消極先輩と積極後輩
水棲虫
一章
第1話 消極的な青年
「牧村先輩。今日はこの間のお詫びにお泊まりに行きますね」
6月のある土曜、大学で所属する文化祭実行委員の作業が終わった後、僕はそんな声をかけられた。
「ごめん。『牧村先輩』以外の部分が全部意味わかんないんだけど」
決定事項のみを伝えてきた後輩の
そんな仕草がこの後輩にはこれ以上なく似合う。
形の良い眉の下にはこれでもかと長く伸びた睫毛と、くっきりとした二重まぶたと長いまつげに縁どられた大きく丸い目。
きれいに整った鼻筋は高く通り、その下の唇も厚過ぎず薄すぎず、紫外線など知らないと言わんばかりの透き通るような肌に桜色の潤いを加えている。
一目見ただけで誰もが「可愛い」と口にするであろう彼女は、平均より少し小柄な体格で触れたら折れてしまいそうなくらい華奢でありながらも、女性的な体のラインもしっかりとわかる。
委員会内だけでなく大学内でも数多くの男子学生から頻繁に声をかけられるらしいという話を聞くが、それも仕方の無い事だろうと、目の前の美園を見て思う。
「先週のお詫びにご飯作るって約束したじゃないですか。それですよ」
「ああ。だけど何で泊まるんだ?」
「お風呂は済ませておくので心配しないでください。4時に荷物を持って伺いますので、その後一緒にお買い物しましょう。それでは準備がありますのでまた後ほど」
「あ、おい美園」
美園は言うだけ言って帰ってしまったが、まあ夕食の後で送り届ければいいだろう。この時はそう思っていた。
◇
人生は積極的に行動を起こさないと良い方向には向かわない、と言われた事がある。言葉の意味自体はわかったものの、当時中学生だった僕には実感の無い忠言だった。何故なら、小中高と一つのクラスを中心とした生活を送っていると、必然そこを中心として人間関係が形成されるからだ。
そういった環境においては、自分から積極的に動かなくても、積極性が無いと言われ続けてきた僕でさえも、クラスで孤立せず、体育の二人組や修学旅行の班分けで困る事もない程度には友人が出来た。
なんだ、自他共に積極性の欠片もないと認める僕でさえ何も困らないではないか。
勉強をそれなりに頑張り、地方ではあるが国立の大学に現役で合格し、高校を卒業する頃の僕は何の不安も無くそう思っていた。
それが勘違いである事は1ヶ月後に知れた。
大学の入学式の前日にガイダンスがあるのだが、実はその更に前日に入学前イベントが行われていた。在校生が企画してくれるそのイベントの参加は強制ではないので、引っ越しが遅れた事もあり、僕は行かなかった。
ガイダンスの日、周囲が既にグループを作っていた事で僕は焦る事になる。結局、そこで積極的に話しかけに行く度胸などある訳もなく、その日僕は誰の連絡先も手に入れる事が出来ずに、一人寂しくアパートの部屋に帰った。
「もうお友達は出来た?」
母にそう尋ねられたのはその次の日の入学式が終わった後だ。式典が終わり、その後の壇上で部活やサークルと委員会の勧誘があり、学科ごとの写真撮影を終えて母と合流した。その会話の中で発された何気ない一言が僕に刺さった。
「何人かとは連絡先を交換したよ」と僕は嘘を吐いた。心配させたくないなどという思いは全く無く、ただ見栄を張った。
実際にはガイダンスと入学式のまだ2日、ここで友達が出来なくても焦る事は無いのかもしれない。だが、部活やサークルなどの紹介を見たり周囲の話を(盗み)聞いたりしている内に、大学生活が高校までとは違う事を思い知らされる。同じ学科の同級生はいるが、高校までのクラスと違って常に同じ場所で過ごす訳では無い。
積極的な人間はどこまでも活動範囲を広げて行き、僕のような消極的な人間はそこから置いて行かれる。そんな恐怖に苛まれた。
だから僕は、消極的な理由から一つの選択をした。入学式の後で紹介のあった、文化祭実行委員に入る事にしたのだ。
文化祭実行委員は11月に3日間行われる文化祭を作り上げる為の、1,2年生のみで組織される委員会で、毎年合計で100人近い所帯になるらしい。
無趣味な僕がサークルに入ったとして、そこで何を話せばいいのかわからない。しかし、文化祭という一つの目標に向かって皆で突き進むその集団なら、僕が積極的に働きかけなくてもきっと友達ができるだろうし、あわよくば彼女も出来るかもしれない。僕がそこを選んだ理由はそんな最低なものだった。
そんな僕の目論見は、彼女こそ出来なかったものの友人関係では上手くいった。
全ての友人とのきっかけが、向こうから話しかけてきた事によるのは、僕の情けないところだと思う。
そして迎えた文化祭当日、僕は担当部署の仕事の空き時間も文実の一員として、シフトに入っていなくても見回りに精を出した。皆の為に頑張ろうという面も無い訳では無かったが、純粋に友人と時間が合わなくて暇だったのだ。
不純な動機で入った文実も、この頃には楽しくなってきており、初めての文化祭を経験した事で、来年も絶対に続けようと決意した。
青春しているというのは、僕にとってきっとこの様な事なのだ。彼女は出来なかったが。
文化祭が終わって冬を迎えた頃、近くのファミレスでアルバイトも始めた。クリスマスもバイトしていたし、新年は実家に帰って過ごしたので初詣イベントは起きなかった。
バレンタインでは文実の同期が義理チョコをくれたが本命チョコを貰う事は無かった。わかってはいたが期待していなかったと言えば嘘になる。
恋人達のイベントの多い冬だが、結局そんなもの僕には無く、そして次の春が来た。
新しい春、3年になる文実の先輩たちは引退し、2年になる僕たちの代がメインになる。
委員長、副委員長とその下で大きく五つに分けられた部の長が新たに決められ、新体制の下で入学式後の勧誘に臨む。とは言うが、僕はその勧誘の壇上には上がらず裏方なので気は楽だ。
ここで興味を持ってくれた新1年生は、次週の金曜の夕方に
「可愛い子多いといいな」
「そうだな」
文実で出来た親しい友人の
僕たちには何もなかったが実は文実のカップル成立率は割と高い。同期の中では既に4組カップルが成立しているし、先輩後輩のカップルも同じくらいいる。淡い期待くらいはしたっていいのでは無いだろうか、たとえ無駄でも。
説明会当日、
1年生の座るテーブルにはジュースに紙コップとお菓子が置かれているが、先輩の手前という事もあり、彼らも中々手を付けようとしない。
委員長、副委員長、五人の部長と新歓メンバーが前に出ているので、他の2年生は適当に1食内をウロウロして新入生に飲食を勧めていく。
「先輩、酒は無いんですか?」
「
お調子者らしい新入生男子が、近くを通った2年生にそんな声をかけ、その周囲に笑いが起こる。僕の友人で言えばサネがそうだが、ああいうタイプがいると場の空気が和らぐ、貴重な奴なので来年まで残ってくれるといいなと思う。
そんなお調子者から視線を外すと、ふと一人の女の子と目が合った。肩より少し下まで伸びた暗めの茶色い髪の毛先をほんの少し巻いている、大きな瞳が印象的な可愛い顔をした女の子だ。
彼女は僕にニコリと微笑んで軽い会釈をしてくれたが、僕はすぐに反応を返すことが出来なかった。
僕は彼女の所作の上品さに、少し見惚れていた。
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