10人目:ある捕まった密入国者の場合
「あちゃあ…こりゃ記憶喪失ってやつだな。」
男の瞳に光を当てながら、医者は呟いた。
「本当なのですか?そういう嘘をついているのでは?」
「いいやこれは本物だ。追及から逃れるための嘘なんかじゃない。」
「なんと。それじゃあ、何を聞き出せばいいって言うんですか。」
「それはそっちの管轄だろう。それじゃ、私はこれにて…」
白衣を着た初老の医者はそそくさと部屋から出て行ってしまい、
私は目の前に拘束された記憶喪失の密入国者の対応に困ってしまった。
「なぁ?言っただろう?」
この国へ密入国を試みた、薄汚れた男は机の上に足を投げ出し腕を組む。
「そうは言っても貨物船に忍び込んでこの国にわざわざ忍び込んだんだ。
いったいどんな理由でそんなことをしたんだ。」
「覚えてねえからわかんねえよ。」
「全く…困った奴だな。」
入国管理局で働く私はこの国に忍び込む様々な密入国者どもを取締ることで、前線の防衛に貢献し続けてきた。
大変な仕事ではあるが、我が国の社会システムを維持するためには必要な役割であった。
国の治安を乱しかねない輩は手厳しく取り調べるのが常なのだが、こうも厄介なのに出くわすと思わず面食らってしまう。
まずはこいつが何者なのかを探らねばならない。
「お前、名前や出身は覚えているか?」
「さぁ。ある日、気付いたら知らねえ国の知らねえ場所で目覚めたんだ。」
「なんと、それではこの国に来る前から、ずっと記憶喪失だったってわけか。
そんな状態でどうやって食いしのぎながら、はるばるここまでやってきたんだ。」
「それがな、意外とどうにかなっちまうもんでさ。
腹が空いたり金が必要になればなんでも器用に盗めちまうし。それに、喧嘩だって強いんだぜ。」
「おいおい、とんでもない犯罪者じゃないか。」
私は危ない人間の密入国を未然に防げて安心したものの、
尚更こいつが何故この国を目指して旅してきたのかが気になった。
「何が良くて遠路遥々この国を目指して旅なんかしてたんだ。
この国の経済状況がいいからか?それとも、治安がいいからか?」
「だからわかんねえんだよ。
この国が他所に羨まれるほどいい国だってことを知ったのもついさっきの話だ。」
「じゃあどうして…」
「強いて言うなら本能ってやつかな。
この国の名前を聞いたその時から、ここに行かなきゃって自然と体が動き出しちまうんだ。
もしかしたらこの国に恋人でも残してきてたのかもな…」
「そんなのあり得ないだろう、お前が我が国の国民だったなど。」
「でもよ、可能性はゼロじゃねえだろ。
ちゃんと探せばこの国と俺の何かしらの繋がりがわかるかもしれない。」
「ううん…聞き取りを続けてもこれ以上の収穫は見込めなさそうだしな。
ここは一つ、こちらで調べてみるとするか。」
私は男から没収した手荷物を持って部屋を後にした。
「データ照会室」と記された部屋の扉を開け、中に入ると私はパソコンの前に座った。
先ほど撮影した顔写真や採取した指紋などのデータを打ち込むと、国民のデータと照会した。
しかし、何度やってもおかしなことに「削除済み」と画面に表示される。
通常、国民であれば照合完了の通知が出現し、外国人であればエラーの表示が出るのだが、
「削除済み」の表示が出るのは初めてのことだった。
おかしいと思い、私は入国管理局の局長の部屋へと向かった。
「局長、例の密入国者の件ですが、未だ何者かがわかりません。」
「データ照会は済んだのか?」
「ええ。しかし、おかしなことに『削除済み』と表示されてしまうのです。」
するとそれを聞いた局長は手元の書類から目線を上げた。
「それは本当か?
そうか…今月に入ってもう四人目が来てしまったか。」
局長は目を閉じて深い落胆のため息をついた。
「四人目とは、どういうことですか?」
すると、局長は顔写真が並んだリストを取り出し、その中の一人を指差して見せた。
「あっ。私が取り調べていた男じゃないですか。これは何のリストなんですか。」
局長はその男の横にチェックを入れながら応えた。
「”元”国民だった我が国の犯罪者たちだよ。
この国ではスリーアウト制度が導入されているのは知ってるな?」
「はい。三回以上の刑罰を犯した者は極刑になると言う…。
それのおかげで国民は皆リスクを遅れて安易に犯罪に手を染めないと聞いていましたが。」
「では、その極刑の内容は知っているか?」
「いえ…そこまでは。まさか、死刑なんてことは…」
「いや。そんな方法はとらん。国外追放だよ。記憶を消してな。」
「なんと!そんなことが…」
「提携を結んだ国の辺境の地で目覚めたそいつらは、新たな人生を始めてそれでおしまいのはずだった。
しかし、最近そう言った輩がやけに我が国に再び入り込んでくる。」
「記憶はないのに、いったい何故でしょう。」
「もしかすると帰巣本能のようなものが働いているのかもしれんな。
にわかに信じがたいが、潜在的な故郷への執着心は記憶の壁をも超えると言うことなのか…」
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