美園から思ってもみなかった提案が飛んできた。ただそれは、間接的なアレという事になる。

 いい歳してこんな事でうろたえるのも情けないし、本音では頷いてしまいたいが、かと言ってやはり気は引ける。


「そういう訳にもいかないから、やっぱり僕も同じのにするよ」

「嫌なんですか?」


 うるさいくらいに主張する本音を抑えて、必死で絞り出した言葉だと言うのに、上目遣いの美園は拗ねている。


「じゃあ美園は二つ買えばいいんじゃないか?」

「それじゃあダメなんです」


 理由はわからないが少し悲しそうな顔の美園に耐え切れず、結局僕は比較的甘さ控えめの、フルーツ多めのクレープを購入した。この後の事は考えていない。

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