9人目:ある目撃証人の場合

「勘弁してくださいよ、記憶喪失の証人の対応なんて。」

「悪いな、あいにく他のもんが出払っててな。

まぁ軽く話を聞くだけでいいから…ほら入った入った。」

「第一私は現場の警察官であって、取り調べをする刑事ではないんですよ。」

「だからひとまずは向こうがリラックスできるように、軽い話し相手になるくらいでいいんだよ。

本職の刑事が対応する前の軽いフリートークみたなもんだ。」

「ちょっ、私にだって現場の仕事ってもんが…」

そう言い終わらないうちに、私の上司は言葉を遮るようにドアを閉めてしまった。

気づけば狭い取調室の中にいるのは、私と、記憶喪失の目撃証人の二人だけになってしまった。


「えぇ…っと。じゃあ、どうしましょうか。」

私は恐る恐る証人の顔を覗き込む。

「そうですね、僕はこんな状態ですのでお任せします。」

椅子に座る青年は、情けなく笑う。

「そうか…いや、参ったな。私もこう言うのは初めてなもので。

では、まずはどこまで覚えているかの確認からしましょうか。」


私は、先程渡されたばかりの事件ファイルをめくりながら、捜査情報を確認した。

路上での殺人事件で、凶器などは未だ発見されておらず、唯一の目撃証人も犯人に襲われショックで記憶喪失に。

現場の痕跡からも犯人に繋がる目立った証拠はなく、捜査は難航しているとのことだった。

「たった一人の目撃承認が記憶喪失…か。

その記憶喪失というのは、どれくらいの範囲の記憶を?」

私は慎重に言葉を選びながら証人への質問を始めた。


「事件を目撃した瞬間とその前後、という感じになりますね。」

「と言うことは犯人の顔や現場の状況などもすっかりお忘れに?」

「まぁぼんやりとは、所々覚えてるような気もしますが…なんとも。」

思わぬ回答に私はハッとした。

「で、では何かのキッカケがあれば思い出せそうだと?」

「はい…そうかもしれないですね。」

「犯人の顔や特徴は何か思い出せないですか?」

私は彼の目をじっと見つめて問いかけた。

すると彼は突然眉をピクッと上げていきなり口を開いた。

「そうだ、男性でした。やや大柄の。」

「男性ですか。それで?現場の様子は?」

「そこまでは…人が倒れていて、あとは犯人がいて…警察官の姿も覚えています。」

「それは事件後通報を受けて駆けつけにきた警察官のことでしょうね。

それより肝心なのは犯人の様子です。どんな風に襲われたんです。」

すると青年は突如頭を抱えて目を瞑る。


「イタタ…頭が。すみません、殴られたとことが痛み出して。

事件のことを思い出そうとしたからでしょうか。」

青年は額の当たりを手で抑えながら顔を上げる。

「いえいえ、こちらこそ急に質問責めで申し訳ない。」

そこで私はふと、あることに気がついた。

「あなた、犯人に襲われた際に額を殴られたのですね。

事件の資料にはそこまで書かれてなかったので。」

「あぁ、ええ。そうなんです。

暗い犯行現場でこちらを振り向いた犯人がいきなり飛びかかって来て、ガツンと。

そこで僕も被害者同様その場に倒れてしまって気を失って…

お医者さんが言うには打ち所が良かったので記憶喪失くらいで済んでラッキーだって。

なんだか、おかしな話ですよね。」

青年は情けなく笑っていたが、突然無言になり考え込んでしまった。

私は不安になって彼に問いかける。


「どうされましたか?また頭痛ですか?」

「いや、何かがおかしいなと思いまして。

だって僕は犯人に襲われてその場で倒れたわけじゃないですか。

じゃあなんで警察官の姿を見た記憶があるんだろう…って。

なんせ、事件後に警察官が駆けつけた頃には、僕はもう気絶してるわけじゃないですか。」

「それはきっと思い違いじゃないですかね。

倒れた後に一瞬だけ意識が戻って駆けつけた警察官を見たという可能性だって。」

「でもお医者さんからはかなりその後も長い間深く眠っていたと聞かされました。」

「しかし、現場は暗がりだった様ですし、何かの見間違いの可能性も捨て切れない。

何にせよ、ハンマーで強く殴られたんですから、ショックで多少の記憶障害くらいは…」


私は話の途中で、とんでもないことを口走ってしまったことに気がついた。

「ハンマー…そう、ハンマーですよ!僕はハンマーで殴られたんだ!

それを聞いて、急に当時の光景がぼんやり浮かび始めました。

刑事さん、このままいけば僕、犯人の顔も思い出せそうです。」

きっかけを与えられて記憶を取り戻し始めて喜ぶ証人をよそに、私は自分で自分の首を絞めてしまったことに後悔した。


凶器が見つかっていない殺人事件で、犯人である私しか知らない情報をうっかり漏らしてしまった。

勤務中の警察官なぞ、捜査線上にあがるはずないと思い犯行に臨んだが、誰かに犯行を目撃されたのは想定外だった。

咄嗟に後頭部を殴りつけ始末したつもりだったが、暗がりで失敗したようだ。

本人からすれば打ちどころが良かったことになるのだが、こちらとしては随分と困ったことになったな…

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