16人目:あるきまぐれシェフの場合

「あ、あれ。どうしよう。すっかり忘れてしまった。」

料理長は信じられないようなことを呟きながら厨房からフラフラと出てきた。

「忘れたって…何をですか?」

「明日やる予定だったレシピだよ。酔ってすっかり忘れてしまった。」

「ええ!でも、明日は有名な料理批評家が来る日のはずでは。」

「そうだ、だからこそ私の集大成ともいえる最高のレシピを生み出したのはずなのだ。

それなのに、それなのに…」

「忘れてしまったと?」

「その通り!あまりの出来の良さに満足してしまった私は、

そのまま厨房で一人祝い酒を楽しんでしまい、あろうことか酔い潰れてしまった様だ。

昨日のことは何一つ思い出せないが、

キッチンにあったワインが丸々空いていたのを見れば誰でもわかることだ。」

「それは困りましたね。」

「厨房を見て思い出そうにもあまりにも試行錯誤の痕跡が多すぎてさっぱりわからん。

もはや昨日の私があそこで何をしていたのかさっぱり思いだせない。」


料理長は絶望に悶えてしまったが、

その弟子である私はなんとしても彼を奮い立たせなければならない。

「とにかく、思い出せない以上は仕方ありません。

何でもいいので、思いつく限りの物を作るしかありませんよ。」

「何でも…といってもなぁ。

いまいち頭が冴えない以上、いい料理が思い浮かばない。

いっそ気まぐれでやってしまうか。」

「あ!それですよ!気まぐれでいきましょう!」

「本気で言ってるのか?」

「そうですよ!シェフの気まぐれメニューでいきましょう。」

「しかし、相手は有名な料理批評家だぞ。その場限りのメニューでは怒るんじゃ…」

「そこはもう、そういうスタイルってことにしましょう。他に手はないですから。」

「むむ…一か八かだが、やるしかないな。」


次の日、私とシェフは二人で協力して料理の準備に取り掛かった。

「とりあえず思いつく限りの食材は揃えてみました。」

すると料理長は息を大きく吸った。

「実は今朝から頭が冴えて仕方ないのだ。人は追い込まれると覚醒するようだ。」

料理長は食材を手に取り、匂いを嗅いでまわりはじめた。

しばらくすると、おもむろに鍋を取り出しスープを作る準備を始めた。


「料理長、何をしているのですか。いつもの前菜サラダは作らないのですか。」

「今日の野菜はサラダで出すよりスープで出す方が良い気がするのだよ。」

「料理人の直感…ってやつですかね?」

「まぁそんなところだ。

今日はまるで食材の声が聞こえてくるかのように、それぞれのベストな調理法が思い浮かんでくるのだよ…」

その後も料理長は次々と見たことのない斬新な調理を披露して見せた。

「凄い…どれもこれも見たことのないレシピばかりです。」

「私は全て即興で考える方が性に合っている様だ。

むしろ今まではレシピに縛られすぎて、プロとしての直感が鈍っていたのかもしれん。」

「これだったら、批評家も喜びますね。」

「ああ。昨日のレシピを忘れてしまったのは残念だったが、今となってはむしろ怪我の功名だな。」

そう笑いながら、料理長は最後の仕上げを終えると、手際良く開店前の準備を終えた。

「あとは批評家を待つのみだな。」

「はい、きっとうまくいきますよ!」


数時間後、レストランがオープンすると背の高い細身の料理批評家が来店した。

「今日の料理だが、全て新作だと聞く。楽しみにしているぞ。」

そう言って批評家は嫌味っぽく笑って見せたが、席につくなり次々と現れる斬新な料理の数々に目を丸くした。

「どれもこれも見たことのない料理だ。いつの間にレシピを考えたんだ。」

料理長に変わって私は答えた。

「実は全てこの日のためのオリジナルでして。

食材の味を引き出すために、仕入れたものからベストな料理を即興で作ったんですよ。」

「なんと!料理の腕もさることながら、何よりその心意気に恐れ入った!

ここの店の料理長は称賛に値すべき素晴らしい才能の持ち主だ。」

満足げにレストランを後にした料理批評家は、

自らの批評記事で料理長を「天才気まぐれシェフ」と称賛し、最大の賛辞を送った。


その後、メニュー表の存在しない名店として話題になったレストランには、

数多くの人々が"シェフの気まぐれコース"を味わいに来店することとなった。

お客で賑わうホールを見下ろしながら、私と料理長は話す。

「一時はどうなるかと思いましたが、すっかり有名店になりましたね。」

「ああ。レシピに頼らず、直感を信じるというのも悪くないな。

…とはいっても、うまく行った今だからこそ、あの日酔って忘れてしまったレシピがどんなものだったのか気になるな。」

「ま、まぁ。無理に思い出す必要はないんじゃないですかね。」


私は慌ててフォローを入れた。

というのも、実はあの日料理長はろくにレシピが思い浮かばず、

次の日の批評に絶望してヤケ酒を飲み、そのまま記憶を飛ばしてしまっていたのだ。

無駄に詮索して今の成功に悪影響が及ぶよりも、この幸せを味わい続ける方がずっと良いだろう。

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