11人目:ある檻の中の飼育員の場合

「だ、誰か!出してくれ…!」

私は一人、檻の鉄格子を掴んで外に助けを求める。

しかし、その声は周囲にこだまして消えてゆく。

「なんで私が檻の中なんかに…」


私は先ほど、動物園の敷地裏側にある動物用の檻の中で目が覚めた。

足元には草の束が散乱しており、激しい頭痛から察するに、

これに足を滑らせて転び頭を打ったことで記憶が飛んでしまった様だ。

「まずは…状況を把握せねば。」

ズキズキと頭が痛む中、私は必死に冷静さを取り戻そうと試みた。


私の入っていた檻は横幅も縦幅も広々とした内寸であった。

大型動物を入れるための物であることは一目瞭然で、人間一人で入るには大分持て余すほどの大きさだ。

「このサイズ…それに、足元に散らばっているこの草が餌用だと仮定するなら…恐らくゾウ用の檻だな。

しかし、何故私がゾウの檻の中に閉じ込められているんだ…第一、肝心のゾウはいったいどこだ?」

敷地裏に晒されている様に置かれてるこの檻は、独立した簡素な作りの物で、使用される機会はほとんどない。


「お客の前にも出さず、展示裏の部屋で休ませていないともなると、いよいよおかしな話だ。

なんせ、わざわざ大きなゾウを展示スペースから敷地裏のこの檻まで移動させたことになるのだからな。

園外に移送するためか…?しかし、それであれば担当飼育員の私も知っているはずだ。

とにかく外に出なければ…あたりにも誰もいない様だしな。」

私は外側から鍵のかけられた檻から抜け出すべく、試行錯誤を繰り返した。

鉄格子の感覚は広く、腕くらいなら簡単にすり抜けて外側から鍵の部分を触れるのだが、

やはり手探りではどうにも開けられなさそうだった。

「やはりマスターキーが無いと開かないな…」

すると、遠くの方からこちらへ向かって誰かが走ってきた。

目を凝らして見ると、それは園長であった。


園長は私の檻に駆け寄ると、息を切らしながら訴えてきた。

「お、おい!そこ!その檻の中に私も入れないか!早くここを開けろ!」

「は、はぁ?一体何を言っているんですか。」

「何もどうも、お前今園内がどうなっているのか知らんのか!」

「それなのですが、あいにく記憶が飛んでしまった様でして。」

「何を馬鹿なことを言っているんだ。園内は今脱走した動物が暴れ回って大騒ぎなんだ。

こんな状況で冗談はよしてくれ。」

「脱走…動物が檻を出たのですか!」

「ああそうだ。だから、早く私も安全な檻の中に入れないか!」

「しかしマスターキーが無いとここは開きません。キーは園長がお持ちでしょう?」

「それがどこにも無いのだよ!全く、どうなっているんだ。

よりによって殺処分予定のゾウにこうも手こずらせられることになるとは。」

「そんな…殺処分!嘘、ハナ…嘘だ…」

私は目眩を起こし、再び足元の草で滑って転んでしまった。

そして、はたまた頭を強く打った私はそのまま気を失った。


そこで私は夢を見た。

そこに映っていたのは初めて動物園に子ゾウのハナがやってきた日の記憶だった。

愛くるしい見た目のハナは瞬く間に園内の人気者となり、それを目当てにした客の数も増えた。

園内にやってきたその日から飼育を担当していた私は、その後我が子同然にハナの成長を一番近くで見守り続けた。

しかし、ハナが大きくなってからは徐々に客からの人気も落ち、心なしか客足も遠のき始めた。

私としては別にどうということはなかったが、ある日、ハナが病気にかかっていることがわかった時は悲しかった。

日に日に元気がなくなり、お客の前にも出れなくなってきたゾウを、殺処分しようと園長は言い出した。

治る見込みがあるのならもう少し待ってくれと私は懇願したが、経営のためと一蹴された。

殺処分の日の朝、今までのハナとの記憶が蘇ってきた私はいてもたってもいられなくなり、

隙を見て盗み出したマスターキーでハナの檻を開け、こっそり逃がそうとした。


今思えば、バレずに連れ出せたところで、その後の計画など何もなかったのだが、

愚かとわかっていてもハナを見殺しには出来なかった。

しかし、突然のことに驚いてハナは恐怖のあまり逃げ出してしまい園内は大騒ぎに。

動揺しどうすれば良いかわからなくなった私は檻に逃げ込み自らを閉じ込めてしまった。

そこで足を滑らせて…そこで…


私は再び檻の中で目覚めると、ポケットの中にマスターキーの感触を覚えた。

「おい!大丈夫か!さぁ、ここを開けるんだ!」

しかし、私の頭はぐちゃぐちゃの記憶と感情が入り混じり、もう何をするのが正しいのかわからなくなっていた。

「すみません…私は…どうすれば…」

己の愚かさと無力さを噛み殺す様に、私は震える手でポケットの中でマスターキーを握り締めた。

近づいてくる地響きの音と共に、決断の時はすぐそこにまで迫っていた。

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